甘ったるい性の匂いに頭がくらくらした。
月明かりか太陽光かもわからない光が、窓を覆い隠すカーテンの隙間から漏れる。薄暗い室内で、それだけが唯一頼れる光源だった。
生白い腕を伸ばせば、やや筋張った手がそれを包む。引っ張られるように胸板に顎を落とすと、結合部から耳に優しくない音が響いた。
エロいことをしてるときほど何もかもがどうでもよくなるときは無い。と、俺は思う。上半身をぴったりと摺り寄せたまま、下半身だけ別の生き物のようにひたすら打ち合っている生々しい図も、それは客観的に見たら生々しいだけで、当人たちからしてみればなんでもないことなのだ。
ぶちゅ、だかぐちゅ、だか、とにかく可愛らしくない音が鼓膜を汚す。どれほど繋がっても出てくるものは出てくる。自分の下にいる男は、どれだけ精力をもてあましているというのだ。無限大か。
「はっ、」
俺が常々「エロい」と称する息遣いが喉に触れた。さんざ口を合わせたというのに爽やかな匂いがしてくる。こいつの口臭は生まれたときからミントだったに違いない。生温かい、いっそ冷たければいいのに、と思うほどじれったい息は今度は鎖骨に触れた。
「はっ、なに、を」
下の男は何かを言おうとしているらしい。
しかし悲しいかな、激しい運動中というものはえてして声がまともに出ないものだ。かくいう俺も返答をしたいところなのだが、下半身の振動で声帯が震えてまともに声が出ない。出るのはア行の五文字くらいだ。いや、お、はないかな。
ていうかそんなに喋りたいんなら腰を振るのをやめろよ。と、考えていたものの、相手には表情でバレバレであったらしく、誰がそんなことしますかとでもいうような表情が返された。表情で語り合うことができるのなんてこいつくらいだと思う。
「なにを、お考え、ですか」
何を言うかと思ったらそんなことかよ。
いっそ呆れながら、男の根元をぎゅうと締め付けた。「はっ、」また生温かい吐息が今度は鎖骨を滑って喉に触れ、顎に行き着く。
ていうかこの状態では何を考えていたかなんて口に出来そうではない。ア行だけであらゆる言語を伝えきれるほど俺は万能ではないからな。相変わらず結合部からはぶちゅぶちゅと生々しい音がしているし、こりゃもうさっさといくべきだろう。いくってどこに、なんて質問はアウトだぞ。
男の顎を掴んで無理に上向かせ、唇に噛み付いた。そのまま文字通り、噛み付いた。やわらかいとしか表現できないそれの隙間から、凶器にも似たような舌がぬるりと這い出てくる。それが俺の唇を割って中に入り、俺のものと絡まった。こいつを煽るのは簡単だ。
キスで多少の余裕ができた俺は、息継ぎの間にさっきの問いに答えを返す。唇と唇が触れた距離で話せば、いやというほど口先が男の歯に当たった。
「おまえのこと」
「っ、」
どぐ、と体の中に入っていたものが強大化した気がする、というかしたのだが、こいつは単純だな。言葉一つでここまで興奮するのは正直いかん。いや、別に素直なのはいいことだが、こいついつか誰かに騙されるぞ。
目を見開いてぎょっとしているそいつの鼻をつまみ、揺れる腰になんとかついていこうと奮起する。
「……て、いったら、満足か、っ」
「………なんだ………」
なんだ、って、実に残念そうに言うなよ。
鼻を離してまた唇を引っ付ける。唾液がさっきからだらだらと出ているものだから、下半身と同じようなぷちゅぷちゅとした音がやけに耳についた。そりゃ口と耳は近いからな。最早耳に届くというよりは、頭蓋骨を震わせて脳に直接届く、という感じか。
「っ、ん、はっ」
「っ…もう、」
下の男は呻いて、俺の腰を強く引き寄せた。ただでさえ近いというのに、それでさらに男のものが中に入り込んでくる。臓器をえぐられるような痛みと快楽に頭の芯がびりびり痺れた。あ、だめだ。目の前がちかちかしてくる。ハンマーで頭を殴られると星が散るように、こいつに中を乱されると、俺の脳裏も星が散るのだ。
無意識に手を伸ばして、男の肩に爪を立てた。胸に肘を、肩に掌を。ぐいい、と押し込めた爪の強さが男の痛覚を刺激する。中に入っているものがまた大きくなった。こいつ、無限大か――二回目。
「っあ、あ、あ」
声のトーンを何種類も変えながら、俺は悲鳴みたいな嬌声を上げた。だめだいく。力が抜けて肩から外れた手を、また無意識に男のどこかにくっつける。そこに思い切り爪を立てた。瞼の裏がちかちかする。あ、あ、だめだ。もうだめだ、俺。
「はっ、あ、ぁ、なん、で―――ぁ!」
男のものがどぐんと脈打った。次いで、子宮口に生温かいなんてレベルをとうに越してクソ熱いものがぶつかってくる。ひくひく震える体内で、まだ男のあれはびくびくと脈打っていた。搾り出すような動きだ。最後、さらにでかくなったように思えたのは俺の気のせいか。気のせいだろうな、多分。三段階変化なんて恐ろしくて考えたくない。だがしかし、男が確実にいく間際、興奮したのは確かだった。俺は何をしたっていうんだ?
「首に、爪を立てたんですよ」
情事後の倦怠感残る体に抱きついて、男は言った。
抱き疲れている俺はなんとも言えない気持ちだが、目の前の肩に確かに爪あとが残っていて、それを辿ると首元にも同じあとが残っているので納得せざるを得ない。俺、なんつう危ないことをしたんだ。首って。よりにもよって首って。
「首を絞めながらやるとすごいらしいですね」
「………頼むから実行するなよ」
「はは」
否定も肯定もしなかった男の鎖骨に噛み付く。いたいですよ、という柔らかな抗議は完璧に無視だ無視。そんなアブノーマルな嗜好、俺は持ち合わせていない。しかし、ということは、首に爪を立てられたから興奮したということか?なんてことだこいつ、完璧なる変態じゃないか。
「そう言いますけどね、あなただって同じことになったら興奮したと思いますよ」
やおら自身ありげに男が言ったので、俺は困ったように眉を寄せる。実行してみましょうかなんていわれたら、俺はこいつの下半身を思い切り蹴りつけて逃げるしかないではないか。翌日は身の回りにハルヒでも置いておこう、危ないから。
「少しは俺のこと怒れよ」
やや枯れた声をもって咎めれば、男はきょとんと目を丸める。本気でわかっていない様子が憎たらしい。こいつ、本当に何もわかっていないというのか?
「首に爪立てられたんだぞ。一歩間違えれば頚動脈を切ってたかもしれない」
「ああ、そのことですか」
ああそのことですかってお前。完璧自分は関係ありませんみたいな顔してんじゃねえよ。前後不覚の行為中では俺は自分のすることにあまり気がいかないんだ。行為中に相手を殺したなんてしゃれにもならん。
「腹上死もいいかと思ったんですけどねえ」
「ばかやろう」
ベッドサイドにあったティッシュ箱を引っつかんで、それで頭をぼこんと叩いた。痛いですよ、と気の入っていない返事を返され、腹が立ったのでもう一度殴っておく。
ていうか今日は俺が上に乗っかってたんだから、腹上死にはならんだろう。ああいや、ある意味腹上死ではあるけど。…こんなことを普通に考えられるようになった自分が悲しい。
「まあ、腹上死は冗談ですけどね。さすがに僕も、頚動脈を切られそうになったら気付きますよ」
「………」
ほら、と男は俺の手を取って、首に持っていった。俺の爪のあとがついている部分に、再現するように指を当てる。それから、頚動脈はここです、と、少しずれた位置まで誘導した。誘導されたところで俺は何を言えばいいのかなんてちっともわからん。次は切れということか。
「そういうことではなく。あなた、僕を殺したいんですか」
「アホ」
ティッシュ箱を奪われてしまったので、拳を作ってぶん殴る。生憎俺の小さな手ではそこまでダメージを与えられないのだが、何度も殴れば痛いだろう。その前に止められてしまったが。
「アホこいずみ」
古泉は時々、びっくりするほど生々しい死を語る。それは、俺とやってるときであったり、終わったあとであったり、なんでもない日常であったり、本当にふとした瞬間だ。幸せと思われるようなときを過ごした後に、必ず古泉はこんなことを言う。せっかくいい気分になっていたというのに台無しだ。わざとやってんのか。
「そんなことは、ありませんよ。ただ考えてしまうだけで」
「考えるって、何を」
腕を伸ばして古泉の鼻をつまんだ。やめてくださいよ、といつにも増してアホらしい声音が鼓膜を震わせる。あんまりにおかしくて俺の腹筋がやばいからもう離してやる。
汗でぺたつく肌が、まるでガムテープのようにひっつきあって離れない。そろそろシャワーを浴びたいところだ。なんか今日は無駄に引っ付いてくるから、シャワールームまで引っ付いて来かねない。
「あなたといる僕は、幸せすぎていつか死ぬんじゃないかって」
「はあ?」
間髪いれず突っ込んでやった。
古泉の、まああなたならそう言うと思ってました、的な表情が気に食わず、また鼻をつまんでやる。やめてください、と二度目の抗議。いやそうな口ぶりをするくせに嬉しそうな顔をするのはどういうことなんだろうな。マゾか。
「人はいつか死ぬだろ」
「そうですけど。ただ、あまりに僕が幸せすぎるから」
「アホ」
極力エネルギーを消費しない罵倒を口にしてから、古泉の頭をもう一度叩いた。どんどん脳細胞が死んでバカになるがいい。アホは治らないらしいからな。
だいいち、生き物をつくる作業をしている最中に死ぬことなんて考えてるんじぇねえよ。
「生き物を作る作業って、あなた」
やかましい。
そんなバカなこと考えてる暇があったら、俺と、今はいないけどいつかできるだろう子供のことでもしっかり幸せに出来るように考えてろよ。
そう言って爪あとにかじりついてやると、古泉は泣いてるみたいにわらった。
暫/甘ったるいニルバーナ
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