よたよたと、見ていてこちらの心臓が冷えるような足取りで歩く彼女の後姿が非常に恐ろしかった。
いくら理性が強いからと言って、それがアルコールに勝てるかと言うと否だ。彼女は非常にアルコールに弱い。びっくりするほどに。それが、まだまだいけるなんて軽口と共に瓶一本を消費しようとしたものだから最早笑い話だ。
もうやめましょうよと忠告したにも関わらず、彼女は結局瓶を三分の二ほど消費して見せた。缶一本にも満たないうちにダウンしてしまういつもに比べたら大進歩だ。良くない方向への。しかも度数が十超えときた。どうして今日はそんなに飲んだのか。
いやなことでもあったんですか、と彼女の肩を支えながら言ったら、彼女は、「別に。放せ」と実に端的で僕を否定する言葉を発して、ああして千鳥足でコンクリートに靴を打ち付けて歩いている。
僕が揺れる体を支えようとすれば嫌がるものだから、僕は何をすることもできずこうして後ろからその危うい足取りを見つめることしかできない。歯がゆくて、悲しい。彼女を怒らせるような何かをしてしまったのだろうか。
それでも彼女の足が向かう方向は僕の住むマンションなのだから、心から怒っている、というわけではなさそうだ。これは「拗ねる」に分類されるくらいのものなのだろう。彼女の一挙一動にこんなにびくびくして、嫌われるのを恐れている僕はなんと愚かなことか。背後で僕がこんなに、心もとない表情を浮かべているなんて、彼女は知る由もないのだろうけど。
マンションのエレベータに乗り込んでも、彼女は僕を見なかった。鏡に反射した僕の姿はびっくりするほどしょぼくれていて、彼女の背中は感情を漏らすまいと言わんばかりに凛としている。
なだれ込むように僕の部屋まで到着し、鍵を開けた瞬間、彼女はつまづいたように足を踏み出した。
かたんと小さい音を立てて靴を乱暴に脱ぎ捨て、フローリングの床を蹴飛ばすように進む。相変わらずふらふらとした足取りが怖くて怖くて支えてあげたいのに、その背中は僕を拒絶するようだった。
追いかけると、彼女はどこに目移りするわけでもなく、一直線に僕の自室へと向かう。鍵のかかっていないドアを開けて、すぐ目の前に広がるベッドにダイブした。ぽすん、と軽い音をたてて彼女が沈み込む。僕も部屋に入り、ドアを静かに閉める。
彼女はそのまま身をよじらせて、体にまとわりついたボレロを乱暴に脱ぎ捨てた。薄い生地のワンピースが捲くれあがって太ももが晒されているのだが、僕は何か注意を投げかけるべきだろうか。赤くなりそうな顔を抑えて、彼女に近寄った。
ベッドサイドに座り込み、彼女の髪の毛を撫でる。長かった髪の毛はばっさりと切られ、白いうなじが窓から毀れる月明かりによく映えた。彼女は何も言わず、ただ僕に背中を向けるだけ。
「……すみません。僕は、あなたを怒らせるようなことをしたでしょうか…?」
耐え切れずそう言った僕に、彼女は数秒の沈黙を返した。じいっとしかめられた眉と、悲しそうに細められた瞳が僕に振り返る。ああやっぱり僕が何かしたんだろう、けれど思い当たる節がいくつもない。ひとつもない。彼女はうっすらと涙をたたえた瞳を僕の瞳にかちりと合わせて、おまえにこころあたりがないならいい、と小さく呟いた。
これはよくない兆候だ。彼女が一度決めたことを言わなくなるのはとうの昔に学んだこと。彼女は再び僕に背中を向けて、安らかな息をし始めた。寝るつもりなのだ、と思い、無理にでも聞き出そうとする。
身を乗り出して彼女の体を囲むように腕をつく。彼女はいやそうに体をよじった。薄いワンピースの胸元から、白い谷間が除く。ああ、これもよくない兆候だ。こんな緊迫した状況だというのに、僕の中の劣情がひどく鈍く現れ始める。
体を密着させていると悟られそうだったから、体を離した。彼女は猫のように丸まって、ぴったりと膝が胸につくくらいに足を曲げて腕で抱え込む。これ、横じゃなくて縦から見たらひどくいやらしい恰好なんだろうなあ。
ずぐりと疼く熱を抑えたくて、シャワーを浴びたくなって、部屋を出ることにした。彼女は意地でも寝ようとしているらしく、僕がベッドから腰を上げても何も言わない。目を瞑ってじっとしている。
やれやれ、と彼女が頻繁に使用する言葉を頭の中に思い浮かべながらドアノブに手をかけ、振り返った。
……見るんじゃなかった、と思った。
スカートは捲くれ上がり、太ももを大きく露出させているだけでなく、派手すぎない下着が姿をのぞかせている。いつも僕が抜き差しを繰り返している部分も下着に覆い隠されているくせに大きく露出されていて、膝が抱え込まれているものだからもう、たとえるなら磯野家の娘のような露出度で、頭の中がぐらぐらして。もう、全く彼女は、僕の中の獣をいとも簡単に呼び起こしてしまうのだ。
ゆらりと近づいて、彼女の足元、空いたペースに腰を落とした。僕が再び、今度は位置を変えて座ったことに気付いた彼女が瞼を開き、怪訝そうなまなざしを向けてくる。ずきずきと頭が痛くなるような欲情。近いところから見たせいか、彼女も僕の欲に気付いたらしい。はっと瞬きをして、頬を赤らめ、
「……今日は、やだ」
と小さく呟いた。
逆に僕を煽るような口調なのだからやりきれない。
わかってます、と僕も呟いた。彼女は怒ると、極端に僕とのセックスを嫌がる。それで諦めることもあるし、無理矢理致すこともあるし、日によってまちまちだ。しかし今日ばかりは、無理矢理はいけないだろうということがなんとなく僕はわかっていた。
「ひとりで、処理します、から……。あなたの、体、使っても、いいですか」
目の前に欲情の原因が転がっているのに、トイレか風呂で独りで処理するのはいささか寂しい。見るだけでも十分だろうし、このくらいなら許してもらえないだろうか。僕のちいさなお願いに、彼女はぶっきらぼうな返答を返した。
「……好きにしろ。俺は寝る」
吐き捨てたように言ったかと思うと、再びぱたりと瞼を伏せる。眠るつもりなのだろう。逆に、目を閉じてるから勝手に処理しろ、とでも言っているような気もする。僕と違って彼女は僕の一人遊びを見たがったりはしない。
ありがとうございます、と呟いて、ズボンのファスナーを下ろした。すでに硬度を持ち始めているそれを左手で掴む。目の前の白い足に、僕の吐き出した精液がかかっていたことを思い出す。あれはひどく淫らだったっけ。
それだけで簡単に首をもたげはじめたものを嘲笑しつつ見下ろし、ゆっくり手を動かした。鈴口に親指を引っ掛けて上下に動かすと、先走りが溢れてくる。指の隙間に流れ込み、動かすだけでくちゃりと音を立てた。
好きにしろ、と彼女が言った言葉を、自分の都合の良いように考えていいだろうか。ようは、彼女とセックスを、しなければいいだけなのだから。
スカートをさらに上に押し上げると、彼女の体がぴくんと動いた。あくまで寝ているつもりらしい。それならそれで、と割り切って、下着のふちに手をかける。すす、と下にずらしていくと、いつも見ている淫らな部分が姿を現した。寒さか怒りか、ふるふると彼女の肩が震えているのが視界に入るが、あえて反応しないでおく。
その部分を見るだけで、いつもそこにこの尖りをいれているのだということだけで、無茶苦茶なほどに興奮した。ぬめりを借りて手を上下させ、音が鳴るのも構わず動かす。だけど、まだ。まだ少し、足りない。濡れていない右手を恐る恐る伸ばし、割れ目にそっと触れさせた。
とたん、彼女が起き上がって真っ赤な顔で僕を睨みつける。
「お、まえ!」
恥ずかしそうに声を上げたが、僕のあまりにもマヌケな恰好に気を削がれたのか、ああもういいなんでもいい、と投げやりに言って再びベッドに沈む。
けれど、僕は少しだけ目を見開いた。右手の人差し指が触れるその部分が、薄っすらと濡れている。わざと音を立てるように指をつけたり放したりすると、にちゃ、と小さな音がした。
その音に気付いたのだろう、彼女がぎゅうっと眉根を寄せて顔を腕で覆うのが見える。ああ、ばかみたいに興奮する。にちゃ、にちゃ、と指を浅く入れたり抜いたりを繰り返して、その指を舐めてはまた入れて、は、と彼女が小さく漏らしたあつい吐息に興奮して。
指を増やして、彼女の入り口を押し広げるようにすると、入り口はひくひくと震えた。液体が伝って太ももを流れていくのを見ながら、唾液を飲み込む。赤くて温かそうな中が見えて、やはり頭痛がした。いれたい。いれたくて、しかたない。興奮冷めやらぬまま、彼女のもので濡れた指を、すっかり反り返った僕のものに当てる。
両手を使って擦り上げると、いとも簡単に達した。
それを適当にティッシュで拭って、下着の中におざなりにしまいこみ、ズボンのファスナーを上げず、ベルトも締めず、中途半端にだらしない恰好のまま彼女の体を囲むように手をついた。ぶるぶると震えながらあくまで眠っているふりの彼女。もじもじと膝をすりあわせている様が可愛らしくて仕方ない。
「ねえ、」
わざとらしく耳に吹きかけるようにして言うと、彼女は瞼を薄く開いた。ぱちぱちと、小さく瞬きをするだけで涙がこぼれそうで、彼女は再びぎゅうっと瞼を伏せる。
彼女の秘部が濡れていたのは酒によるものだろうか。耳にくちびるがあたるくらいの距離で声を出すと、彼女は大げさなほどに震えた。
「いれたい」
その拍子に唇の間に挟まった耳朶をやんわり食むと、彼女は、
「………ゃ、う」
なんて、僕の劣情を引き出そうとしか思えない声を出し、身をかたくする。
「……いれたい。いれたい、です」
既に熱を持ち、下着を押し上げはじめたものが彼女の腰に当たったのがわかったのだろう、顔を真っ赤にした彼女はふるふると頭を左右に振っていやがった。そんなに嫌がられると悲しいのだけど。しかし、本心から嫌がるのならば離れろととっくのとうに言われているだろう。中途半端に許された距離が苦しい。
彼女の下腹に手を伸ばし、まだ濡れているそこに指を浅くいれた。そのまま円を描くように動かすと、彼女はついに泣き出す。
「ばか………っ」
「すみません、そんなに嫌だとは思わなくて、」
すぐにつぷりと指を抜くと、彼女はやはり頭を振った。どっちなんだ。
蚊のなくような声に引かれて、彼女の口元に耳を寄せる。僕の髪の毛が触れてくすぐったかったのか、ふぇ、と小さく声を漏らした彼女は(半端なく愛らしかった)ぼそぼそと以下の通りのことを口にした――曰く、今日の飲み会で、僕に複数の女性の視線が向かっていたこと、僕がその女性のうちの一人に触れたこと、帰ろうと言ったのに帰らなかったこと、それが嫌だったのだと(ああだからあんなにお酒を)。
弁解させてくださいと早口でまくしたてた。複数の女性の目が向けられていたことには気付いていたけれど僕はあなたにしか興味が湧かないこと、女性のうちの一人に触れたのは、その女性が僕に必要以上に接触してこようとしたから突き放しただけだということ、帰ろうと言ったのに帰らなかったのはあなたが楽しそうにしてたように見えたからだと。
「帰ろうって、い、ったじゃんか!」
「すみません。その、てっきり僕に気を遣っているんだと思って」
「ふっ、ぅ、ちが、」
ぐしゅぐしゅと涙を流す彼女を頭ごと抱きしめて、背中を撫でた。僕たちお互い半裸のような状態で何をしているんだか。彼女は、ばか、もう二度と飲み会なんかいかない、最後におまえこのことが好きなんだ、と、僕を撃ち殺すような魅力的な言葉で締め括って口を閉じてしまった。
差しあたっての問題は消えたようだ。すっかり怒りを消沈させた彼女と、不安が一気に解消された僕。隔てるものは何もない。あるとすれば、僕の熱を覆い隠している下着の布、くらいだろうか。
手を伸ばして彼女のわき腹に触れて、そこから下ろしてまた濡れているところに触れると、彼女は今度は怒らなかった。
「…いれても、いいですか」
「………好きにしろ」
ありがとうございます。その呟きと共にずらした下着から溢れた熱は、やはり熱を孕むその部分に押し当てられる。待ち望んだ熱に、体の底から歓喜した。
20080323/メイル・メルト・ダウン
(溶ける)
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