こわかったらいってくださいね、とそいつは優しくささやいた。
男に優しくされるのは苦手だ。と言うのはただの建前で、本当は古泉に優しくされるのが苦手なだけだ。
こいつは、もしかして全身が砂糖で出来てるんじゃないかと思ってしまうくらい、甘い。甘ったるい。無糖コーヒーが好きな俺にとって、こいつの甘さは毒にも匹敵するような気がした。
怖かったら言ってくださいね、なんて卑怯な言葉だ。
事実、俺は既に怖い。かたかたと震えている指先を、あいつは知覚しているに違いない。だというのに、俺が自分から言い出さなかったら行為を続けようとしているのだ。その、選択肢を中途半端に与える姿勢が気に食わない。
怖ければ怖いと口にしてみせるくらいの勇気は持っているはずだった。なのに、今はどうしてだろう。口にしてしまうのがこわい。俺がこわい、とただ一言口にすれば、こいつはやめてしまうんじゃないのかって。
だから俺はこうして、手を伸ばして古泉の背中に触れて、かすかに爪を立てて、こわくないと口にする。

「…そうですか」

意味ありげな声とともに、指が進入してきた。ヒッと鳴る喉に噛み付いてくる。こいつが肉食動物だとすればさしずめ俺は草食動物だろうか。なす術もなく噛み付かれているのは癪なので噛み返してやろうかと思ったが、そんな余裕すらも出てこない。殺意を感じ危険を察知した草食動物は恐ろしい力を発揮して逃げると言うが、俺はどうやっても逃げられそうに無い。
マグロのままはいやだと思いつつも、事実動けないでいた。やっぱりこいつは、ちょうのうりょくしゃ、なのだ。俺の動きを一切封じてしまう。震える指先をどうにかしようと力をこめたら、余計に震えた。そういや人間ってそう言う風にできてるんだった。

「…こわい?」

問いかけてくる声がぞっとするくらい甘ったるかった。腰にくる声だ。ぶるぶると指先が震えて、思わず怖いと言ってしまいそうになった。言ったら、だめだ。言ったらだめだって思うのに、言ってしまいそうになる。

「…こわく、ない」

「………」

いつもの、喉の奥でくぐもるような笑い声が鼓膜を震わせた。
ああこれは絶対、俺が怖がっている、ということをわかっている。悔しい。視線だけで言いたいことがすべて伝えられたら。怖いに決まってるだろうがバカ、とめいっぱいで表現したつもりだったが、軽く流された。怖いならやめましょうかと、指が抜けていく。たったこれっぽっちの小さい質量にこんなに怯えているんなら、そこから先に進めるはずもない。そりゃ、わかるよ。そうとってしまうのもわかるよ。けどな。

「こわく、ないったら!」

思わず駄々っ子みたいな声が出て自分でも驚いた。
古泉はぱちくりと無駄に大きい瞳で俺を見ると、よくわからない笑顔を浮かべる。どんな表情と言ったらいいんだこれは。びみょう?にがわらい?うれしい?
動きの固まった俺を再び抱きなおして、じゃあ、と抜けかけていた指がまた入ってきた。圧迫感。ひ、と喉の奥から引き攣れた声が出る。古泉の動きが止まった。
ああ違う、違うったら。気付けこのエスパー少年。なんでこんなときに限って察しが悪いんだよ。いや、もしかすると気付いていてやってるのか。たちがわるい。

「怖く、ないんですね?」

さっきからそう言ってるだろう。

「本当に、怖くないんですね?」

だから、そう言ってるってば。

「ほんっとうに、怖くないんですね?」

しつこいぞ。

「……言質を取りましたからね」

――は?
と、口にする前に、ごろんと体を転がされて、あっという間にうつぶせの体勢をとらされた。いつの間にか入っていたものは抜けていて、中途半端に開いた部分が気持ち悪い。思っているとまた入ってきて、怖くないんでしょう、と念押しされた。ああ、何度も怖くないと言ったとも。男に二言は無い。と思う。しかし毎度思うんだが、男に二言は無いって結構女に対して失礼な発言でもあるよな。この、女なら言った言葉を取り消しますよみたいな発言、無礼にも程があるだろうと、こんなときにいらんことを考えた。
ぐいと押し込まれた指先はぬるく、開かれた部分は燃えるように熱い。明らかな力量で押し込まれた指が、奥へ奥へと入り込んでくる。いやだ。無意識下で働いた体、その部分が、古泉の指を排出しようと蠢く。

「……いたい」

古泉が呟いた。もしかすると、俺に問いかけていたのかもしれなかった。ぼんやりにじんだ俺の頭はその言葉をうまく拾ってくれず、俺はうあ、と気の抜けた声を上げて、振り返ることもできないまま下腹に力をこめるのみ。
古泉がぐっと上体を倒してきて、俺の背中に胸をぴったりと押し付けた。どくんどくんと拍動している心臓が、俺の心臓に重なった気がした。

「緊張でしにそうですって言ったら笑いますか」

舌がうまく回っていないみたいな問いかけ。
俺はふっと腹から力を抜いて、その間を狙った古泉の指が入り込んでくる感触に眉を寄せつつ、笑えないさと呟いた。ああ笑えないとも。緊張どころか幸せでしにそうですって言ったらお前はどんな顔をするんだろうな、見てみたい、けどなあ。










20080808/彼らの死ぬ理由