幼い頃の夢はテレビの中を駆け抜けていくヒーローだった。
だがしかし、子供のように華やかな夢かと思えばそうでもなく、ヒーローならば別にリーダー格であるレッドとかなんとかじゃなくて、目立たないイエローとかグリーンでもよかったのだ。今更ながらだが、戦隊ものをご存知だろうか。だいたい5人組で毎回悪役と戦うやつな。
そんな変なところで達観していた俺も今では高校生、進学調査書の進路先に悪役と戦うヒーローなんて書いて提出した日には、校内放送で呼び出され小一時間は説教をくらうだろう。
「あんたの夢って何?」
いつもどおり、後ろの席から頭を伸ばして俺の進路調査書を覗いてきたハルヒに、さてどう言ったものやら、と考えつつ白紙のそれを差し出す。「書いてないの?」当たり前だ。つい十秒前ほどに配られた紙に突然進路先を書けるほど、俺の思いは確定していない。
お前はどうなんだと問いかければ、ハルヒは胸を張って紙を差し出してきた。書くのが早すぎる。
見れば紙面には、ハルヒらしい自信が溢れる字体でこう書いてあった。
『大統領』
『総理大臣』
『長者番付』
「…………………」
「ほんとはね、神様になりたいとか、そんなことを書くつもりだったわよ。でも、神様なんて職業無いでしょ?天皇は血筋の問題で無理だしね。うん、あたし、結構いいこと書いたと思うわ」
こいつは天才という名の馬鹿だ。
テストの点数はろくに勉強もしていないくせに授業も耳に入れてないくせに無駄に良く、頭の回転も早い。俺ですら秀才と認める古泉には一目置かれているし、さらりとオイラーの定理だなんてことも口にする。
普通に過ごしていれば世間で言われる勝ち組とやらにカテゴライズされていたのだろうな、と思いつつ、俺は紙を返した。
「何よ、何か言いたいことがあるならさっさと言いなさい」
「………いや、あえて言わないでおく」
ハルヒは何事も無かったかのように俺から離れると、椅子に深く腰を下ろしてふんぞり返る。
「でもさ、面白いわよね。皆の将来を聞いてみるのって。まあだいたい想像つくけど」
あんたはただのサラリーマンだわ、と続けられ、俺は自分の数年後の未来を想像してみた。ただのサラリーマン、響きは地味だが安定感がある。それで安定した収入で、嫁さんもらって安定した夫婦生活を送って、子供もできて、庭には白い犬がいる、いいじゃないか、サラリーマン。――…自分の想像力のすごさに少しだけ引いた。
「みくるちゃんはメイドさんとか、料理家とか、お手伝いさんよね。有希は印刷会社かしら?小説家っていうのもいいかも。批評家も似合いそうね。古泉くんは………」
「………古泉は?」
「……………」
ハルヒは途端に浮かべていた笑顔を引っ込めて腕を組む。机に肘を落とすと、木目を睨みつけるように視線を下げた。ハルヒが黙ってしまった理由。俺もわかる。古泉の将来なんて想像がつかないからだ。
機関に属しているというイメージが強すぎて、それ以外に何も浮かんでこない。しかし、いつまでもあいつも機関にいるなんてことはないだろう。ハルヒの力が永久持続するものとは限らない、とも言っていたし。俺にはその先入観のせいで何も浮かんでこないのだが、ハルヒにも浮かんでこないとなるのならば相当なのだ。
「あ、でも、科学者とか?」
「………あまり想像つかないな」
試しに俺の想像力を持って想像してみた。古泉があのニヤついた笑顔で、試験管片手にさらにニヤニヤしている図を。実に気持ち悪かった。
「………あ、ホストとか」
「お前、本当にそんなこと思ってんのか」
ホストの古泉なんて想像したくないね。『今宵はあなたを帰したくない』とか言って手にキスを落とす古泉を想像してさらに気持ち悪くなった。確かにあいつのツラはいいさ、ホストの職業だって似合うだろう。外面だけなら。性格面も考慮して発言してくれ、ハルヒよ。あんな絵に描いたようなフェミニストは今時流行らないぞ。
「じゃあ、わかんないわよ」
「何故俺に怒る」
全く理解不能だ。
ハルヒはむむむ、とまた考え出し、ついには口を閉じた。静かになってくれて俺は嬉しい限りだがな。
しかし、俺も気になった。古泉が将来何になりたいのかを。俺だって将来どうこうしたいなんてことは決まっていないので、別に無理に聞くつもりも無かったが。
「そうですね、まだ、未定です」
だろうな。
俺はこくんと頷き、椅子に腰を落とした。ハルヒに教えておいてやろう、古泉の進路先はまだ未定だと。
またレトロなボードゲームを取り出し、1人遊びを始めた古泉に視線を向け、俺はしばらくその無駄に整った顔を見つめた。男にしては儚い印象を受ける線の細い顔。俺とは無縁の世界にいるような空気を持っている。こんな奴が小さい頃俺みたいにヒーローになりたい、なんて思っていたのだとしたら、途端に親近感が湧くんだろうな。
「…僕の顔に、何か?」
「ああ、いや。気にするな」
「はあ………」
手元をおろそかにしたのが悪かったのか、手にしていた駒がコロンと転げて机の上を転がっていった。それを止めて、古泉に手渡す。ありがとうございますと古泉が口にするよりも早く、先に言葉を紡いだ。
「じゃあ、小さい頃の夢って、何だったんだ?」
驚いたらしい古泉が目を見開くが、俺の言葉に真摯に答えようとしているのか、すぐにいつもの困ったような笑顔を浮かべて駒を手に取り、掌で遊ばせる。
「…小さい頃の、夢ですか…」
「別に言いたくなければ、あったとか、なかったとか。それだけでもいいぜ」
「………」
口元を覆い、珍しく笑顔を消して考え始めた古泉を見ながら、俺はテーブルの上に広がったボードゲームの駒をころころと転がした。俺の幼い頃の夢。今では思い出すと微笑ましさすら覚えるが、古泉が幼い頃からリアルな夢を抱いていたとしてもいやだな。将来は宇宙飛行士になりたいですー!とか言う古泉を想像して無性に泣きたいきもちになった。いろんな意味で。
ああ、こいつなら、学者とか教師とか、そこらへんがいけるかもな。なんせ特進だ、先入観があるのは仕方ないが、外見も中身もそれっぽい。それにしちゃあ無駄にフェロモン撒き散らしすぎな気がしないでもないが、たまにはそんな教師がいたっていいだろう。
「……実を言うと、もう、叶っているんです」
「は?」
駒が俺が顔を上げた拍子に転がり、ボードの端にぶつかってカチンと音を立てた。もう叶っている?どんなかたちで。実はお前そんなツラして就職してたりするのか。この学校には年齢詐称して入ってますとか言っても俺は多分驚かないぞ。
まさかそんなはずがありませんと両手を挙げて否定した古泉は、くしゃりと泣きそうな笑顔を浮かべた。
「ヒーロー、に」
ヒーロー?
「そう。ヒーローに、なりたかったんです、僕」
よろよろ、よたよた。そんな感じで駒をボードの上に置いて、手持ち無沙汰になった両手をあわせ、テーブルの上に肘をつく。
突然のことに思わず声を出すことを忘れて黙り込んだ俺に、古泉は笑った。
「ヒーローの広義に入るのかもわかりませんが、ほら、僕、戦っているでしょう?」
俺は曖昧に頷く。戦っている、という言葉がなんだか幼稚でかわいらしく思えた。
「きっとこういうのも、ヒーローって言うんだろうなあ、と。そう考えると僕の幼い頃の夢は、叶っているんですよね、不思議なことに」
それは喜んでいいのか、と問いかけようとしたけれど、別段悲観しているような物言いでもなかったので、俺はそうかと呟いた。
ヒーロー、か。こいつも。やはり男児であれば一度は夢見るであろう特殊な職業。ただしこいつのは子供だましでもなんでもなくて、本当に世界の崩壊を目の前にして戦っているわけで。
地位も名声も与えられないけれど。
がんばれと応援する子供はいないけれど。
「……負けんなよ」
拳を作って古泉の肩を叩くと、古泉の目が見開かれた。負けんなよ古泉。お前が負ければ世界が崩壊とかそういう大規模レベルの話じゃねえんだ。SOS団の一部のお前が、お前が欠けるなという意味での負けんなよという言葉であると、気付けよ、俺は恥ずかしくて言えないだろうから。
黙っているのも恥ずかしくてもう一度肩を叩いた俺が再び顔を上げると、澄んだ瞳とかち合った。水分を大いに含んだ瞳は揺るがず俺を見る。古泉の泣き笑いみたいな表情を網膜に焼き付けて、俺は飽きるくらいに、負けんなよ、と呟いた。
20080808/がんばれヒーロー
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