体は疲れていて睡眠を欲しているというのに、頭は起きていて活動を望む。時計を見るともう日付変更線をゆうに跨いでいて、次の数字まで飛んでいた。寝なければ明日辛いのは俺だとしっかり理解しているのだが、眠れないときにはとことん眠れない性質であることも十分理解している。起き上がり、隣のやつを起こさないようにベッドから出た。近場にあったシャツを掴み、とりあえず肩にかける。下着だけつけた状態では恰好がつかない。
体の節々が痛く、指先と足先はひんやり冷たかった。さんざ運動した後にろくに体を温めず眠ってしまったことが原因だろう。隣に人間湯たんぽはいたが、珍しく体が離れていた。そのせいだろうな、手足が冷えたのは。おまけにクーラーはつけっぱなし、タイマー設定もしていなかったから、あまり体によくない温度でずっと冷やされ続けてしまったわけだ。寒さで目が覚めたと言っても差し支えは無いだろう。
体温が冷え切ってしまったあとは逆に眠りづらい。このままベッドにゴーバックしてもろくに眠れやしないに違いない。風呂に入る、のもまあいいんだが、案外湯沸かし器の音がうるさかったりするんだ。前に同じことをしてあいつが起きたことを覚えている。
確か最近はろくに眠れていないということを言っていたから、できればゆっくり休ませてやりたい。かりかりと頭を掻いて、寝室を出た。しっかり閉じられていたドアを慎重に開け閉めする動作もなんだか慣れてきたというのが物悲しい。
ああなんか小腹まですいてきた。
キッチンに出て、流しの小蛍光灯をともした。水まわりだけが妙に明るい空間では心もとない。やっぱキッチンの電気だけつけちまおうか。リビングと繋がっているが、こないだ少しだけ改装してキッチンがある範囲のみに電気がつくように変えたから、その電気を有効活用させてもらうことにする。
しまいっぱなしだったまな板を取り出して洗い、包丁も軽く水で濡らした。水気をきったあと、冷蔵庫をそっと開ける。毎度ながらあまり食材は無い。今からだったらあまり火の通りが悪いものは使わないほうがいいだろう。麩とねぎだけでいいか。
湯を沸かし、その間にねぎを切る。沸いてきたのを見計らってだしを放り込み、冷蔵庫からパックのみそを取り出した。本当はまとまった奴をドンと置いておけば量の調節もできて楽なんだろうが、あいつ自身に料理をするという概念がからきし無いので仕方ない。ちなみにこのパックのみそは買って来いとおつかいに行かせたところ、これでよかったですかと自信満々な顔であいつが俺によこしたものだ。買いなおしさせようかと思った。
みそを湯に溶かし、味の確認をする。少し濃いな。水を足し、また沸騰するまで待つ。料理のスキルはあまり高くない俺だが、さすがにあいつ相手だと多少はできる気になってくる。あいつに不要なものは何だと聞かれたらとりあえずキッチンは挙げようと思う。
湯が沸騰した後、麩とねぎを投入した。すぐに火を弱める。おたまで混ぜて、また味の確認をして、十分麩に汁が浸透したのを確認すると、火を消した。火を消す直前くらいにみそを入れるのがいいって誰かから聞いたんだが、できれば食材に味がしみこんでるほうが好きだからな、俺は。香りが飛ばない程度の熱量で煮込むのが定番になっている。
水屋からお椀を取り出し、適量を入れた。あんまり飲みすぎると腹がたぷたぷになるからな、少なめじゃないと。このくらいか、と小さく呟いて味噌汁が入った小ぶりの鍋に蓋をした瞬間、キッチンのドアが開く。
「おはようございます……」
しまりのない表情の古泉一樹が姿を現した。俺と違ってきちんと身に服を着用している点(※こんなところで俺の全身を説明するのもなんだが、今の俺は上半身にシャツを引っ掛けているだけの状態である。)は評価できるが、その死にそうな表情はなんとかならんのか。
「おはよう。つっても、まだ一時半だぞ」
「あ、お、ひるのですか……?」
がっこうが、と呟いたそいつにおたまを投げてやろうかと思ったが、寝起きはいつもこんな感じだったなと思い出してやめた。ばか夜のだ夜の、ときちんと教えてやれば、そいつは若干驚いたように目を軽く見開く。
よるのですか。ああ夜だよ。結局起こしてしまったなと軽く反省していると、そいつは近づいてきて俺の肩口にもたれかかってきた。まだ眠いのだろう、寝てろよ、と言ってやっても、ぐりぐりと額を押し付けられるだけに留まる。
「ばか、寝ろ」
「いやです……」
こいつは一度起きたら時間を置かないと眠れないタイプなのだと自分自身で気付いているのだろうか。なんで起きたんだ、俺うるさかったか?と問いかけると、古泉は肩口に額を押し付けたままふるふると首を横に振った。首筋に髪の毛が当たってくすぐったい。
「起きたらあなたがいなくて……おみそしるの匂いがして……それで……」
どっちにしろ俺のせいか。溜息を一つ吐いて、そりゃ悪かったなと呟く。顔を上げた古泉は情けない表情で、また首を横に振った。あなたのせいじゃないんですと言われても、まあ確実に俺のせいだろう。
古泉の手が俺の手に触れた。まだ俺の指先は冷たい。逆に古泉は今までしっかりベッドの中にもぐっていたからか温かく、俺の指先をじんわりとあたためた。人間湯たんぽ、言いえて妙だ。思わず指を絡めると、嬉しそうな表情。
「おなかすいたんですか……?」
「ああ、うん。まあ……一応」
腹が減っていたのもあるが、本当は体を温めたかっただけだ。ホットミルクとかそういう気分ではなかった。腹を満たすという点でもいいじゃないか味噌汁。みそのパックを捨て忘れていたことに気付き、古泉の指を放してみそのパックをゴミ箱に放り投げる。
古泉はまた俺の肩口に、今度は後ろから額を寄せると、僕もおみそしる欲しいです、と言って指を絡めてきた。ほしいなら手を放せと言ってやると名残惜しそうに離れていく。
リビングに行きますかと言われたので首を振り、キッチンの隅っこに腰を落として味噌汁を口にした。箸を洗うのも面倒だったので、古泉と分けて一本ずつ。ようは麩とねぎが食べれればいいんだから、別に一本でも苦ではない。取れなければ流し込めばいいだけだし。
おいしいです、と古泉が呟いた。そりゃあよかったな。だしとみそと麩とねぎのおかげだろうと口にすると、あなたが作ったから、と嬉しそうな顔。適度に温まった腹をさすると、古泉が俺を抱き上げた。もう眠りましょうと言われて時計を見れば既に二時。こいつにしては懸命な判断だと思い、お椀は水につけて流しに放り込んでおいた。
温かい。腹は温かいし古泉が触れているところも温かい。手足はまだ寒いかもしれないが、きっとベッドに行ったらここぞとばかりにこいつは手足を絡めてくるんだろう。明日の朝は味噌汁の残りでも食わせりゃいい。ああ、楽だな。
優しく横たえられたベッドの上で、俺は古泉の腰に腕を回す。一本の腕が抜き取られて、半ば強引に絡め取られた。ワルツでも踊ってるみたいだ。横向きで。変な体制だと笑うと古泉も笑う。みその匂いがするまま眠るなんて妙な気分だと呟いて、瞼をそっと閉じた。すかさず瞼に落ちてきた唇まで温かい。
「おやすみなさい」
「ああ、おやすみ」
今眠ったらどんな夢を見るんだろう。
とりあえずは、幸せな夢に違いない。そう考えて、俺は笑った。
20080827/みそしるのはなし
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