正直俺は生きていくのに芋ともやしと豚肉と米があれば生きていけると思っている。しかしそれを目の前の彼に言おうものならグーパンチではすまない何かが返ってきそうであったので、俺はそれを言わない。目の前で魔法のように作り出されていく料理をさも素晴らしいといわんばかりに視線で称賛しながら手をぱちぱちと合わせるのみ。手伝えと言われて包丁を握った五秒後に人差し指を二ミリばかし切ってしまったので今は御役御免で傍観者だ。
 オーケー落ち着こう。どうやら俺、しまった間違えた――俺は時々、いやかなりの頻度で一人称を間違える。ああまた――、僕は、たいして互いを知っているわけでもない機関の教育係に整えられた髪形や言葉遣い、態度など(そこに顔のつくりが含まれているらしいことは除いて)でどうやら頭のできがとても良いお子様だと思われているらしいので、こういったモノローグも必死に頭よさげに作り上げているのですが、どうやらその効果は甚だ表れていないようで、僕の成長のなさ、あるいは頭の悪さが窺えます。この世の中に内申点というものを作った人はすばらしい。試験は機関からテストに出題される問題を予め教えてもらって、そこを僕は覚えればいいだけだ。普段の僕の頭の中なんてパーにも等しく、だから課題提出のたびに僕は四苦八苦するわけです。先生に媚び諂ってこいつはいいやつだと印象を与えれば内申は上がりテストの点も上々で成績もオール5をキープしてくれるわけですから。おお機関すばらしい。
 ただ僕はその通り頭のできの非常に悪い子供でしたので、考えるより行動、つまりは直情的甚だしい性格だったのです。それをいきなり物腰穏やか如才ない転校生を演じろと命じられたものですから、僕にとってのその命令は死刑宣告にも同等に感じられました。物腰穏やかってどんなんだ。如才?そもそも如才ってなに?辞書でその言葉を調べたのはそう昔のことではありません。僕は度々学んだことを忘れます。ですから身近に辞書がないとこの優等生ヅラはやってられません。携帯の中に辞書を組み込んだ人も僕は天才だと崇めましょう。
 ただ僕は自分への害あるいはその他諸々の災厄的な何かが降り注ぐ際にはいつでも逃げられるよう、話を長引かせて誤魔化す能力にはなぜか長けていました。そのため僕の中身の無い話でも、頭よさそうな響きを持った難しい言葉を乱用して、適当に文章を繋げて話していればいつだってああこの人頭いいんだな、という印象を植え付けることができたのです。哲学などはその最たるものでした。適当にお偉方の名前を出してその偉業を口にし、煙に巻くような態度を取れば話がいつの間にやら終わっているのですから。
 しかしそれに違和感を覚える人はいました。かの人の具体名を挙げるのは僕の心情的にもそれとなく憚られるのですが端的に言えば僕と同い年、そして且つ成績――ここでの成績は僕の機関による工作を除いた成績とします――が似たり寄ったりな男子でした。よりにもよって、成績の悪い、どこにでもいそうな、男子。響きだけではあんまりパッとしませんが、その彼に付属するものを挙げていけばただの男子ではないことがおわかりいただけるでしょう。
 本名とはかすりもしない珍妙なあだ名をつけられ、それを皆に布教され、顔は綺麗なのに頭のネジがぶっ飛んでしまっている女性にとっ捕まえられ奇妙な団体の一員にされ、宇宙人未来人超能力者に囲まれて日々を暮らしている彼だと言えばさらに詳しくおわかりいただけるでしょうか。
 とにかくまあ、その彼が、僕がこうして虚構だらけの言葉態度諸々で自分を覆い隠していることに気付いたひとりなのでした。宇宙人の長門有希はとっくのとうに、それこそ僕が工作に塗り固められたその時点からお気づきだったかもしれませんが、彼女はそもそもリアルな人間ではないので勘定には入れないことにします。朝比奈みくるは、彼女も未来から来ているのでもしかすると僕のこんなアホで救いようの無いところにもお気づきかもしれません。もしかしたら将来僕はうっかりミスを犯してパーなところを皆さんにお見せしているかもしれない。だから僕は朝比奈みくるに関しては気付いているかもしれない、という想定で話を進めていこうと思います。そして問題の涼宮ハルヒですが、彼女に関してはほぼ百パー気付かれていないと思っても差し支えはないでしょう。だって彼女は頭がいいくせにバカなのです。謎の転校生というただそれだけの属性を求めるばかりで僕なんか見ちゃいない。だから僕がそれとなくミステリアスな言動をしていればそれだけで満足し、深く意味までとらえようとは思っていないのです。機関の調べでも正体はばれていないとの結果が出ました。
 しかし、彼だけは。彼は不思議な人です。どんな調査法をもってして調べても、ふつうというひらがな三文字しか結果が出て来ないにも関わらず、僕を含むイカレ団――SOS団でしたすみません――の中でずばぬけておかしな人なのです。それはもちろん電波系とかそういう意味ではありません。強いて言うならば洞察力でしょう。ある種の超能力なのではないかと僕は度々疑いますが、どうやらそうではないようです。実は俺超能力者なんだといわれても恐らく僕は驚いたりしないでしょう。驚いた演技だけはするかもしれませんが。

 と、以上のように無駄に長いモノローグをした時点でお気づきかとは思いますが、僕はこのようにどうでもいい話を長引かせることが大の得意ごとなのです。長所はと聞かれたら饒舌なところと言うしかありません。あとは顔ですか。自分で自分の顔が良いなんて普通の人じゃ言わないかもしれませんが、この顔を武器にして今まで何回もの修羅場を潜り抜けてきた僕は多分普通ではないので、自分の顔だって長所扱いしてみせるのです。
 さてこれもどうでもいいことでした。それでは話を改めまして、今の僕の状況をお教えいたしましょう。目の前に彼がいます。それはモノローグの最初のほうにも言ったとおりなのですが、彼はその僕よりも少し華奢な体――これで僕より一キログラム重いだなんて信じられません――に黒いエプロンを引っ掛けて、大きな鍋をぐるぐるとかき混ぜていました。勿論魔女が怪しげな薬を作る際に用いるようなあんな大きなものではありません。僕の片腕を周囲の長さとする程度の小ぶりなものです。それでもまあ、鍋の中では大きな部類に入るでしょう。
 とにかくその鍋の中にとぷとぷ野菜やら肉やら固形ルーやらを入れ、ぐるぐるとかき混ぜているのでした。非常においしそうな匂いがします。手軽に作れて栄養もほどほどに摂取でき、野菜・肉・米のバランスもそれなりに良い、総括するにこのカレーは、一人暮らしをしている僕にとって非常に心強い味方となるのでした。しかし残念なことに僕の料理の腕はお粗末なものでして、誰かに横から教えられていればなんとかできるのですが、本を見たり作り方を大雑把に教わっただけでは当初の目的とは全く違ったものになってしまうため、こうして僕の腕を見かねた彼が週一でつくりにきてくれるのでした。訂正、無理に僕が連れて来させるのでした。
 報酬はとくにありません。強いて言うならば僕の称賛くらいのものです。彼は兄貴肌、解りやすく言えば面倒見の良い性格なので、僕が少しだけ頭の弱い、そして料理の出来ないアホでパーなところを見せるとすぐに仕方ねえなあ、なんて言って食材を一緒に買いに出てくれ、そしてマンションに足を運んでくれるのです。僕に褒めて欲しくてのこのこマンションにやってくるのではありません、僕を見かねて来てくださる菩薩にも等しいひとなのです。天上の人と言われても僕は疑いません。いや、やっぱり疑うかも。

「ほれ、味見してみろ」

 つらつらと内容の薄っぺらいことを考えている僕の目の前に、小ぶりな皿が突き出されました。その上には茶色のドロリとした液体が無造作にのっかっています。オレンジやクリーム色の具が細かくちりばめられているのでそれがカレーと解りましたが、考え事をしている僕は突然の出来事に咄嗟の行動が起こせません。三秒ほど経ってからようやくああはい、なんてのったりした返事をし、その皿を受け取りました。皿の底はじんわりと熱く、目の前にいる彼の瞳とは正反対の温度を有しています。俺が食事の準備をしてやっているというのに目の前で何ボーっとしてんだ、と言わんばかりの表情がそこにありました。全く解りやすい人です。

「いただきます」

「おう、火傷すんなよ」

 僕が皿に口をつけると、途端に興味が失せたように彼の視線がそらされました。そしてこんなところで補足をするのも如何なものかと思いますが、前述で「彼が、僕がこうして虚構だらけの言葉態度諸々で自分を覆い隠していることに気付いたひとりなのでした」というくだり、これはどうにも誤解を生みそうなので早々訂正をしたいと思います。彼は僕の何に気付いているのかというと、僕が実はどこかのキチガイ女――すみません、少しばかり失礼な物言いになってしまいました――涼宮さんの前で演じているような何事にもパーフェクトな対応をこなす人間ではない、というところです。少なくとも僕は敬語があまり得意ではなく、料理だって苦手で、文章を書くことは大の苦手です。それは僕の書く文章、なかでも字体を見ていただければ瞬時にご理解いただけることと思いますが、とにかく僕は涼宮さんの望むような人物を演じているだけで実はそうではないのだと、彼は気付いている、いえ、気付いてくださったということなのです。要約して。

「おいしいです」

「ん、皿こっちに置いとけ」

 僕に料理を作らせるとろくなことにならない、と彼は言います。どうやら僕の料理に対する認識が少しばかり世の常識から外れているのだとか。おいしいもの×おいしいもの=おいしいものになるという方程式は何がおかしいのでしょうか。単純計算でそうなるのは人間的に非常に正しいと思うのですが。
 彼は火を弱めると、水屋から適度な大きさの皿を持ってきてご飯をよそおいました。そう言えば手伝うのを忘れていたと思って手を伸ばせば、できれば平和にことを済ませたいから先に座って待っていろと言われました。何故でしょう、僕の好意は必要ないということなのでしょうか。いえ違いますね、些細なことでも僕が手を貸すととんでもないことになると、彼は学んでいるのです。成績とは比例せずに賢しい方ですから。
 と言うわけで僕はカレーがこんもりよそおわれた皿を受け取ってテーブルに並べるというわずかなお手伝いすらさせてもらえず、一人でテーブルにつきます。遅れてやってきた彼はエプロンをつけたままで、それを指摘してさしあげると今思いだしたと言わんばかりに脱ぎ始めました。ああストリップを見てるみたいだなと言いそうになった口をなんとか塞ぎましたが彼には勿論不審がられます。慌てて笑顔を取り繕うと、笑顔を作るなと怒られました。こうして彼は僕の一挙一動を真摯に見てくださって、虚構という薄皮で包まれた僕を少しずつ露にしていくのです。全く恐ろしい、きれいな人です。

「もう食べてもいいですか?」

「ああ。冷めないうちに喰え」

 彼がちゃんといただきますをしたので、僕もそれにならって両手を合わせます。口にした瞬間口の中に広がるカレーの味、その味に表現しがたい感動を覚えた俺はなんておいしいんだと両手をテーブルについて彼にこの感動を拙い説明ながらもすべて伝えてしまいたいと思いましたが、失敬、僕はそう思ったのですが、彼はドライな方なので僕のその熱い熱弁を聞いてもたいした反応は期待できそうにありません。我慢しておいしいですねと微笑むにつきました。いつかアホな僕は自分のことを俺と言ったりうっかりあなたが好きですと口から漏らしてしまいそうなので、今一番懸念していることはその二つのみで、あとは幸せなだけです。 ただ幸せなだけなのです。










20080827/頭の悪い僕ですが