×××××回目のシークエンスが終わる。
おしまいだ、と彼が呟いた。隣で膝を抱えて、数センチ開かれたカーテンの隙間からこぼれる月明かりを、まるで親の仇みたいに睨む彼。
おしまいだ、ともう一度彼が呟いた。僕が反応しないことに苛立ったわけではないだろう。まるで自分に言い聞かせるように、まるで自分に思い知らせるように呟かれた言葉の響きは呪詛にも似ていて、自分を思いつめないでくださいと、軽々しく口に出してしまいそうになって急いで口を閉じる。
はく、という奇妙な音が聞こえて、顔を上げれば、彼が口を閉じていた。息を吸って、吐く前に口を閉じた音。きっとまたおしまいだと、呪詛を口にしてしまいそうだったことに気付いて、自ら口を閉じたのだろう。
空はどこまでも澄んでいて、暗く青く白く、彩りを添えて僕らを見下ろしていた。万物ですら切り取って繰り返しをさせる彼女の能力はどこまで横柄で、どこまで理不尽で、どこまで可哀想なんだろう。黙り込んだ彼は何を考えているのやら、僕はわからないままゆっくり微笑んで手を伸ばした。
この夏に入ってから精力的に動き続けていたせいか、太陽光に晒され続け、少し痛んだ髪の毛。でも根元のほうに触れれば触れるほど、やわらかくなって僕の指先を楽しませる。されるがままの彼が僕を見下ろして、なに、と小さく呟いた。
「僕は少しだけ、嬉しいかもしれません」
言葉にすれば彼にとって残酷にも聞こえるであろう響きの言葉を、僕はいとも容易く口にする。嬉しいって、と彼が浮かべた絶望的な表情に、胸が痛まなかったと言えばうそになるけれど。頭を撫でる指先はそのままに、説明を少しばかり付け加えた。
「だって結局最後まで、あなたは僕のものだった」
彼は最初、何を言っているのだといわんばかりの表情を浮かべていたけれど、その数秒後にはふは、と気の抜けたように頬を緩めて、ゆっくりと泣き始める。その涙がうつくしいと言ったら彼は笑うだろうか。怒るだろうか。こいずみ、と涙に濡れた声が僕を呼んで、彼の髪に触れていた指先に彼の指が絡まる。
でもやっぱりおしまいだ、と呟いた声は、先ほどより少しだけ柔らかかった。そんなことに安堵して、僕も頬を緩める。落ちてくる涙が温かい。一瞬触れた唇はすぐ離れていった。
「もう、終わるな」
彼が僕の後ろを見つめる。後ろにあるのは目覚まし時計。今時珍しいかもしれないアナログ式のそれを彼はなぜか気に入っている。毎月一度は時間が狂っていないか確認しているため、恐らくは正確であろうその時計の針を、彼は一心不乱に見つめていた。
僕も首をひねって背後を見る。時計の針はあと少しで、ふたつとも重なって十二の文字をさすところだった。あと二分ほど?一瞬見ただけだからわからないけれども。
ベッドの上に座りっぱなしの彼の腰を抱いて、無理にこちらに引き寄せる。ころんと転がった体はすぐ近くにあった僕の腹の上へ。
とめどない涙は僕の頬を濡らし、上から落ちてくる涙と混ざり合ってシーツに溶けた。あと少しで終わる僕らの日々。幸せなまま終われることはきっと幸せだと思えるまで、成長したのだと彼は言う。
「次のシークエンスでも、僕を選んでくださいね」
彼の額が落ちてきて僕のそれと重なり、鼻先が触れて、睫が震えた。
「ああ。だからお前も、俺を選べよ」
「勿論です」
だからもうさようなら。このシークエンスで僕の腕の中にいた彼は、次のシークエンスもきっと僕の腕の中へ。それを知る術もないし、次の僕が前の僕、つまり今の僕の考えを受け継いでくれることなんてありえないけれど。それでも恐らく僕は彼を選ぶだろう。そしてなんだかんだ言いながら、彼もそうやって、笑顔で、僕を。
「また、八月十七日に」
「また、八月十七日に」
また会いましょう。おやすみなさい。
カチ
20080831/おしまいの31日
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