誤解の無いよう予め口にしておくが、俺と古泉は付き合っているわけではない。好きだと言い合ったこともない。だがキスはするしセックスもする。いわゆるセフレみたいなもんかと思うがそういう関係になりましょうかとも言われたことがない。つまり関係があるかと聞かれれば、無い。あったとしても困るが無かったとしても困るとは、俺もたいへん面倒な奴である。
 しましょうか、と古泉が言えばするし、寝ましょうか、と古泉が言えばしない。週に二回は古泉の家に行く。多くも無いが少なくも無いペースだとは思う。だが週に一回ならまだしも二回もあると、さすがに準備をするのが面倒になってくる。ゆえに俺は、随分前から私物を古泉の家に置くことに決めた。着替えが少々と、自分用の下着と、化粧道具エトセトラ。化粧道具と言われるほどのもんでもないが、化粧水と乳液と言ったら化粧道具のうちに入る……のだろうか。入らないか。
 そんな、古泉の家にはたいへん似つかわしくない、わけでもないかもしれないそれたちを置き、思い出したように古泉に誘われては古泉の家に行き、腹が減ったらどちらかがメシをつくり、食べ、風呂に入る前にするかしないかを聞き、風呂に入り、寝る。まれに古泉の機嫌によってそのサイクルは変わるが、食事の前にすることもあるし、部屋に入った瞬間されることもあるし、風呂に入る前までは寝ようと言っていたのに風呂から上がるとされることもあるし、寝てる間に起こされてすることもある。ここは臨機応変に俺も対応をして、いやだったら断る、いやでなければ断らない。
 人間には三大欲求というものがあり、俺はそのうち大多数を占めているのが睡眠欲なのだが、古泉を占めている大多数は性欲なのかもしれない。まあ俺は古泉ではないので、実は古泉がたいへん食欲に貪欲であるとか、睡眠よく旺盛だとかであっても、気付けていない可能性はある。しかしながら短くもなく長くもない日々を共に過ごした経験からすると、やはり性欲が一番濃く見えるのも事実だ。
 やわい光をともすベッドランプの元に化粧水と乳液を置き、コットンを取り出す。風呂上りのほてった肌につめたい水が気持ち良い。古泉とこんなことをするようになってから、古泉に対するイメージは思った以上に変わった。もしかするとこんなのではないのか、と俺が勝手に抱えていた想像を、ありえませんよと身をもって教えてくれたのだ、こいつは。男の癖にやたら肌理の細かい肌を見て、きっと家に化粧水を置いているに違いないと思っていた俺は見事に裏切られた。こんな、そこらじゅうで苦労をしている女が知れば嫉妬心を抱くこと間違いナシの肌を持つ古泉は、今日も俺がこうしてコットンに化粧水を落として肌になじませる作業をじっと見ている。
 見て面白いことなどあるのだろうか。たかがコットンに化粧水を何円玉の大きさで落として、肌にパタパタと押し付けるだけの作業が?残念ながら俺は古泉ではないので以下略だが、普通の人間ならこんな作業、鬱陶しいと思いこそすれ、楽しいと思うことはないだろう。少なくとも古泉は男だ。余計わからない。
 次いで乳液を手の甲に落として、指先になすりつけると、それを頬に持っていった。ぬるぬるしている白い液。言葉にするとたいへん卑猥だなと古泉に知られれば赤っ恥極まりないことを考えながら、ぬりぬりとこすりつけた。俺の肌は古泉とは違って適度に手入れをしなければ荒れる肌なのだ。なんせ一般人だからな。鼻の頭や額、頬の際まで塗りこんでいると、ふいに古泉が呟いた。しましょうか、と。
 俺は否定しない。わかった。でもまずはこの作業を終わらせてからにしろ、と言って手の甲につけた乳液を処理する。終わったぞ、という言葉にかぶさるように古泉が俺の手首を掴んだ。そのままシーツに縫い付けられた。キスが落ちてきた。





 あらかたことが終わった後で、まだ若干乱れた息を整えながら、もし古泉にこんな不毛なことやめないか、と言ったらどうなるだろうと考えていた。
 実際、不毛などとは思っていない。性欲が溜まりに溜まって鬱々とした気持ちになるよりは、適度に処理していたほうが体にも良いだろう。古泉自身もきちんと避妊をしてくれているし、面倒な後処理だってしてくれるから、俺も面倒臭くはない。このまま続けていたとしてもとくに問題のある事項ではなく、寧ろこんなこと滅多にできないことだろうからと続けていくべきことなのかもしれない。
 だが俺は気になる。本当ならば好きな人間と好きだという言葉を交わしながら、好きだという気持ちを胸に抱えていたすのがこういう行為に必要なのではないだろうか?恋人になりたいわけじゃない。だからと言ってセフレになりたいわけじゃない。
 ただ気になっていた。古泉にとって俺はどんな人間なのだろう。きっと俺は古泉がなくても生きていけて、古泉も俺がいなくたって生きていけるだろう。ただ、古泉は俺をどう認識しているのか。俺は古泉と友人をしていると勝手に思っているが、向こうはただの知人としか思っていないのかもしれない。いや、さすがに知人とセックスできるようなやつではないと思っているけれど。しかし古泉も、本当ならば好きな人間とこういった行為をしたいであろう、から。だから。
 ベッドランプのあかりが眩しく目を細めれば、きりきりとあかりを調節して古泉が暗くしてくれた。お前は気遣いが出来る奴だよ。本当に、なんでもできる男なんだな。
 ふいに古泉が、あ、という声を上げた。俺はその声を聞くまでそういえば古泉とこういったことを始めたのはどのくらい前からだっただろうと思い出していた。年単位というほど長くは無いが数ヶ月にわたっているはずである。今年の三月下旬ごろからだったな。指折り数えていち、にい、さん、しい、五ヶ月、いやもう六ヶ月くらいだろうか。長いな。そのあと急に古泉が声を上げたことを思い出して、どうしたと問いかけた。
 乱れた髪の毛を手で整えながら、古泉は俺がしめわすれた化粧水のボトルキャップをしめていた。古泉には化粧水というものまで似合う。どこかのCMに出したら適度にブレイクしそうなお顔をお持ちで、と皮肉げに心の中で考えていると古泉の手が俺の腰に触れた。やにわに上下に動いたその手にびくりと震えれば、古泉が笑う。
 言い忘れていましたと古泉が言った。言い忘れていた?なにか特別俺にお前が言うべきことがあるなぞ思わないのだが、はて俺はこれから何を言われるのだろう。膨らんだ胸が上下しているのを見た古泉は安心したように息を吐いて、毛布の中に入り込んでくる。エアコンで温度調節がなされた室内の温度は適度に心地良く、そこに古泉の肌と温度が加わると、少しあついくらいだった。言い忘れていたこととは何ぞや。目を丸める俺を見て古泉はただ一言。
 ずっと言い忘れていました。僕、あなたが好きです。
 五ヶ月。日数にして約百五十日。随分と長い間言い忘れていたことがあったもんだ。呟きながら俺は古泉が言った言葉を頭の中で反芻していた。俺もずっと言い忘れていたんだろうなあ。そう言って、少しだけ泣いた。










20081006/セプテンバー