奇妙な夢を見た。
 大きく白い部屋の中で、中心部にぞんざいに置かれたソファの上に、僕と彼が座っている。僕は白いワイシャツを着ていて、彼も似たようなデザインの白いワイシャツを着ている。僕は彼の肩に寄りかかっていて、彼はどこかを見ながら深呼吸をしていた。上下する胸を視界の端に収めながら、僕はただ彼に好きだと呟く。彼はそうかと言うばかりで、それ以外の言葉を発さない。白い空間に僕と彼。僕と彼以外に誰もいないのだからと僕は気兼ねせずに思いを伝えた。そうかと一言、彼。普段の僕であればその言葉だけでは寂しい、足りないと何がしかの文句あるいは要求を口にしたかもしれないが、夢の中での僕は彼の一言をとても嬉しそうに、聞き入れていた。とにかく、彼と共にいられて、彼が僕の言葉を聞いてくれて、彼が僕に言葉を返してくれるということが嬉しかったのだと、思う。例えその返答がうるさいという一言でも、僕はきっと嬉しかったに違いない。ずるずるともたれる頭が落ちていって、彼の胸をかすり、腹、太腿の上に落ち着いて、僕は彼を見上げる。彼は僕を見下ろしていた。瞳の中にひどく泣きそうな顔をした僕が映りこんでいて、彼はそれを遮るように自分の目元を押さえた。生温い湯の中にいつまでも浸かっているような奇妙な感覚が、徐々に崩れていく。彼は泣き出して、口をぱくぱくと動かした。彼が目を押さえる、その指の隙間や掌から、こぼれた涙が僕の頬を打つ。どうして泣いているんですかと僕は問いかけることなく、またすきです、と呟いたきり。彼はまた泣いて、僕に何かを訴えたようだった。ごめん。僕にはそう言っているように見えた。ごめん。何を謝っているのかもわからないうちに彼はまた泣いて涙をこぼす。ごめん。その言葉にただひたすら僕が返すのは、好きです、その四文字だけ。ごめん。好きです。ごめん。好きです。ごめん。
 明滅する視界の中、僕は最後まで彼を見つめる。彼は僕を見ないまま、声を発することもないまま、ごめんと口を動かして、くしゃくしゃに泣いた。



 奇妙な夢から覚めた。
 大きくは無いが狭くも無い、白い部屋の中心部にぞんざいに置かれたベッドの上に、彼が眠っている。僕は黒いワイシャツを着ていて、彼は薄いシャツを着ている。彼の口には不思議な色をした機械が取り付けられていて、それから伸びるコードは奇妙な機械に繋がっている。僕は彼の枕元に寄りかかっていて、彼は瞼を伏せたまま、深呼吸をしていた。上下する胸を視界の端に収めながら、僕はただ彼におはようございますと囁く。彼は何の言葉を返してくれるわけでもなく、深呼吸を続ける。白い空間に僕と彼。僕と彼以外に誰もいないのだからと僕は気兼ねせずに、今日もいい天気ですね、外を歩くのが気持ちよさそうです、と呟いた。そうかと一言彼が返してくれそうな気がして、ベッドの上を見た。普段となにひとつかわりなく、彼の眠る姿を見て、僕は薄く微笑む。とにかく、彼が今日も生きてくれていて、良かった。ずるずるともたれる頭が深くベッドに沈んでいって、浅く握っていた手がだらりと垂れ下がって、僕は彼を見れない。彼も僕を見ない。瞳の中に僕が映ることもなく、青白い瞼がその綺麗な瞳を覆い隠すのみだった。生温い湯の中にいつまでも浸かっているような奇妙な感覚が、今更ながら甦る。僕は泣き出して、口をぱくぱくと動かした。僕は目を押さえて、起きてくださいと彼に言う。彼は何も言わない。ごめん。彼の声が蘇った気がした。起きてください。僕は呟く。起きてください。また呟く。いつまでも白い視界の中、僕はずっと彼だけを見ていた。彼は僕を見ないまま、声を発することもないまま、眠り続けていて、それを見た僕はまた起きてくださいと呟いて、くしゃくしゃに泣いた。



 これも夢だったらいいのに、と思いはしても、現実は現実のままで、時計だけが生々しく時間を刻んでいく。
 一定のリズムを刻む機械を見ながら僕は、彼の手を探り、また絡ませた。まだあたたかく、やわらかい。握り返してくれることはなくとも、彼が僕に、僕が彼に触れているという事実だけは何一つ変わりない真実で、それが僕の気持ちをゆるやかに支えた。彼は目覚めない。
 窓際に備え付けられたカレンダーの過去の日付には、延々と×マークがつけられていて、今日の日付には何のマークもつけられていなかった。十一月二十二日。世間一般でいい夫婦の日と言われているな、と思いながら、視線を外す。ゴミ箱の中にはくしゃくしゃになった十月のカレンダーが入れられていて、それから視線をそらした僕は、結局また彼を見るのだ。

「今日は、いい夫婦の日ですって。こういう日に式を挙げるカップルも多いそうですよ」

 彼の枕元にまた顔を乗せて、彼の頬に触れる。随分とやせてしまったその体は、それでもまだ、あたたかい。それがどうしたんだよ、とつまらなそうに言う彼の姿が想像できてしまって、ふいに笑みがこぼれた。

「いつも思うんですけど、きっと僕とあなたなら、いい夫婦になれますよね。勿論僕が夫で、あなたはお嫁さんですよ。僕が仕事から帰ったら、あなたはいつも料理を作って、待っていてくれるんだ」

 きっと彼が聞けば怒り出すであろう計画をつらつらと口にすると、彼の呼吸が浅くなったような、そんな気がする。想像の中では、彼は笑顔だった。女性が着るような華々しいものではないけれど、シンプルで綺麗なエプロンを身に着けた彼は、きっとお帰りと呟いて、僕を迎えてくれるのだ。
 彼が作る料理は家庭的なものが多かったから、僕はそれを食べるたび帰ってきたんだと実感して、毎日嬉しくて仕方が無いに違いない。そして僕は毎日彼に好きですよと口にして、彼は鬱陶しい顔をするだろうけれど結局その言葉を受け入れてくれるのだ。

「もしあなたがお嫌であれば、僕がお嫁さんでもいいですよ。それでもあなたは、多分嫌がるでしょうから、やっぱり僕が夫でいいんです。ねえ、そう思いますよね」

 思うわけがないだろ、と彼が返事をしたような気がしては、彼の顔を覗きこむ。規則正しい呼吸を確認して、僕は彼の手の甲にキスをした。

「男同士であれば、式は挙げられないでしょうか。他国に行けば可能でしょうけど、あなたが嫌がるでしょうね。涼宮さんであれば、軽く法律のひとつやふたつ変えてしまいそうですけれど、あなたが式を挙げたくないと言ったらそれまでですからね。でも、僕はどちらかと言うと、式を挙げてみたいです。だから僕が無理に計画を立てても、怒らないでくださいね」

 毎日毎日、僕はカレンダーに×マークをつける。彼が今日も目覚めなかった。一日の終わりにすることは、彼の体を清めることと、彼の頬にキスをすることと、カレンダーにマークをつけること。これだけかいがいしく動いていると、なんだか僕がお嫁さんみたいに思えますね、と小さく呟いて、目頭を押さえた。

「ああ、でも、今日に式を挙げるのはいけませんね。仏滅です。僕はそんなに気にしないですけど、あなたは気にするでしょうし、大丈夫です。僕は、気長に待ちますよ。そうだ、来年はどうですか?来年なら、きっとあなたも」

 手を放して彼を見る。彼が目覚めないことなど、とっくのとうに知っている。

「……きっとあなたも、起きてくださるでしょうから。だから、いい夫婦の日に、式でも挙げてみませんか。式の代金については、心配いりません。僕、これでも結構頑張ってるんですよ。僕は気が長いですから、来年でも、再来年でも、待ってさしあげます。だから、だから、」

 彼の手を握る。時計はカチコチと音を立てて進んでいくのに、彼の時間は止まったままだ。いつまでも、いつまでだって、僕が生きている限り待ってあげよう。そして彼が目覚めたら、僕のお願いを聞き入れて、共に幸せになってくれることを信じている。結婚式なんて可能性の無いことを、夢物語を語るように、本気で語ることだって、僕はしてみせる。いつまでも夢を見ているようなこの感覚を、彼が覚ましてくれると信じている。

 彼が目覚めない限り、僕の夢は終わらないのだということも、知っている。










20081122/眠る夢