僕がここにいるのは嘘なんですと言った。わけがわからないから俺はぽかんと口を開けた。古泉は少しだけ笑顔を浮かべて俺の顔を見ている。俺の目を見ているらしい。俺は古泉の唇のその斜めしたあたりにある、つぶれたニキビあとを見ていた。
今日がエイプリルフールだということは解っていたけれど、古泉が言った言葉がさて俺を騙そうと思って口にした言葉か、からかおうと思って口にした言葉か、何も考えず口にした言葉か、そのどれかわからなかったため、俺は古泉が続きを口にするのを待っていた。
古泉という生き物は、時折意味がわからないことを口走るけれど、基本的に嘘を言わない。いや、もしかすると嘘で塗り固めているのかもしれない。俺に言う言葉の一から十までが嘘なのかもしれない。俺は嘘発見器ではないので古泉の言葉の真偽を理解することはできないが、確実にこいつは嘘を言うことはないだろうと、そう言いきるのは不可能だろうとは思った。
「僕、実は死んでいるんです。だからここにいるのも嘘なんです」
エイプリルフールとは基本的に軽い冗談で周囲を騒がせたり楽しませたりするものだが、この嘘はそのどちらにも相当しないだろうなと思った。だって別に笑えない。笑えない、し、意味がわからない。何を意図して口にしているのか、雰囲気すら伝わらない。俺を笑わせたいわけでも、驚かせたいわけでも、だましたいわけでもないらしい。ただ言いたいから言う、そんな雰囲気を感じた。
当然、古泉が言っている言葉が嘘であるということはわかった。なぜなら古泉は生きている。古泉が死んでいるのならば、俺は今幽霊と話していることになるからだ。当然俺に霊感はない。いや、それ以前に、古泉には影があるし脚がある。しゃべっているときは胸のあたりが上下しているし、時折息を吸うために呼気を挟んでいるし、瞳の表面が乾くからという理由で何度も瞬きしているし、すれ違う女子高生の視線をちゃっかり奪っている。死んだ人間は不特定多数の人間に視認されたりしない。
茫然と自分の顔を見る俺に気づいたのか、古泉はくふりを頬を緩ませて微笑んだ。わりに、楽しくて笑っている様子は感じられなかった。
「ああ、ひどいな。信じていないでしょう、その顔」
「あほう」
こんなあほな言葉を信じるバカがいるとすれば、そりゃ相当のバカだ。それかお人よしだ。あいにく俺はバカだがそこまでバカじゃないし、お人よしでもない。仮にお人よしだったとしても、古泉のこんな毒にも薬にもならないどうでもいい話に付き合ってやろうなどと考える気持ちには微塵にもならなかっただろう。
おまえがよくわからん、と口にすると、古泉はうれしいけど素直に喜べない、そんな顔をしてくくっと口の端を持ち上げ苦笑を作り上げた。その笑い方はすきじゃない。おもしろくない。見ていて不愉快にも感じる。
「あなたが信じてくれなきゃあ、成立しないじゃないですか」
「なにが」
「先ほどの、お話が」
成立させようとしたのか、成立させたかったのか、どちらにせよお前はバカだな、お前がバカなんだな、と俺は小さくつぶやいて、緩めていた歩調をやや速めに切り替えた。無言で俺の半歩後ろを歩いてくる古泉には失礼かもしれないが、俺はどうでもいいことに関してあまり対応しない。俺にとって興味のないことは、俺にとってどうでもいいことだから、俺にとって対応するに値しないということで、つまりは無反応。古泉を無視して歩く。
古泉が少し遅れて俺の横に並ぶ。夕日に照らされる横顔は奇妙に歪んでいた。笑っているのか泣きそうなのかはっきりしろ。瞳はどこまでも遠くを見ている、ように見える。
「たとえばあなたが僕の話を信じてくれたら」
ぼうっとつくりの良い横顔を見つめている俺に古泉は言って、自分の輪郭を指先でなぞった。本当につくられたマネキンのようにきれいな横顔のくせして、浮かべている笑顔は道端に転がる犬の糞みたいに汚い。吐き出す声は水のように澄んでいるくせして、吐いている言葉はどろどろに濁り切っているような。
気持ち悪い。
「あなたが信じてくれたら、僕の言葉は本当になって」
夢を語る子供のような無邪気な顔で、ネジが飛んでしまったロボットみたいな動きをする。
「僕は死んだことになって」
ところどころに挟まれる喜びのようなニュアンスが、やっぱり気持ち悪い。
「あなたに存在を否定されたら、きっともう僕はここに立つことはない」
俺に否定されたいような口ぶりで、俺に縋りつくようなまなざし。
「なんだかとても、素敵なことじゃありませんか」
立ちどまった視線のその先には、何もない。
俺に存在を否定されたいのか、と問いかけると、古泉は数秒考えるようなそぶりを見せて、遅れて首を曖昧に傾けた。角度によっては否定とも肯定ともとれるけれど、浮かべている表情は複雑で、つまり俺はその傾きが何を示すのか全く解らなかった。
今日はエイプリルフールですから、僕が言った言葉はもしかすると全部うそかもしれません、そう付け足して、まるで何もなかったかのように歩き始める。
つられて横に並ぶと古泉はうれしそうに笑うくせに、隣に立つことを許さないような瞳をした。
「実は死にたかったのか」
「さあ」
「もう疲れてたりするのか」
「どうでしょう」
「お前がよくわからん」
「そうですね、僕も」
「おまえは、」
ああほんとうに面倒くさい。
こいつと話すと面倒くさい、もうなんでもいい、対応するのにつかれるのならばもう話さなければいいんだとなんとなく思いついて、俺はそれきり口を閉ざす。古泉はまるですがるように俺の手首に触れたくせに、その指先は一秒でも離れたいと言わんばかりに震えていた。本当のことばかり話すうそつき。本当にばかめ。今日は本音を言っても許される日だと勘違いしてるんじゃないのか。ばかじゃないのか。かわいそうなやつめ。
だから俺はあえてお前を慰めたりなんてしない。俺に慰めてほしいんなら日を改めるべきだな。できれば明日が好ましい。エイプリルフールなんて本当にろくなもんじゃない。おまえみたいなやつが、おまえみたいなやつの言葉が、やたらとあれこれ、重かったり軽かったり、面倒くさかったり、そのくせ突き放せない言葉で、ああやっぱり、面倒だ。
そんなお前に向けてやる言葉なんて、たったひとつしかないね。
「ばーか」
20090401/a fool,fool,fool
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