繰り返す。 (気づいて、気づいて)
見慣れた光景、見慣れた動作、聞き慣れた言葉、感じ慣れた気温、なにもかもが、ずっとずっと繰り返す。わたしの記録をさらに上書きをして、いくらでも、たくさん、言語に表せない感覚を残して。 (気づいて、気づいて)
朝を迎え、昼を過ぎ、夜を越え、朝になる。彼らが既視感を感じる気配を感じながら、わたしもただ日々を過ごす。いずれ、きっと、そう望みを託して次のシークエンスに移る彼らに、無駄とわかりつつもまた望みを託してしまう。 (気づいて、気づいて)
もしもわたしが人間であったのならば、言葉にできないこの感情も表現することが出来、彼らに気持ちを託せただろうか。この、言いようのない、逃れようのない、絶望と称するには少し冷たすぎる感覚を、やわらかい人間の言葉で、彼らに伝えることができたのだろうか。 (気づいて、気づいて)
彼らの既視感が頻発するたび、わたしの胸は何かを訴える。胸ではないのかもしれない、統合思念体との連結部位が変化に反応しているだけかもしれない。けれど、これは言語化すれば、期待なのではないかとわたしは思った。想定した。涼宮ハルヒの言う、退屈という気分がほどよく当てはまる、この状況を打破する日が近づいているのかと、想像するだけで。思うだけで。 (気づいて、気づいて)
ただどうしても、心苦しい、その言葉が似合う時間が訪れる。ここ最近の恒例ともなり、わたしはその時が近づくたびに、苦しいとは、苦しいという言葉の意味とは、何なのだろうと情報を探した。定義を、意味を、すべてを知りえても、この感覚にほどよく近くても、わたしはそれが苦しいのだという確証を持てなかった。 「なあ、どうして教えてくれなかったんだ」
問われるたび、どくどくと、どこかに血液が流れていく気がする。痛みにも似ている。痛覚と言う概念を取り除いたわたしが感じる唯一の、感情の波。 (気づいて、気づいて) 彼がわたしの口からこぼれ出た言葉に目を見開き、どこか落胆したような色を見せるたび、またじくじくと痛む何か。痛みではないと言い聞かせながら、これが痛みであればいいと思っている。近づくことは許されない、人間的な感情。彼に近づくことができるのであればと、そこにある思考にかすかな落胆を、覚える。わたしも。 「わたしの役目は観測だから」 言葉にして、確認する。そう。必要ない。彼らに必要以上にものごとを教えていい身分ではない。わたしの役目は、役目は、役目は。じくじくとまた。 「……ごめんな」 そんな顔をさせたいわけではなかったというのに。
(気づいて、気づいて)
気づかなくてもいい、わたしの中にある何かなど。
20090726/暮れる夜に迷子 |