繰り返す。
 夏が繰り返す。

(気づいて、気づいて)

 見慣れた光景、見慣れた動作、聞き慣れた言葉、感じ慣れた気温、なにもかもが、ずっとずっと繰り返す。わたしの記録をさらに上書きをして、いくらでも、たくさん、言語に表せない感覚を残して。
 わたしが記録を残すことに従事するなか、彼らは夏を精一杯に生きることに必死になっている。だからわたしは、それを邪魔することはできない。もとより命を受けてここに在るというのに。わたしにはそれ以上の権限などないというのに。
 これ以上求めるものなどないはずであるのに、彼らに望みを託してしまう。

(気づいて、気づいて)

 朝を迎え、昼を過ぎ、夜を越え、朝になる。彼らが既視感を感じる気配を感じながら、わたしもただ日々を過ごす。いずれ、きっと、そう望みを託して次のシークエンスに移る彼らに、無駄とわかりつつもまた望みを託してしまう。
 わたしにはその資格がないというのに。

(気づいて、気づいて)

 もしもわたしが人間であったのならば、言葉にできないこの感情も表現することが出来、彼らに気持ちを託せただろうか。この、言いようのない、逃れようのない、絶望と称するには少し冷たすぎる感覚を、やわらかい人間の言葉で、彼らに伝えることができたのだろうか。
 “もしも人間であったのならば。”
 その想定は、あまりにも、愚かという言葉が似合う。

(気づいて、気づいて)

 彼らの既視感が頻発するたび、わたしの胸は何かを訴える。胸ではないのかもしれない、統合思念体との連結部位が変化に反応しているだけかもしれない。けれど、これは言語化すれば、期待なのではないかとわたしは思った。想定した。涼宮ハルヒの言う、退屈という気分がほどよく当てはまる、この状況を打破する日が近づいているのかと、想像するだけで。思うだけで。
 瞼を閉じれば浮かびあがる数字の数々に、期待という何かを打ち崩されながらも、それでも。それでも次のシークエンスを。変化の起こるシークエンスを。

(気づいて、気づいて)

 ただどうしても、心苦しい、その言葉が似合う時間が訪れる。ここ最近の恒例ともなり、わたしはその時が近づくたびに、苦しいとは、苦しいという言葉の意味とは、何なのだろうと情報を探した。定義を、意味を、すべてを知りえても、この感覚にほどよく近くても、わたしはそれが苦しいのだという確証を持てなかった。
 わたしにもしも感情があったとしても、それを確証するためには、彼が必要不可欠なのだと、何度でも思い知らされる。何度でも。

「なあ、どうして教えてくれなかったんだ」

 問われるたび、どくどくと、どこかに血液が流れていく気がする。痛みにも似ている。痛覚と言う概念を取り除いたわたしが感じる唯一の、感情の波。
 教えたかった。そうは、言えなかった。期待をしていた。それも、言えなかった。なぜならば、わたしの役目は観測だから。必要以上の情報付与は罰される。必要のないこと。何も言わずただわたしたちは、観測のみを行えば良いのだから。

(気づいて、気づいて)

 彼がわたしの口からこぼれ出た言葉に目を見開き、どこか落胆したような色を見せるたび、またじくじくと痛む何か。痛みではないと言い聞かせながら、これが痛みであればいいと思っている。近づくことは許されない、人間的な感情。彼に近づくことができるのであればと、そこにある思考にかすかな落胆を、覚える。わたしも。

「わたしの役目は観測だから」

 言葉にして、確認する。そう。必要ない。彼らに必要以上にものごとを教えていい身分ではない。わたしの役目は、役目は、役目は。じくじくとまた。

「……ごめんな」

 そんな顔をさせたいわけではなかったというのに。




 暮れる空を見上げながら、人類に降り注ぐ記憶のリセットを見届ける。どこか落胆した彼の表情が浮かんでは消えて、ああいつか、それが笑顔に変われば、とも思う。
 わたしにできることなどない、だからわたしはいつでも、それを願うしかないのだ。
 願うという言葉も間違っているのかもしれない。すべては人間がすること。わたしがする必要はないこと。
 だから。

(気づいて、気づいて)

 気づかなくてもいい、わたしの中にある何かなど。
 崩れていく何かに気づいてしまえば、わたしの存在意義も揺らぐ。
 まだわたしはここにいたいのだ。いたい、そう表現するのは、やはり何か間違っている気がするけれど。
 まだ彼の様子を見ていたい。正しくは、観測、だろうか。わたしに意思は必要なくとも、思う。


(気づいて)


 夜が訪れる。
 世界が壊れるその瞬間を、わたしはまた、見送った。











20090726/暮れる夜に迷子