二人して、気持ちが落ち着かないときは空を見る。
星と言ったらあのニヤケハンサムが頭の中に浮かぶが、隣にいるのは全く違う人間だった。濃い色をした髪の毛に、ぴょんぴょこ跳ねる黄色いカチューシャ。俺が持ち寄った薄いタオルケットに包まれながら、ただ黙って空を見上げている。
あの星はどんな名前なのかしら、という言葉に小首をかしげて、わからんと答えた。もともと期待はしていなかったらしく、持ってきた鞄の中から大きな本を取り出して、さっそく調べ始めた。こう言うところがこいつらしい。そうやって、わからないことはすぐ調べて行くから、無駄に知識がついていくのだろう。
「これ。似てるわ」
「ああ……うん。似てるな」
ただし、本に書いてあるものと本当に同じかどうか、俺には区別がつかないので、それだろう、と断言することはできない。それはそいつも一緒だったようで、たぶんこれよね、といまいち自信のない発言をしたきり、本を閉じた。
そのあとは、思いだしたかのように寄り添う。体の片側だけとてもあたたかいが、寒いところはタオルケットで覆う。重みを感じない程度に体を傾けて、またもう一度空を見た。
ねむい、とそいつがつぶやいたので、俺はそっかと呟く。より肩にかかる重みを受け止めながら、そいつの、ハルヒの、頭をなでた。手入れをしているのかどうなのかはわからないが、つやつやしていて気持ちがいい。ねむいと呟くわりにはいつまでたっても空を見上げたままのハルヒを見て、俺の方が眠くなった。
無駄に言葉を交わすわけではない。すぐに家に帰るわけでもない。飽きるまでずっと一緒にいる。ごくたまに、疲れたら寝転がる。寝転がったらハルヒが抱きついてくるので、俺はハルヒの肩を抱き寄せて、やっぱり二人で空を見た。
この世界はわりと狭くて、狭いのにときどき、とても広い。家の中よりもずっとそのことが感じられるから、ハルヒとこうして外に出る。場所はたいていが学校の校舎だけれど、ごくたまに、山に登ったりすることもあった。天文台まで行くのは骨が折れるうえ、誰かに見られている気がしていやだとハルヒが言うし、俺はその言葉に気になるところがあったので、もっぱらこうして、狭い校舎の屋上を選んだ。
ハルヒが無邪気に朝比奈さんや長門と戯れているかたわらで、ずっと何かを気にしているのを知っている。稀に耐えきれない感覚に襲われて、泣きだすことも知っている。帰り際、俺の服の袖を握ったらそれが合図で、俺は夜中にこっそり家を抜け出しては、深夜の校舎でハルヒと落ち合う。そうしてどこからくすねたのかハルヒが持ち寄った屋上の鍵で侵入しては、タオルケットに包まれて、飽きるまでずっとハルヒと過ごした。
ただ、それだけのことだった。それ以上、なにもしていない。なにも。ごくたまに、迷子になりそうな顔をしたハルヒが手を差し伸べてくるので、手をつなぐことはあった。置いていかれた子供みたいな顔をするので、ぎゅうっと抱きしめたこともあった。でもそれだけ。それ以上、何もすることがない。ハルヒもそれ以上を望まなかった。
たぶん俺たちは限りなく感覚の似た双子のようなもので、そばにいたら落ちついて、いなかったら落ち着かなくて、でもそれ以上の存在にはなりえない、そんなものだったのだと思う。好きとか嫌いとか、恋人とか友達とか、そういったくくりの中にいるのは、不自然な相手だった。
真正面から抱きあって、頬をすり寄せて眠れば割と清々しい朝を迎えることができた。お互いに背中を向けて着替えて、少し時間をおいて二人で教室に向かうこともあった。
きっと付き合ってるんだよとか、もしかしたら一緒に住んでるのかもとか、幼稚な噂が流れているのを二人で耳に入れては、くすくすと笑いあった。いたずらを見つけられた子供みたいな気持ちだった。何かを聞きたそうな様子を見せる古泉や、朝比奈さんの視線に気づかないふりをして、いつもどおり過ごすのも、なんとなく楽しかった。
「キョン」
そうやってハルヒがつぶやいて、俺の服の袖をつまむので、俺は頷いて了承するのだ。ただそれだけだった。それ以上にはならない。それ以上のものにはならない。ずっとこの位置にいて、ずっと不変の存在で、それが涼宮ハルヒだった。そしてたぶん、ハルヒにとっての俺もそうだったのだろう。
そう言えば、まるで頻繁にハルヒと俺が会っているように思われるかもしれないが、実際はそうたいしたことはない。一か月に三回あれば多いほう。その程度の頻度だったから、噂も広がりはしても、それ以上大げさに広まることはなく、ゆっくりと消えて行った。消えていくのも早かった。
その噂の収束具合に、高校生という幼さを見て、俺たちはまた二人寄り添って、くすくすと笑った。
俺たちはこの生活がいつまでも続くなんて思っていなかったので、迫りくる終わりの時を想像しては、その意味のなさに気づいて笑っていた。SOS団だって永遠にあるわけではなくて、ずっと高校生でいられることもなくて、いつかはこの地から離れなければならないこともわかっていて、だからそれを想像するたびに、寂しさとか、苦しさとか、でもそれを上回る未知の世界に、憧れたりもした。ハルヒと俺は、やっぱりずっと同じ位置に、同じ立場でいたので、その憧れを共有して、そしてまた眠った。
ハルヒと眠ると、夢を見るのだ。いつのことだか俺は皆から離れて、小さな会社で働く夢。時折休みをとっては、SOS団の皆で集まり、酒を飲み、愚痴に明け暮れる。古泉と肩を組んで歩いたり、朝比奈さんの介抱をしたり、長門の今の職場について聞いたりする。そしてハルヒは、俺を優しい瞳で見て、そっと手を伸ばしてくる。もう袖をつかむことはなかった。だけど俺はその手を握って、静かに温度を分け合うのだ。満足して離れていく手を眺め、俺も皆に背中を向け、そこでいつも目が覚める。
「それでもあんたはずっとあんただわ」
そんな夢の存在をたわむれに話せば、ハルヒはそう言って笑った。ハルヒが言うことの意味は、半分くらい解って、半分くらい解らなかった。確信など持たなくていいのだ。わかる必要だって特にない。
屋上に広げた薄手のマットに二人して転がって、猫のように寄り添い、空を眺める。ねむいとハルヒがつぶやくので、俺も目を瞑った。ただそれだけ。それ以上何もない。それ以上望むこともなくて、ただ静かに眠った。
20090923/あれは星の双子