薄暗い部屋の窓、カーテンの隙間から見える外からは車のランプがたまに差し込み、チカチカと網膜を焼く。
部屋の中には、ボリューム極小のバラエティと、プルタブに爪を引っ掛けるカチカチという音が響いていた。テレビ周辺だけ明るく、テーブル下に投げ出された細い足が、白く闇に浮かび上がる。
テーブルから、ころころ缶が転がって、ラグに落ちた。ぱすん、と軽い音を立てて転がったそれは当然中身がなく、何かがこぼれる様子もない。テレビの光に照らされて、カシスオレンジだったということを知る。基本的にあまいものは好まないのに買ってしまったのはなぜだったか、そういう気分だったんだろう、どうせ。
カチ、カチ
「ねえ、いま何時」
プルタブを引っ掻きながら、バラエティとおんなじくらいの声量で、ハルヒ。つぶやく声に俺は、たぶん七時、と答えた。手元に携帯があるんだからちゃんとした時間を教えなさいよ、と言われ、唇が歪む。
ハルヒが、いつになっても缶を手放さないので、窓を覗き込んでいた体を起こし、缶を奪った。発泡酒はちょっと、お前には似合わんようで似合うな。最近よく売り出し中のCMを見るが、おいしいのかどうか。カチンとプルタブを起こして飲んだが、ハルヒが握りすぎたせいでぬるくて、あんまりおいしくなかった。
「携帯、濡れるわ」
「シャワーしながらでも大丈夫、安心の防水加工」
「……あ、そう」
ねえもっと酒ないの、と言いながらハルヒが立ち上がり、一人暮らし用の小さな冷蔵庫の中からワインを引っ張り出す。どうせスーパーで買った安物なので、ハルヒの口には合わないかも。
丁寧な包装なぞされていないから、まわりのシートだけ剥がしてふたを外せばもう飲める。首を持ち、あろうことかラッパ飲みしようとしたので、急いで奪った。開きっぱなしの口から、ぼととと、とワインがこぼれる。白だったら目立たなかったかも。赤だから、ハルヒの服が、殺人現場に残された遺留品のようだ。
「あんたばかね。血はもっと明るくて、こんないい匂いしないわ」
「知ってる……」
いいからシャワーあびてこいと言っても、ハルヒは立ち上がらない。ラグに染みがついた。まあいいか、洗濯できる。しかし部屋がワインくさい。
携帯を右手に、左手にワインを。窓際にワインを隔離して、もう一度外を覗き込む。車のランプが、チカチカとまた、網膜を焼く。また、バラエティの雑音。
俺にはちっとも面白くないけれど、テレビの中は面白いようで、ワハハハだかガハハハだか、豪快な笑い声が聞こえてくる。ハルヒも、にこりとすら笑わなかった。なあおまえなにしに来たんだと言っても、酒を飲みに来たのよと言うだけ。ここよりもっと、充実していて、おいしい居酒屋は、そこらじゅうにあるのに。まあ、金を使わないという意味では、俺の家が一番良いのかもしれないな。
「ねえ、あんたこそずっと何してるの」
薄白いテーブルと、透明なそのテーブルの下に投げ出された青白い足を見ながらハルヒは、なんだかちっとも面白くなさそうな声で、呟いた。なあおまえそこ、ちょっとだけ、花のような匂いがしないか。今はもうワインの匂いでかき消されてわからないだろうけれど。そこな、お気に入りだったんだ。俺じゃなくて、お前でもなくて、あいつの。でもな、帰ってこないんだ。だからもう、何の匂いもしないかも。
質問な、おまえがするの、珍しいよな。いつも俺の答えなんか聞かないで、自分で決めてしまうくせに。でも、お前の問いかけ、実は嫌いじゃないんだ。俺に質問するときのお前の目は、いつもより寂しそうで、もの珍しくて、いいと思える。
「メールを」
窓から差し込むランプがまぶしい。瞼を伏せた。
「メールをな、まってるよ」
携帯を握りしめて、窓の外を見つめて、今のところ平静に。
あいつの帰りを、まってるよ。
残念なことにいつになっても帰ってこないから、もうもしかするといないのかも。でも俺には、わからんよ。ひとことでもメールがあれば、俺もどうにかできるのにな。
あんた泣かないのね、とハルヒが呟いて、アルミの缶を潰した。まだ若干残っていた中身がぶしゅ、と噴き出て、ハルヒの顔面にかかる。はは、美人がだいなしだ。怒ったようなハルヒの顔を見て、俺はわらった。
なんだよハルヒ、顔が泣いてるみたいだ。
20100228/焼け付く