背中、去って行く、遠くに。どこかに行く。
どこに行くのかはわからなかった。が、それが、もう、こちらではないことは明確だ。
去る瞬間の、あの、軽蔑するような、侮蔑するような、目は。間違いなくあたしを、あたしを見て、それ以外を映さなかった。あれは、何をおもっていたのかしら?
一言声をかければ止まったかもしれない、止まってくれたかも。話を、すれば、もしかすると。戻ってきてくれるかも、しれないし。
少しの希望があれば、それにすがるのは、人間の権利じゃないかしら。
(ねえ、あんた)
(あんたに言いたいことがあるのよ)
あたし、あんたを怒らせたかしら。
去って行く背中を見れば、怒らせたとか、そんなもの、言うまでもないけれど。
でもねえ、あたし、あんたに構ってほしかったのよ。思うだけなら、思うだけなら自由だけど、思うだけじゃ足りないわ、あたし。
あたしにしかできないことを、して、あんたに認めてもらいたかった。
(こっち見て)
もう行かないで。
あたしがあたしであることを、直すことはできないけれど、あんたに側にいてほしい。
全員が全員揃って、そしてようやく。
(ごめんなさい)
(ごめんなさい。こっち見て)
謝るから、もう行かないで。
口には出さず、何度も何度も。祈るだけなら届かないと、知っていても、口が動かなかった。
動かなかったのではなく、ただあたしが動かさなかっただけ。
あたしの願いならあんたに届くと、思い続けた高慢な思い。笑い飛ばされた気分だわ。
なあ、ハルヒ。おまえのこと、きらいじゃない。でも、俺はおまえの、ものじゃないよ。
知ってるわ。そのくらい、痛いくらい知ってるわ。
だから、あたしのものになどならなくていい、ただあたしを解ってくれればそれで。それで良かった。
あたしの願いならあんたに届くと、思い続けた高慢な思い。ただあたしを解れば良いと、決め付けた愚かな気持ち。それが、少しずつ、少しずつ、いけない方向に向かっていくのを、見ないふりで過ごした。
最後まで、信じるという言葉を使って、あたしの怠慢をごまかした。
(ねえ、待って)
(もう行かないで)
(あたしが言えるまでそこにいて)
背中、去って行く、遠くに。どこかに行く。
もう止まらない。止まってくれない。
あたしとあんたの間に初めて、埋まらない溝ができた。
今さら、今さら気付くのね。あたしが追いかければ良かったのにね。
もう飛び越せないのね。あんたはこっちを見ないのね。
(こっちを見て、来いよって、ハルヒって、もう)
遠ざかる。背中、去って行く。遠くに、もうわからない、どこか遠く。消える。
引きとめる言葉を出すことができずただ立ち尽くしているあたしの前で、前を、去る。
かすれる声で名前を呼んでも、もう届かない距離だった。
泣いてももう、意味などない。
いつかの笑顔が、頭の中でこちらを見る。
記憶の中のあんたはいつまでも、仕方ないな、しょうがないなって、そんな笑顔で、あたしを見ていた。
遠い、愚かな日々を消費していた、幼いあたしを。
(ごめんなさい)
これが夢ならいいのに、と思いながら瞼を伏せた。
まっくらな、闇に包まれただけだった。
20100320/ひとりのかみさま
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