携帯どこかにいっちゃったから電話かけてくれない、と今どき珍しくもない手口に引っかかったふりをした。
先月買い替えたばかりの春カラー携帯はとてもかわいらしくて、お気に入り。卒業祝いと入学祝いを兼ねて、大切な人に買ってもらったストラップが揺れている。まだ未成年だけど義務教育はとうに卒業したのだからと、少しだけ大人っぽいデザインで、もらったときは嬉しくてもったいなくてすぐにつけることはできなかった。
と、揺れるストラップを見ながら考えていたところで、目の前の男の子の声に意識を戻される。ポケットの中に携帯あったよなんて、言われなくてもわかってるからいいよ。ごめんねオレぼけちゃってたみたい、そんなの顔見たらわかるからいいよ。
「ね、今から時間ある?お礼にご飯奢りたい」
たかだかいっかい携帯に電話かけたくらいでご飯を奢るなんて、男の子は大変だなあ。毎回この手口でいろんな人に声をかけて、いろんな人に奢ってるんだろうか。お財布の中が潤ってるんだなあ、いいなあ。わたしは大切な人に、無駄遣いするな、こまめに貯金しろと言われているからあんまり手持ちがないんだけど。
どうせこの後は適当に買い物して帰るだけの予定だったから、いーよ、とうなずく。正直おなかがすいていた。家に帰っても昼過ぎまでは誰もいないし、まあいっか、そのくらいの軽い気持ち。男の子が嬉しそう。もしかして、今までずっとナンパ失敗してたのかな?
「そっか、じゃああっち行こう。オススメの店あるんだ」
「ふーん」
普段行かないところに行くのもいいかなあ。思って、男の子についていった。さも当たり前のように手を繋がれそうになったので、携帯でメールを打つふりをしてやり過ごした。あんまり知らない人に触られたくないし、この手で握りたい手は別にあるもん。別に「彼氏さん」でもないし、いいよね。
男の子はなんだか残念そうな顔をしたけど、メールの画面を見るふりをしてまたやり過ごした。通り過ぎたお店から、デミグラスソースのいいにおいがする。おなかすいた。
連れて行かれた店はなんだかちょっと、安いと高いのちょうど中間くらいのお店で、普段お財布の中に余裕があれば行くようなところだった。店の前に立てかけられた看板でおおよその値段を把握して、男の子の後ろについていく。お昼時だから人がたくさんいて、待つんなら面倒くさいな、と思っていたら、ちょうど窓際があいていた。座る。
「何食べる?」
「んー、オススメでいいよお」
メニューを見て、じっくり考えるのも面倒だし。お店がおすすめと言っているのなら、そのおすすめを受けてみようじゃないか。というのは、大切な人からの受け売り。わたしの大切な人は、いきなり冒険したりしない。その店の看板メニューか、おすすめをいつも選ぶんだ。いたって普通で、いたって変わらない人。男の子は、へー、とつまらなそうに返答したあと、ちょっと高そうなセットを選んでいた。おすすめでも、看板メニューでもないもの。
料理が届くまでに、今どこ行ってるのとか、名前はなにとか、年はとか、趣味はとか、たくさん質問された。「おみあい」が崩れた感じになると、こうなんだろうな。その質問に、北高を卒業した、秘密、じゅうはち、秘密、とよけいな言葉を付け足さないで、簡潔に答える。名前なんか論外!わたしの大切な人は、簡単にプロフィールをさらすなって、いつも口を酸っぱくして言うから。
じゃあなんて呼べばいいの、と言われたから、いっちゃんて呼んで、と答えた。いっちゃん?と男の子。そう、いっちゃん。本当の名前じゃないけど、「わたしてき」には間違いじゃないし。
そう、いっちゃん。かわいいね。そう言われたので、素直に微笑んでおいた。でもね、本当に大切なあの人から、かわいいって言われたほうが嬉しいや。
届いた料理はおいしかったけど、男の子の食べ方は汚かった。ソースこぼすし、くちゃくちゃ音を立てるし、肘つくし、食べながら喋るし。わたしの大切な人が見たら、怒るだろうなあー。でも、どうだろ。これを見たら、怒るっていうより、呆れそうだ。ひどいもん。わたしは見かねて、テーブルの上に散らばったソースをナプキンでふき取った。ありがと、優しいねって男の子が笑ったけど、自分のためにしてもらったと勘違いしてるんだろう。笑いそうになるからやめて!
「おいしかった?」
お店を出て、男の子が一言。おいしかったけど、あなたが作ったものじゃないでしょって思って、言うかわりに笑った。ちょっと不愉快だったから、あなたの襟についたソースのことは教えてあげない。次は公園行こうよって誘われて、食事だけじゃなかったの?と問いかける。男の子は、いいじゃん時間余ってるんだろ、と笑いながら言った。これ、決め付けだ。いけないの。
「いっちゃん、公園嫌い?」
「ううん、好き」
とっても好き。公園には、たまに大切な人が連れて行ってくれるから。池に浮かんでる白鳥さんとか、ベンチの隅っこでぽこぽこ動いてるハトさんとか、屋台でたこ焼き出してるおじちゃんとか、いろいろ見ながら話すの、好き。もう大学生なのに「さん」つけるのやめろって大切な人は嫌そうに言うけど、本当に嫌がってるわけじゃないから、やめないのは、秘密。わたしの好きなことも、秘密も、男の子には教えてあげない。
また手を繋がれそうになったので、今度は髪の毛を直すふりをした。また残念そうな顔。わけわかんないや、わたしの手にさわる権利は、どこにあるつもりなんだろう?
公園に行くと桜が咲いていて、とってもきれいだった。咲き始めなのか、多少のばらつきはあるけど、きちんと咲いてるのもあって、ほんとうにきれい。大切な人を連れてきてあげたら、喜ぶかな。きれいだなって言って、笑ってくれるかな。ううん、笑ってくれる。前に近所の金木犀を見て、きれいだって言ってたもの。
「うわ、桜だ。すごいね」
「うん、そうだね」
何がすごいのかわからないけど、とりあえず頷いておいた。すごいね、じゃなくて、きれいだね、って言ってほしかった。こんなきれいなものを見て、きれいって口から出ないの、不思議。
座ろうよって言われて、ベンチに座る。隙間を開けて、鞄を間に置いて座った。足元でハトさんがくるくる動いてる。この公園では、ハトさんへのえさやりが禁止されていない。だからわたしはよく餌をあげるんだけど、わたしの大切な人は、あんまりやっちゃいけないんだって苦い顔をする。だからわたしは、大切な人が怒らないくらいの量を、ちょこっとだけあげる。
男の子は足元に寄ってくるハトさんを見て、嫌そうに顔をゆがめた。動物、嫌いなのかな。別に動物の好き嫌いはあるから仕方ないけど。そう思ってたら、男の子がハトさんを蹴った。軽い勢いだったけど、急に人間に蹴られてびっくりしたハトさんが、池の向こうに飛んでいく。
「ひどい」
「ひどくないよ。それに、ハトに餌あげちゃいけないんだぜ。フンは落とすし、寄ってくるし、オレは嫌い。いっちゃん、ハト好きなの?」
「うん、好き」
ふーん、と男の子。嫌そう。でもね、わたしはもっと嫌だった。今のでちゃんとはっきり言えるよ。あなた嫌い。
そんなことよりさ、と伸びてきた手をはたき落して、にっこり笑う。汚い手、触らないで。襟についたままのソース、だいぶ滲んで、もっと汚い。ねえ、最初から思ってたけど、言わなかったの。あなたの顔、かっこよくない。顔は生まれもってのことだから仕方ないけど、性格も何もかも微妙なのに、よくナンパとか、できたね?
「にじゅーなな点」
「え?」
「手口が単純すぎ。あざとすぎ。お礼にご飯とか、不自然すぎて意味わかんない。手、勝手に握られるのもいや。食事のマナーも悪いし、汚い。質問ばっかりで、がっつきすぎ。イタい。桜はキレイって言ってくれなきゃいや。ハトさんいじめるのも、最低。あのね?いいとこ、ほとんどなかったよ。食事奢ってくれたことくらいかな。あのお店おいしかった。教えてくれてありがとね。それで、総計、二十七点!」
目の前の男の子は何を言われているのかわかってないみたいで、ぽかんってしてる。面白い顔。プラス一点はしてもいいかも。でも三十点にも満たないって、すごいね?前にテストで、赤点取った子見たの。同じ二十七点だったよ。
「じゃあわたし、帰るね。ばいばーい」
「ちょっ……」
手を伸ばしてきたので、鞄ではたき落とした。すれ違うカップルさんが、びっくりした顔でこちらを見ていたので、その横を笑顔で通り過ぎる。すぐそこの階段をのぼって、歩道に出れば、追いかけてこられても大丈夫だろう。すぐタクシーが出るから、あんしんあんしん。思ってたら、階段を上がったすぐそこに、見慣れたカッコイイ顔がいた。
「古泉くん。ひさしぶりー!」
その日そこに着いたのは、偶然だった。
久しぶりに何もない休日、家にいてもやることがないし、そろそろ消耗品の買い出しに出かけなければならないと思っていたからちょうどいい、と昼過ぎに家を出た。
彼の家の近くでも通ったら会えないかなと思っていると、すれ違う主婦が公園に桜が咲いたと言っていたのが聞こえたので、買い出しついでに桜でも見て帰ろうかと思ったのだ。
たいして重くはない荷物を片手に、公園へとたどり着く。桜並木を歩こうと思ったが、一人で歩くには少々気まずそうな気がした。歩道からでも見えるので、そこから歩いて帰ろうと思っていた矢先の出来事だ。
どこかで見たことのあるような女性と、僕より少し年下かと思うくらいの男性がベンチで何やら会話をしていた。思わず気になって足を止め、そのベンチのちょうど裏側くらいに来る。多少距離があるものの、二人の話し声は適度に大きかったのでこちらまでよく通った。飛び立つハトをぼうっと見ながら、会話に耳を傾ける。ハトが嫌いだなんて、反平和主義だなと、どうでもいいことを考えた。
女性が随分と辛らつなことを、いたって楽しそうに言うものだからいっそ感心していると、その女性が階段を上がってきた。二十七点!と言い切ったあの声が、耳の奥で響いている。あれだけ強烈な評価を下された男性は、今後同じ手口を使えるだろうか。
僕を見るなり笑顔を浮かべた彼女に、ああやはり僕の記憶は間違いではなかったかと、思う。
「古泉くん。ひさしぶりー!」
「……お久しぶりですね」
えへへ、と嬉しそうに笑いながらこちらに寄ってきたので、彼女を引き連れて住宅街に戻った。車道がすぐ近くなので、事故が起こってもいけまい。古泉くん、やっぱり紳士的なんだねー、と言われて、どう反応すればいいのか迷った。
「それは、どうも。……しかし、二十七点とは、手厳しいですね」
「え、聞こえちゃってたのお?」
「それなりに」
どこらへんからー?そう言われると、正直に答えるほかあるまい。二人がベンチに座ったらへんからですかね。半ば投げやりに答えた。が、彼女はふーんと一言言っただけで、特別気にした様子はない。会話を盗み聞きすると、まるでくさやを目の前に吊られたかのように嫌そうな顔をする彼とは正反対だ。
「でもぉ、二十七点って結構点あげたほうだと思うよ?」
「おや、そうですか」
「うん。本当なら、もっとマイナスしてもいいくらいなんだから」
「はは……」
無邪気に笑う彼女は、本当に幼いころと変わっていない。
そして、気になっていたことをもう一つ。
「……あの、いっちゃん、というのは」
「あ!あれ?ごめんね。名前教えたくなかったから、あれで呼んでもらってたの。でも別に、古泉くんのあだ名、借りたわけじゃないよ?ちゃんと理由があるの!『いもうと』の、いっちゃん!」
「ああ、なるほど」
なるほど。「い」もうとの、いっちゃん。ね。考えもしなかったな。
こう言うところは彼と似ていて、頭の回転が速い、と言うのか。いや、頭が柔らかい?
ともかく、やはり彼と彼女は、きょうだいなのだ。先月彼が大学合格祝いにあげたというストラップが、彼女の上着のポケットから飛び出ている。彼女も、大事に大事にしているのだろう。彼のあずかり知らぬところで、彼女がどれだけ彼を慕っているか、部外者の僕が一番しっている(そして部外者と言い切っていいのか実は迷っている)。
「だから、気にしないで。それじゃ、わたし帰るね!」
「あ、送って行きますよ」
そのついでに彼が家にいるかどうかも確認したいですし、とはさすがに口に出さなかった。走りかけた彼女は立ち止まり、春風のようにやわらかく振り返る。揺れるこげ茶の髪の毛は、彼の色を優しくした色だ。彼に大切に、愛されて育った彼女。羨ましいとは、ほんの少し思うけど。
「ううん、わたし、走って帰るからいいよ」
「走って?」
「うん。それでね、キョンくん連れて、またここに来るの!」
……なるほど。
妹の特権を使われてしまったら、今日僕の出る幕はなさそうだ。
思わず苦笑を浮かべると、まるでしてやったり、と言わんばかりの顔がこちらを見ていて、肩をすくめる。じゃーね、と、昔から変わらない間延びしたあいさつをして走り去って行く彼女の後姿を眺めていると、嘆息すら出た。
彼女には最初から最後まで、すべてお見通しということだ。何も知らない顔をするくせ、全部知って、自分の思うがままに操る。という言い方は、少し意地が悪いけど。いやしかし、ほんとうに、
「こわい人だ」
20100320/こわい人
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