「月ね」
空を見上げるリナリーの手元には温かなコーヒーカップがちょこんと存在している。
「そうですね」
僕も空を見上げてリナリーの言う月、とやらを探してみる。
「きれいね」
月は無い。
「そうですね」
真っ暗闇にまるで邪魔してやるぞと言わんばかりに広がるのは濃紺の雲だけだ。
「ほんと、きれい」
ごろごろと今にも音がしそうな曇天。
「満月だわ」
照らす光はどこにも無い。
「そうですね」
僕は笑ってこたえた。
そうだ彼女の目が見えなくなったのはいつだろう、彼女の大好きな人が死んでからだろうか、僕にはその現場を見ていたわけでなければそれを事細かに教えられたわけでもない、ただ書類を片付けながら炭酸飲料の好きな彼からリナリーの肉親が逝去したよ、と言われただけ、僕に教えられたのはそれだけ、たったそれだけの出来事で人間はいとも簡単に死んでしまうのだ、心が、廃れてしまうのだ、僕にはどうしようもない、ただ彼女の言う満月を一緒に眺めてあげるだけ、それだけ、僕にとっての力は無力に等しい、彼女の目が見えなくなった理由をあげていけばキリが無いだろけど、そうだな、いちばんの理由としては肉親の死をその目で見てしまったということだろうか、だとすれば相当死に目は酷かったに違いない、けれどどうして彼が、彼は安全な場所で安全ではないことをしていただけだというのに、まったく理不尽だ、どうしてだろう、階段から転げ落ちるとかそういった間抜けな理由、そう、どこかのお笑い話みたいに、彼はあっさりいってしまったのだからお笑いだ、彼女にとってもお笑いだ、満月満月と壊れたテープレコーダーよろしく呟き続ける彼女の唇は荒れに荒れ果てて剥がれている、手はしわしわによれて、泥と涙で中途半端に汚い、それを拭いてやろうと手を伸ばせば見えていない目で僕を見て、どうしたのアレンくん、でも今は触らないでと意味のわからない言葉を言われるだけで終わり、まさか僕にこれ以上のことができると思うだろうか、思わないだろう、さて時刻は深夜4時、僕は眠たいし、もうそろそろ次の任務へと発つ準備をしなければいけないし、けどリナリーを放って朝の特訓をするわけにも、少ない荷物を纏めるわけにもいかない、ああ僕にできることはなんだろう、僕は何をしてあげればいいのだろう、彼女を正気に戻させる方法を手に入れることができるだろうか、できるわけがない、僕は最近よく反語を使う、彼女を目の前にすると反語の使用率が高くなる、僕にはどうしようもない、これ以上どうすることも、そういえばここは黒の教団建物の頂上、空がよく見える場所で風もよく通る場所、僕は何かをしようと思った、彼女に手を伸ばそうと思った、彼女は相変わらず空を見上げ続けている、それをとめるのは心苦しいんだけど、「なあにアレンくん、でもさわらないで」少し変わった定型文を口にした彼女に僕は相変わらず手を伸ばし続けた、後退する彼女は笑顔でさわらないでと呟く、空が綺麗なの、満月もよく見えるでしょ、だからアレンくんさわらないで、いったいどういう原理なのかはよくわからないけど興は空が綺麗だから僕は彼女にさわってはいけないらしい、けど僕は触りたいと思うわけで、手を伸ばし続ける、悲鳴。
落ちた彼女を見下ろしながら僕はどうしたんだろう、笑いながらよかったねよかったねと呟いていた、暗転。彼女は無事に肉親のもとにいけただろうか。
不在証明/これが最後の天国
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