どんちゃん騒ぎをした後で、ふと気付いたように隣に座る金髪美人を見上げた。
相変わらずボリュームある胸部が丁度視線の横にあり、なんだかいたたまれない気持ちになって顔を伏せる。「ねーぇ雛森」かけられた声に反射的に鋭い返事をして、ぱっと顔を上げた。
熱燗2合をすっかり飲み終えたらしい乱菊が、ひらひらと空になったお猪口を片手にして振っている。

「な、なんですか、乱菊さん?」

雛森の手にはまだなみなみと酒が残っている。ひとくち飲んだだけでかあっと顔が熱くなり、理性が瞬間飛んでしまうからなかなか飲めないのだ。間隔をあけながら飲み干すしかない。
けれどどうして松本乱菊という女性は、こんなにもあっけらかんと、まるで水を飲み干すように酒を飲んでしまうのだろう――と問いかけられたらそれは彼女だからなのだ、と答えるしか術を持たない。

「ここ、あついでしょ。あんた顔真っ赤。外行く?」

言われてまたもや反射的に両手を頬に押し当てた。わかってはいたことだが、自分でも驚くほどあつい。たった4口程度しか飲んでいないのに。

「あんたにはまだ早かったわね。没収ーぅ」

手にしていたお猪口を奪われて、目の前でざらざらと飲まれた瞬間の心境をなんと表せばいいのだろう。しかもそれを飲み終えた乱菊はぷはあ、と女性らしからぬおっさんのような声を上げてお猪口を膝の横に置いた。
それから雛森の手首を握って立ち上がる。「ひゃっ」がははは、とひどい笑い声が響く中乱菊は振り返ることもなく障子を開けた。
途端に肌に突き刺さる涼やかな風。縁側に出れば室内の熱気が嘘のようにひんやりとした気温が広がっている。頬に集中する熱が口から零れていくようにすうっと引いて行った。

「座んなさいよ」

いつの間に座っていたのか、腰を下ろしてその隣をぽんぽんと叩く乱菊に一礼してちょこんと座り込む。りりり。何の虫の鳴き声か、けれどそれがさらにこの空間の涼しさを表したようだ。
気温の涼しさにほうっとしていた雛森に、乱菊が片手をひらめかせる。

「はいっ?」

「起きてる?」

「起きてます、よう」

まるで子ども扱いされたようで少しだけ気に食わなかった。むうと頬を膨らませば乱菊はからからと笑う。そして、どこに隠し持っていたというのか、今度は酒瓶1本をどんと膝の横に置いてあろうことかラッパ飲みをするつもりだろう、蓋を開け始めた。

「あ、あたし、お猪口とってきまっ……」

慌てて立ち上がると乱菊がそれを制した。無理矢理肩を掴まれて問答無用で座らされる。少しだけ眉を寄せて彼女を見上げれば、蓋についた一滴を舐めながら乱菊が呟いた。

「いいからいいから。あんたは座ってなさいな」

ぷんと香る酒の匂い、けれど風が少しだけそれをさらっていく。程よいアルコールのにおいに目を細めた。とくとくと音がして少しだけ視線をずらすと、視界の端に美女が瓶をラッパ飲みしている図が入る。
正直、大宴会の雰囲気は苦手だった。だからこうして乱菊が連れ出てくれて本当に有難いと思っている。あのどんちゃんした空気は楽しいけれど、常に傍にいる自分の隊長があの空気があまり好きではないから。常に穏やかだから。常に優しいから、柔らかだから。自分も感化されたようにそうなってしまった。
乱菊はぷは、と瓶から唇を離し、音を立てて置いた。それから思い出したかのように微笑んで、雛森の頭を撫でる。

「今、藍染隊長のこと考えてたでしょ」

「えっ!?」

「コイスルオトメの顔でしたぁー」

さすがの乱菊もそれなりに酔っているのか、いつになく舌足らず、あるいは言動が幼稚なことに気付いた。けれど気付いただけでそれをどうこうする術は無い。それより、体は正直に羞恥で頬に熱を送っている。
顔真っ赤、と雛森をはやし立てた乱菊は再びラッパ飲みを始めた。

「そんな、あたしは別に、そういうわけじゃ…」

「じゃ、その顔はどーいうわけ」

ぐびぐびと乱菊の腹に消えていく酒をなんとなく目で覆いながら、必死に言葉を探した。自分自身これは恋だと気付いているけれど、それを口にしてしまう勇気が無い。
乱菊は全てを飲み終えて(彼女が飲み始めてからまだ5分ちょっと)空になった瓶を今度は柱の横へ置いた。邪魔にならない位置。酒を水のように飲み干した美女は腰に差した斬魂刀を手にしている。きらきら月光がその柄を照らし出し、僅かに光った。

「…………」

「別に、どうこういちゃもんつけたりしないわよ」

「じ、じゃあっ!乱菊さんの好きな人も知りたいです!」

自分だけ言ってしまうのはなぜか気が引けて、気付けばそう口にしていた。ぽかんと乱菊は瞬いた後、そうね、と艶やかに笑う。逆光で表情がぼやける。

「日番谷隊長よ」

「―――…………え?」

まるで好きな料理のメニューを答えたかのようにさらりと口にした乱菊を、一瞬誰かと疑ってしまった。乱菊は2本目の酒を探し始めたようで、行儀悪く胴体を伸ばし室内に片手だけ突っ込んで、器用に探り当てて瓶だけ取り出す。静かに障子を閉める。
雛森の指先が固まった。

「私が言うとへんな意味に取られそうだけどね。私は日番谷隊長を好いてるわよ。男として――とかいうと、ショタだけど。ひとりの、死神として」

崇高の部類に入ってもいい、と乱菊は言った。
気付けば眼前に彼女の大きな瞳が迫っていて、雛森はいつになくうろたえる。言葉を探していた。あたしが聞きたいのはそういう意味じゃなくて、とまるで蚊のように細い声が唇から漏れる。
乱菊はどうして、と首を傾げたようだった。

「あんたもそうでしょ?」

「―――――――――――――」

ちがいます。そう言おうとした唇は乱菊の細い指先に遮断された。にこりと微笑んだ彼女のその笑顔の綺麗な、色。ほうっと目を開いて瞬き、彼女の唇を見つめ返す。何を言うと、言うのだろう。

「だからね、」

続く言葉を待った。



「あんたが隊長を傷つけたら殺すわ」



りりりりりりりりり。
静かに広がった空間に浅い呼吸が響く。彼女の斬魂刀は名をなんと言ったか。灰猫、だったか。灰猫が、彼女の左手に。しっかと握り締められたそれを目で追って、ひゅうひゅう呼吸を繰り返した。
自分の腕が、たかがそこらの死神に劣るほど弱いとは思っていない。それだけは真実。けれど同時に、目の前にいる自分と同格の彼女から噴き出るような殺気が、零れ出る殺意が、にじみ出る圧迫感が、かなわないと思い知らせる。
ひたりと、首筋にひっついた冷たい感触に一瞬意識が飛ぶかと思った。これほどまでに殺気が漏れているというのに、何故誰一人として気付かない。何故。宴会に脳が浮かれるのもほどほどにしろ、と思いかけたところで、「それはね、」乱菊が呟いた。

「この殺気はあんたにしか向けられていないから」

にこにこと笑顔で言い切った乱菊は静かに雛森から手を引いた。その瞬間逃げ出そうとして腰を浮かせるが、力が抜けてその場にみっともなく尻餅をつく。からからと彼女はいつものように笑った。いつものように。

「あの人が一番だから。私にはあの人が大切なの。だから傷をつけたら殺すわ。悲しませても殺す。痛めつけたら許さない。大事に大事に、囲いたいの。」

これってあんた以上に醜いエゴよね。そういいきった彼女は思い出したかのように刀を振り上げた。その延長線上に自分がいることに気付いた雛森は途端に青ざめ、その場を這って逃げ出す。

「別にあんたが嫌いってわけじゃないのよ。ただ、あんたがいる限りあの人は心やすまない」

だからね。

ぶんと振り上げられた刀が自分の眼前2センチまで来たところで雛森の意識はとんだ。











「酒くっさ………おい!松本、何してんだ…て、雛森?」

「あ、タイチョー。飲んでますぅ?」

「うっせ、うわ酒臭ッ!お前雛森に飲ませたのか!?」

「違いますよぉ、雛森は自分で飲んで自分でブッ倒れて仕方なく私が運んであげただけですぅー」

「…そ、そうか」

許可もなく隣に座り込んだ冬獅朗に乱菊は愚痴や文句をひとつでもこぼすことなく笑みを浮かべる。静かに昏々と眠り続ける雛森の夢の中には今一体、誰がいるというのだろう。
きゃらきゃらと笑って、訝しんだ冬獅朗の視線を受けた乱菊は笑顔を少しだけおさめた。

「夢の話よ、雛森。」

「あ、何がだ?」

「なんでもないでーす」

「減俸するかお前。」