さよならは一瞬でいい。
乱菊の掌に零れ落ちた花びらが、風を受けて飛んでいった。
できれば彼は死んだ事にしてしまいたかった。生きていると認識すれば、それだけ隙が生まれそうだから。許してしまいそうだから。絆されてしまいそうだから。
自分で作った墓石の上に、飛ばなかった分の花を添える。いずれこれも風に流されて飛んでいくのだろう。遠く。指先で数秒押さえると、熱でぼんやりと力をなくした花がひとひら、落ちる。
「疲れてるのか?」
声をかけられて顔をあげた。
背中の方向に子供がいる。酷く小さな。乱菊は口を開き、閉じる。そうですねと心の中で呟き、かたい笑顔を浮かべた。見苦しい笑顔のまま振り返るのは本意ではなかったので、結局後ろには振り向かなかった。
「随分力の要る仕事をしたんだな」
子供は続けて呟き、草履を鳴らしながらこちらへ歩いてくる。これもまた、殊更ゆっくりと。そうやって少しずつ追い詰めていくのだろうか、と考えながら振り返った。
「できればその労力をデスクワークに向けてほしかったんだが」
久しぶりに正面から見つめた彼は自分よりひどい有様だった。と、思っていただけで、きっとこの変化は自分のように長く傍に居た者でなければ気づけない。
かすかに震える瞼と泣きそうに細められた瞳はひどく疲れた様子。
「考えておきます」
「行動に移せよ」
はは。乾いた笑顔を浮かべたまま、冬獅朗は墓石に寄る。乱菊の体が少しだけ傾いて、道を開けた。
乱菊の視線からでは彼の顔が見えない。とても、遠い。
「黙祷でもしますか?」
「揃って、か?」
それも一興。冬獅朗の声はいつまでも透き通って、震えない。
それだけ自分より世界を広く見ていたのだろうと思いながら、乱菊は瞼を伏せた。
もし自分が彼のように、何があっても表面上は変わらない鉄面皮と強い心を持っていたのならばこんな墓石だって作らなかったのかもしれない。
こんなちっぽけな墓石でも作らなければ並行が保てない。
「『昨日某五番隊元隊長藍染惣右介の離反、離反の同罪により処刑された某三番隊元隊長市丸ギンに』」
ぱっ、と乱菊は顔を上げる。
目の前の冬獅朗を見つめる。冬獅朗は振り向かない。すう、と息を吸い込む音が聞こえた。
反射的に乱菊は手を伸ばし、それをとめようとする。それと同時に踏みとどまって、冬獅朗を見守るように足を引っ込めた。
「『黙祷!』」
瞼を伏せ、思考を一切遮断する。
閉じた瞼の裏には誰の顔も浮かばなかった。誰の顔も。裏切った幼馴染の顔、さえ。
目を瞑っていた時間は長く感じた。それこそ1時間や2時間も瞑っていたように思えた。実際は驚くほど早く、たった10秒、その程度。
「『これを以て、市丸元隊長の葬儀を終了とする』」
乱菊が静かに立ち上がり墓石の前から姿を消した、その数分後も、冬獅朗は動かなかった。
たった数分。たった数分だけで、大きな風が花びらをさらっていく。容赦もなく、跡形もなく。
それをどこか冷めた瞳で見つめてから、軽く笑った。
死んだと思わなければ。
死んでしまった存在だとでも思わなければ、生きていく事すら、呼吸をする事すら、躊躇ってしまいそうだ。
だからあれは死んだ事にすればいい。もう放り出してしまえばいい。もうたくさんだ。もうたくさん。あんな男に振り回されることなんて。
『黙祷!』
―――なぁ。
『これを以て、』
―――シロ、こっち向きぃよ。
『市丸元隊長の葬儀を』
―――ごめんな、
『終了とする』
―――――ばいばい。
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