好きだ、とはっきり言われて、その瞬間は一体何を言われたのかと驚いたけれど、ああ今のはいわゆるこくはくというものなのだ、と気付いた瞬間肩が跳ねあがった。
すき。すき、とは?このひとが、ぼくを、すき?どこが?なんで?
聞きたいことや言いたいことはいろいろあったけれど、その言葉の通り道を明らかに超える容量のものが脳内にぱっと湧いて出て、結局何も言えなかった。
誰からも慕われていて、誰にでも分け隔てなく接し、成績は良く、料理もできるという万能の人。だからこそ校内外構わずあらゆる人から好かれており、どうたらこうたら、というのは久慈川さんから聞いた。
だからこそ、不思議で不思議で、とてつもない違和感で、自分でも何を考えているのやらわからなくなった。慌てて今までのようにスマートな対応のできない僕を、彼はくすりと笑って見つめてくる。そして、整った顔、薄い唇で、僕に次のようなことを言った。
「ちょっと冷えてきた。帰ろっか」
はい?
「うわ、風強い。直斗、帽子飛ばされないように気をつけて」
え、ええそれはまあ、はい。
「あ、このへんにいつも狐がいるんだ。多分どっかに隠れてると思う。またなー」
えええええ。
当たり前のように、ごく自然に、恐らくあの不思議な葉っぱを取り出す狐がいるのであろう場所へ手を振りながら彼は歩いて行く。少しして振り返り、一歩も動いていない僕を見て不思議そうな顔をする。帰ろうと言ったのだから僕も帰る、そういうものだと思っていたと言わんばかりの顔だ。
相変わらず頭の中ではなにか納得のいかない、もやもやとしたものがあったけれどここでそれを持ちだすのもどうかと思ったので、大人しく彼について行く。僕は今、確かに、彼に好きだと言われたのだけれど。今までの、僕が女で良かっただとか、そう言った言葉を思い出して、ますます混乱してくる。今の、いやもしかして、告白ではないとか?
自慢ではないが、恋愛経験は皆無に等しい。もともと、人付き合いというものが得意ではなかった。仕事でどうしても関わり合いになる以外の人とこれといって積極的な付き合いをしたことがなく、誰かを好き、になったという記憶もない。
そもそも、いやそもそも、好きになるということがよくわからない。だからもしや先ほどの彼の「好きだ」は、そういった恋愛に関係なく、人間的な意味で好き、ということかもしれない。など結果の出ないことを悶々と考えていると、もう家までついていた。
「今日は寒かったから、風邪引かないようにな。帰ったら手洗いするんだぞ」
「わ、わかってますよ……」
彼が母親的な言動をするというのは彼の同級生である人物から多々聞いた。彼の相棒、と自称する人物も、彼は“オカン”だと言うのを聞いている。
そう言った態度をとるということはやはり、僕を人間的な意味で好いているからではないのだろうかということを思いついて、なんとなく情けない気持ちになった。何を勘違いしたんだ、ばかばかしい。彼が僕を恋愛的に、女性として、好きになるはずがない。こんな、どこが女なのかもわからないようなやつを。
「……では、お気をつけて」
「ああ。また明日」
角を曲がって行く大きな背を最後まで見送り、完全に見えなくなってから家に戻った。ここ最近の事件のことで、家に入る前に周囲の確認をするのを徹底している。怪しい影がいないか確認を終えると、扉を開けて素早く中に入り、チェーンをおろし鍵を閉める。
一連の動きをした後で、彼に言われたからというわけではないが上がるなりまず手を洗った。もう秋に入ったからか、水がひどく冷たい。
手を完全に拭いてから、上着と帽子を脱いで洋服スタンドにかける。それから、随分昔に読んだ小説を引っ張り出した。
恋愛とは。
前述したように、僕には恋愛経験と言うものがほとんどない。
と言う見栄を張った言い方をしたが、はっきり言って、ない。誰かを好きになったことが一度もなく、ゆえに誰かとお付き合いしたということもない。
そのため、恋愛ごとに関する情報はほぼ書物や伝聞でしか得たことがなく、いやもう、面倒だから一言にまとめると、そんな知識の浅い僕でも先ほどの彼の言葉は引っかかる、ということだ。
僕が、好きだから。
僕が推理した通り、もし人間的にという意味だったのであれば、その後の会話のつながりがおかしい。もし本当に彼が何の他意もなく純粋な好意を伝えてくれたのであれば、その後の「とんでもないことを言われた」という僕の言葉に否定を入れるはずだ。どちらかと言うと彼も少しぼやっとしたところがあるけれど、察しが良いし、そもそもそんな誤解をするような言い方をしない。
だとするとやはりあれは、僕を、僕を女として、そういった目で見て言った言葉なのだろうか。考えると、手のひらにじんわりと汗が滲んで頭がくらくらする。
考えたくはないが、いやでも、考えることをやめちゃいけない。拒絶する理由だって、ない。なぜこんなに、体がおかしなことになるのか、だってそんなの、そもそもそんなに考えることでもない。
「あのひとが、すきなのか、ぼくは……」
言葉にするといっそう、頭がくらくらとした。
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