「あれ」

 翌日、少し図書館で調べ物をと思って出向いた先で彼と会った。
 昨日のことを思い出して、自然と心拍が上がる。恐らく顔も多少色が変わっているだろう。何を言われるのか、何を言うべきなのかわからず、半分ほど間抜けに口を開いたまま固まっていると、彼が優しく笑う。

「勉強でもしに行くのか?」

「え……あ、ああ、はい。少し、調べものをしようかと」

「そうか」

 これだけぐるぐると考えているのが馬鹿らしくなるくらい、いつもの会話だ。
 昨日の今日だから、彼も何かぎくしゃくとした態度をとると思っていたのだが、そんなそぶりはかけらもない。
 勉強熱心だな、と笑う彼を見て、頭の中に疑問符が浮かぶ。ここが学校だから、他の人に見られることを危惧していつも通りふるまっているのかと思ったけれど、演技にしてはできすぎだ。まるで昨日のことなどなかったかのような態度を、彼が演じきれるとは到底思えない。善意ある嘘でも、躊躇する彼なのだから。

「せ、先輩は、どうしてここに?」

 会話の糸口を探すべく、適当なことを問いかける。彼が成績優秀ということは知っていたから、もしや僕と同じく図書館に用があるのかと思った。けれど彼はゆるく首を振り、手に持っている鞄をかるく持ち上げる。

「この辺にいる生徒からちょっと頼まれものしてて。それを持ってきただけ」

「そう、ですか……」

 別に僕に会いに来てくれたわけではないと知っているのに、なぜか落胆する。それじゃあ、と手を振ってそこで別れてからも、また胸の内が落ちつかなかった。

 彼は。
 彼は、何のつもりであんなことを言ったんだろうか。
 僕が、都合の良いように聞き間違えてしまったのだろうか。

 夢だったのだろうか、あれは。