食べかけのジャムパンとお茶を持って屋上に来ると、もうほとんど人はいなかった。授業がそろそろ始まるからだろう。こうやってサボリの誘いをかけたくはなかったが、してしまったらもう仕方がない。久慈川さんも全く問題ないと思っているのか、授業についての話題は一切出なかった。
いつも里中先輩が指定席としているところへ二人して腰掛ける。よほど重大な話なのだろうと身構えている久慈川さんに、いかにも深刻そうに言った。
「どうしても、小説の中で理解のできないところがあって」
「……もしかして、悩みってそれ?」
「もちろん」
久慈川さんの眉間に皺が寄る。まさか小説の話だとは思っていなかったのだろう。難しい話なら、わからないかも、と少し不安そうにつぶやいた彼女はやはり女性らしくてかわいくて、まぶしい。
こうして見ると彼女はとても可愛らしく見えるけれど、かわいいかわいいと言う花村先輩に対し、巽くんはかわいくねえ、と言う。それは好みの違いというのはわかっているけれど、容姿的な意味で考えれば本当に久慈川さんは、かわいらしい。
勉強は苦手で、小説の類もあまり読まないけれど、僕の悩みを聞くためにまじめな姿勢をとる。そういうところもかわいらしいのに、巽くんはどこがかわいくないと思うのかな。
そうこうしているうちに、ついにチャイムが鳴った。久慈川さんは一瞬目をどこかに向けたけれど、気にしてないようにこちらを向く。話の続きは、と表情が語っている。僕はもうどこかで何かが据わっていて、言うにためらう間も置かず口を開いた。
「例えば、小説の主人公を仮にAとします。その女性は、今まで意識もしていなかったBという男性から告白される。その際、返事は求められません。ちなみにBは世間一般から見て好青年、かつ容姿端麗、かつ文武両道、対してAは平凡で、女性らしさのかけらもなく、勉強くらいしかとりえがありませんでした」
「う、うん」
「Aは、なぜBから告白されたのだろうかと考える。恋愛経験もないものだから、当然たくさん悩みます。その過程で、自分もBが好きなのだと思い至る。もしBから再び返事を求められたらちゃんと返そうとしたにもかかわらず、Bは返事を催促する様子がない。それどころではなく、告白のようなものを続ける」
「う、うん……?」
「耐え切れずAからその話を切り出すと、Bは返事はいらないと言った。自分が好きで伝えているだけで、返事もいらない、つきあうつもりもないと」
「……え?え?なんで?」
久慈川さんの様子を見て安心した。どうもこれが普通の反応らしい、よかった。
妙に的外れな安心をしながら、持参したお茶を飲む。一気に喋ってちょっと疲れた。
「なにその小説。それ、どうなったの?」
「……ここで終わりなんです。続き物で、まだ出てないものですから」
事件のことを考えているかのように真剣な彼女の横顔を見ながら、残りのジャムパンを食べた。しかしあんまり眠れなかったのだから、弁当くらい作ってもよかったんじゃないかとも思う。けれどぼうっとした状態で料理をして、怪我をしたり器具を壊してしまってはいけないだろうから、まあいいとしよう。
例えばなしで濁しても気づかれるかと思ったが、久慈川さんは気づいていないようだった。その話に納得がいかないのか、AだのBだのをぶつぶつつぶやいている。
「あの、そういうわけで、続き物が出ればはっきりしますから。気にしないでください」
「よくない!」
わっ、と大きな声を出して、久慈川さんがこちらを見る。どこか怒ったような顔。ぜんぜん、よくないよ!という声が耳に響いた。
なぜか異様に興奮している。顔というか、頬が赤く、目の白目部分もわずかに赤みがかっている。泣く寸前とはまた違うが、それと似ていた。何を、どうしたんですかと問いかける僕の声にかぶさるように、久慈川さんが悲鳴のような声を上げる。
「はっきりさせなきゃ、だめだよ!」
どうやら、先ほどの僕の嘘話に相当感情移入しているようだった。もともと僕たちのなかで、感情表現が一等豊かな人だからそういう展開も予想していなかったわけではないが、さすがに面食らう。どうして泣きそうなんだろう、彼女にとっては、たかが小説の話だろうに。
「Aは、Bが好きなんでしょ?BもAが好きなのに、なんでそんなわけわかんないことになるの?こういうのはね、はっきりさせないと、あとあとお互いが後悔するの!なんでそんなことになったのかとか、二人が考えてること私よくわからないし、いつから悩んでたのか知らないけど、このままだったら余計ややこしくなっちゃうし、直斗くんももっと疲れちゃうし、誰にとってもいいことないから、こういうのはね、誰かに頼んで、聞いてきてもらえばいいの、もうまどろっこしいから、私が聞いてくる!」
「え?」
「大丈夫、せんぱいに直接聞くわけじゃないから。直斗くんはここで待ってて!」
「え!?」
いつからばれてたんだ、というかなんでばれてるんだ、ということ以前に、そもそも授業中ですという説得をするべく急いで久慈川さんの肩を掴んだ。
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