「直斗くんが好きになるのなんて、せんぱいくらいしかいないじゃん」

 なんとか説得して屋上に留めたあと、いつからわかっていたんですかという問いかけに久慈川さんはこう答えた。

「最近、なんかおかしいなって思ってたけど、こないだせんぱいが素材探しに行った帰りに、直斗くんいよいよおかしかったもん。私はアナライズしなくていいって言われて中の様子がわからなかったし、せんぱいはいつもどおりだから、何かあったのかなって思ったけど、聞けなかったし。そこで小説にたとえられても、ぜーんぜん、信じられないよ。どう考えても二人のことだもん」

「…………」

 ほとほと自分が馬鹿らしくなって黙っていると、久慈川さんが僕の手を掴む。

「……あのね、もしかして直斗くん、私がせんぱい好き好きって言うから、誰にも言わないほうがいいって思ってた?」

「それは……多少あったけど、それだけじゃないですよ」

 あったんだ、と久慈川さんが声のトーンを落とす。ひどく落ち込んだような表情だ。そういえば、彼女はずいぶん最近まで、僕に言った「そっちのほうが遊びじゃないの」の言葉に凹んでいた、と先輩から聞いた。なんだかんだ、軽くしゃべっているように見えて、一言一言に気を遣っている人なんだとそのとき思った覚えがある。それと同じで、自分の行動にも気を遣っているのだろう。アイドルとはそういったものなのだろうか、いやこれは、久慈川さん独自のものなのかもしれない。巽くんにしても天城先輩にしてもそうだが、なんともまあ、ギャップがすごい人だ。

「そんなに気にしないでください。本当に少しですから」

 これはフォローになるんだろうかと内心思いつつ声をかけるが、久慈川さんのどんよりとした空気は払拭されなかった。まあ当然だろう、言わなきゃよかったかな、これだから花村先輩に空気が読めないと言われるんだ、とぐるぐる考えていると、久慈川さんがもごもごと体を揺らす。

「私はせんぱいが好きだけど、でも、ほかに好きな人がいるのに、無理にこっち向かせようってことはしないよ。あわよくば好きになってくれるかなあって思ってるけど、せんぱいはああいう人だし、こっち向かないのもわかってる。だからね、直斗くんが気にすること、ないんだよ。ないの」

 どこか甘えたような口調で、この人はかわいらしいなあとまた思っていると、久慈川さんがぽろぽろ泣き出した。思わずぎょっとして体をそらすが、この場に宥められる人間は僕しかいない。泣かないでください、ね、と肩に触れたが、涙の勢いは減速どころか加速した。

「なんで泣くんですか……」

 こういった手合いは慣れていなくて、お手上げ状態でつぶやく。ここに彼がいれば、いとも簡単に彼女を泣き止ませたかもしれない。でも僕は、彼じゃなくて、そんな魔法みたいなことはできない。
 ただただ、ひたすら、肩に触れたり背中をなでたり、声をかけたりするだけだ。それだけしかできない。

「直斗くん、せんぱいが好きって、いった」

 ところどころ声を詰まらせながら、久慈川さんがつぶやく。いや、直接的に言った覚えはないが、まあ先ほどのAとBを用いた説明のなかで関節的には言ったから……まあいいか。そう考えると先ほどの話がますます恥ずかしい。

「りょうおもいだよ。幸せにならなきゃ、だめだよ」

 さめざめと、というよりは、はらはらと、と表現したほうが似合う久慈川さんの泣く姿を見ながら、言われた言葉を頭の中で反芻する。
 しあわせ、とは、なんだろう。両想いだと、幸せになれるのだろうか。それでも、両想いで、僕が幸せになったとして、彼が幸せになるとは思えない。そもそも、しあわせとは何を指すのだろう。
 もしそれが付き合うことならば、きっと彼は幸せになれない。

「……なかないで」

「だめだよ、直斗くん、幸せにならなきゃ、だめ」

「いいんです。僕が幸せに、ならなくても」

「だめ!」

 なぜか当人の僕より、彼女の方がよっぽど事態を気にしていることがおかしいのに、気にされていることは嫌ではなくて、これからどうしようか迷った。だめ、だめだよ、と泣き続ける久慈川さんは、なんで人のことでここまで泣けるんだろう。
 人のために泣ける人は、すごいなあ、と今考えるべきではないであろうことを考えていると、次第に落ち着いてきたのか久慈川さんの呼吸が穏やかになってきた。

「落ち着きました?」

「…………」

 小さな頭がこくん、と動く。ハンカチでも差し出そうかと思ったが、ポケットを探るとなかった。なんという不覚。そういえば今日出るときに古いものを洗濯機に入れて、新しいものを取り忘れたんだった。
 制服の袖とスカートが濡れて、なんともまあ人前に出れなさそうなことになっているが、授業が終わる頃には乾いているだろう。申し訳ないな、と思いながら続く言葉を待っていると、ふいに久慈川さんが顔を上げた。ぽかん、とした表情にどうしたのだと視線を追うと、予想だにしなかった人物が入口に立っている。その人物はこちらを見るなり、見るも明らかに表情を変えて声を上げた。

「げえ」