涙は容赦なく流すのが丁度いい。
伸ばされた手を払いのけて膝を抱え込んだ。それから頭上で溜息。気付いて顔を上げてむくれた表情を浮かべれば、なに一つ悪びれた様子の無い飄々とした無表情が返って来た。
隣に座っていいか、と一言も聞いた覚えが無いのに今隣には彼が座っている。すわらないでよ、と言いかけてやめた。どうせ何を言っても聞いてくれはしないだろう。あきらめた。
そしてくったりと首をもたげて空を見上げる。今の自分に相応しい曇天、或いは夕暮れ。雲で覆い隠された薄暗い空を、なんとか救い出そうと暗闇が顔を覗かせる。
星が、出てくるだろうと思った。荒れた心に星空は心地よい。どうせなら星が出るまで一人で、と考えていたのだが隣に人がいては集中することもできない。
やっぱりどっかいってよ、と言うべきなのだろうか。そう思って隣を見ると、あろうことか彼は黙々と書類に目を通していた。書類を持参していたのだ!なにがあっても居座るつもりだ。私の横に。
呆気に取られてしばらく見つめていると、視線に気付いたのか彼がこちらを見た。きれいな翡翠色に一瞬ぼうっと見惚れて、それから「な、に」しゃくりあげつつ問いかける。
「それは普通俺が聞くべき言葉だと思うんだが」
呟いて、また彼は書類に目を通し始めた。
なに、よ。思って、しばらくしてから視線を剥がす。何故私がこんなに嫌な思いをしなければならないのだろう。大泣きして体も心もぐったりしたところにこんな、我が物顔して居座る一応上司が来るなんて。
盛大な溜息をつこうとして、喉が一瞬震えた。それから吐き出そうとして引きつる。泣きたての喉はひどく脆い。呼吸一つ困難なほどに。
しょうがないからやめた。はぁ、と短い息だけ吐いて空をまた見上げる。そんな小さな動作一つしている間に空はとっくのとうに更けていた。星がひとつふたつみっつ、よっつ、とどんどん数を増して空に輝いている。「きれい」隣に彼がいることも忘れて呟いていた。
書類に判を押していた音が止まって、また彼も空を見上げるかすかな音。「そうだな」私は一回も賛同を望んでいないのに勝手な返事。
「あたし、シロちゃんに言ってないっ!」
「あっそう」
ひとつも悪びれた感情が見られないままそう言って、彼は再び書類に判を押し始めていた。
第一極秘書類なんじゃないの、それ。私が隣にいたまま見てていいの。別に密告したりとかそういうことはしないけど、でも。彼は隊長という自覚が無いんじゃないだろうか。
そう思ってじいっと見ていると、風にさらわれて書類が1枚ぺらりととんだ。「あ」私は呟いて反射的に手を伸ばそうとする。伸ばす。が、それを遮るように細くて白い腕がその書類を掴んだ。
掴んだ彼の手をじっとまた見つめると、なにごとも無かったかのようにまた書類に判を押し始めた。書類は無意識のうちに掴んだようで、また無造作に束の上に戻される。私が触ろうとすればできるけれど、少し手を伸ばさないと届かない距離に置かれた束の上に。
前言撤回、きっと隊長だという自覚はあるのだろう。しばらく考えていると突然彼は立ち上がった。書類を手に持って。
「かえるの?」
半ば反射的に呟いていた私は、きょとんと目を瞬かせた彼に気付いてはっと口を閉じた。「なん、なんでもない!さっさと帰って!」これを何も知らない死神が見たらどうするのだろう、隊長に対する反逆罪とかで怒られるのかな、と思いながら顔を隠した。
ふっと、空気が緩んだ気がして私は指の隙間から彼を覗き見る。「かえるよ」彼は呟いて私の頭にちょんと手をのせた。私よりも小さな手。私よりも小さな。
「じゃあな、泣き虫桃」
「一言多いよっ!」
廊下を去っていく彼の後姿に怒鳴りつけて、それから顔を覆い隠す。再び空をそっと見上げたけれど、さっきのような感嘆は湧き出てこなかった。隣に彼がいないだけで、少しだけ世界は変わったのだ。
気付けば私は涙が乾いていることに気付いて笑っていた。それから何に対して悲しんでいたのだろうと考え始めた。彼が来たときから既に全ては吹っ飛んでいたのだ、そう、確かに、全て。
ただ恥ずかしくて彼に何も言えないだけ、
|