彼から衝撃的な告白を聞いたのはもう遠い四月の話。思い出せば口の中が苦くなるようなそんな奇妙な感覚を覚えるけれど、実際の彼は言葉通り身近にいる男性には興味すら湧かないようで、僕が見ている限りは通常時と何ら変わりない対応をしているようだった。それは勿論、例外なく僕にも。
機関はやはり彼の性癖について何も知らなかったらしく、まるで告げ口でもした後のような妙な罪悪感が生まれた。しかし新しく仕入れた情報に上司たちが困惑していることに少し優越感を覚えたことは内緒だ。
涼宮ハルヒという『女性』と添い遂げて世界の安寧をはかる、それが彼の役割だと信じて疑わなかった上司たちの、その根底から巨大ハンマーで突き崩されたような今回の出来事は、機関という仕組みを崩壊しかねないとんでもない事実だった。しかしそればかりはどうにもならない。
いっそ彼を拉致して暗示にかけようだの、薬漬けにして洗脳させようだの、不穏な計画まで飛び出してきたのには僕も驚いたが、さすがにそれは犯罪の領域にかかるので彼らも決定は下さなかった。
僕を使って篭絡するだの、機関に所属する人間を泳がせて彼をとらえ、そこから涼宮ハルヒを好きになるよう話をつけるだの、それこそ阿呆なのか真面目なのか判断しかねるような案も出たが、どれもこれも却下された。まず第一、僕はれっきとしたヘテロであり、彼のような、あくまで一般的な男性に惹かれたりはしない。それに彼も、身近――僕が既に「身近な人間」とインプットされているかどうかを確認したわけではないが――の人間には興味を惹かれないと自ら公言している。第二、彼は思った以上に鋭い人であり、少しでも怪しいそぶりが出れば突然疑ってかかる。どこから来た誰かもわからない人間に心を許し、そこから涼宮ハルヒに好意を持たせることなんて不可能にも近いだろう。
いっそ脅すか、という話も出た。そこまで長くも無いが、一日そこらという付き合いでもない彼の人となりがだんだんとわかってきた僕なら知っている、彼は家族をとても大切にする人であると。
だから、涼宮ハルヒを好きにならなければ家族をどうこうする、と言えば彼も動くのではないかという案が出たのだが、それも勿論却下だ。なんせ、僕は彼本人から言われていた。もし俺を脅すようなことをしたらとんでもないことをするからな、と言われ、はじめは口からでまかせだと思ったものの、後々になって掘り下げてみれば、長門有希に協力を要請するだの、昔付き合っていた男性にハッキングを生業としている人がいたからそれで機関のデータを流出してやるだの。
そうなれば機関が彼に手を出すことはほぼ不可能、という結果にしか落ち着かなかった。涼宮ハルヒのご機嫌取りだけはするように、と言い聞かせるように、と僕は耳にタコができるほど聞かされたが、それを伝えたところ彼は意外にも真っ当な対応を彼女にしてくれているように思う。おかげで、少し前に比べ閉鎖空間の発生率は驚くほど減少した。彼は女性に性的興奮を覚えないだけで、嫌いではないのだということも理解した。
とまあ、ここまでは今までの激動の数ヶ月を振り返った総まとめなだけで、本題は別のところにある。もうそろそろ夏に突入する時期になった今頃、僕たちの服装は当然半そで。
であるというのに、彼は部活に来る度なぜかカーディガンを着用していた。暑くないんですかと言ったら暑いに決まってんだろふざけんなお前豆腐の角に頭ぶつけて怪我しろ、とまで言われてしまった。なんと理不尽な。
「差し支えなければ、あなたがこの季節に不相応であるカーディガンを着用している理由をお聞かせ願いたいのですが」
「差し支えがあるから駄目だ」
二秒と待たず言い切られた言葉に苦笑を浮かべ、そうですか、と呟いて手元のルークを盤上に置いた。せめて腕まくりだけでもしたらどうですかと問いかけてみたところ、腕を隠してんだろうがと彼は低い声を出す。涼宮ハルヒはそんな彼の様子を見て今日一日何も言わなかったというのだろうか。あの好奇心を煮溶かして人間の形に生成したような少女が?まさか。
ちらりと視線を横にずらせば、パソコンの前で涼宮さんが仏頂面を晒していた。彼に勝らずとも劣らずのつれない表情。まだ閉鎖空間が発生するほどではないらしいが、それも時間の問題だろう。
彼が次の手を考えている間に、彼女を観察する。案の定、何かを発散させるべくガタリと音を立てて立ち上がった彼女は、みくるちゃーん!と叫んで朝比奈さんの元へと駆けていった。それから僕らに何を告げるわけでもなく、朝比奈さんを伴って外へ出て行く。行きしなにデジタルカメラを手にしていったから、校内撮影だろう。
それを見届けた彼は、手元でクイーンをあそばせながら僕へと視線を移してきた。尖った口先がアヒルみたいで、思わず微笑んでしまう。何が楽しいのかはわからんが腹立つから笑うな、と言われたので苦笑に切り替えた。笑いが消えたわけではない。
「カーディガン着てる理由な、ハルヒの前じゃ言えん。今なら言えるが」
聞きたければ聞いて来い、ということなのだろうか。思わずまた笑みを唇にのせてしまって、彼が機嫌悪そうに眉を寄せた。こどもみたいだ。
「では、お聞きしても?」
「あー。昨日やったときに体中にべたべたつけられてな」
はい?
「やった?つけ…?」
首をかしげて問いかけると、彼はほれ、と言いながらカーディガンを捲り上げた。一瞬時期早く蚊の襲来でも受けたのだろうかと考えたが、彼の言葉を反芻してようやく意味を消化する。
「ヤったときに、つけられた、きすまーくってやつだ。おわかりか」
「……おわかりです……」
思わず脱力して、目前にあった盤上に額を打ち付けてしまった。勿論その上に置いてあっただけの駒は転がり、ゲームも半ばで中断になる。ただどうせ次の次の手あたりで僕が負けていただろうから構わない。何かを賭けていたわけでもないし。
「夏服になったからつけんな、って言ったのにつけるから。こんだけありゃあ、絆創膏で隠すこともできんだろ。蚊のとはちょっと色が違うし、確実に隠せるもんじゃねーと」
だからカーディガンですかそうですか。ちなみに涼宮さんにそれについて何か聞かれなかったんですかと問いかけると、
「問答無用で剥がされかけたから、皮膚が荒れて痛いから触んなって言っといた」
「はあ……」
最近僕が気付くようになったこと。彼が前日に情交をしたな、というポイント。まず一つ、だるそうにしている。いつもだるそうにしているけれど、それに拍車をかけてだるそうにしている。たまに腰を庇うように歩く。二つ、必ず体のどこか、見える範囲で露出している部分にひとつは絆創膏が貼ってあること。多分キスマークとやらを隠しているのだろう。見えない部分にどれだけあるのかは定かでない。三つ、声が少しだけ枯れている。風邪のシーズンを明らかに外しているというのにも関わらず枯れている。以上の三つの点が揃っていれば、ああ彼が昨日してきたんだなあ、ということが窺えるのだ。
こんなポイント見つけたくなかった。確実に何かを間違えている気がする。そんなことより僕にはやらなきゃいけないことがたくさんあるのに。彼ばかりに構っているわけにはいかないのだ、色々と。いや、彼も構ってほしいわけではないだろうけれど。
帰りがけに、ふと気になって質問をしてみた。「あなたの彼氏ってどんな人なんですか」と。一応彼については機関の調べのメスが入っているが、その彼の彼氏にまでは入っていない。ただ僕が気になっただけであり、たいした意味も無く聞いてみたことなのだが、彼は胡乱げな表情を浮かべた。
「気になるのか」
「……ええ、まあ。知的好奇心と言いましょうか」
そういう言い方は嫌いだ、と彼は眉を寄せたけれど、最終的には顎に手を置いて考えてくれる。
「それって、今の奴のことだよな」
「………ええ、そうですね」
どれだけ男がいたんですかという質問もいつかしてみよう。なんだかまだ、信じられないところはある。こうして横でなんでもないように(今の話題はアレだけど)、それこそ普通の男友達のように話を交わしている彼が、実は男にしか興味が行かない人だなんて。
朝比奈さんのような魅力的な女性を見たら普通にデレデレしているように見えるのもきっとうそではない。だが、まあ、抱きたいとまでは思わないようだ。それこそ当初、涼宮ハルヒの鍵うんぬんの話題を振ったときの彼の反応は
「俺ハルヒでたつかな」
だったし。
まあたつたたないはどうでもいいが、こんな風に彼が横で、普通に会話していることが、また信じられないなあ、という感覚を肥大させていく。身近にいる人間は恋愛対象に入らない、というのは何故なのだろう。彼のポリシー?それともそうなってしまうだけ?
わからないけれど、とりあえず彼に聞きたいことが増えた。今までどれだけの男と付き合ったのか、そして何故身近にいる男性には興味が惹かれないのか。
まあ、機会があればいつか聞いてみようと思う。
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