今日は随分と突然暇になったんですねと呟いて、盛大に地雷を踏んだことに気付いた。
眠そうだった瞳が今度は胡乱げに細められ、続いてじとりと睨むそれに変わる。すみませんと謝罪をしたものの、心のこもった響きは一切出なかった。ただ彼は特に気にした様子も無く、すぐに視線をそらす。
「まあな、いいじゃないか。ハルヒと騒ぐのだって大切だろ?」
「……それは、そうですが」
寧ろ、そちらのほうがありがたいと言えばありがたい。彼が集まりに参加しないと意思表明をしたその日の晩は、閉鎖空間も規模も大きく、神人もなかなかしつこい動きを見せた。ところが彼が参加すると言った瞬間、ああして楽しそうに過ごす神様。非常に解りやすいし、その解りやすい変化のおかげで僕の心も安らぐ。今日はきっと静かに眠れるだろう。
「しかしあなた、彼氏さんは良いんですか」
「あー、別れた」
ああ別れたんですか、とうっかり流すところだった。
別れたんですか!?と声が大きくなりそうなところをなんとか押さえて問いかけると、なんだよ俺の勝手だろ、と不機嫌な瞳を向けられる。そうだ、もちろん彼の勝手。僕からしてみれば良いことだが、別れたという言葉を聞いて、手放しで喜べるほど爽快な気持ちになれるはずがない。
どうして別れたんですか、なんて聞くのは野暮だろうかと思いつつうろうろと視線をさ迷わせると、気になるのか、と彼が呟いた。勿論それを狙っての行動だったのだが、少しあざとかったかもしれない。
「まあ、特別な理由なんてもんは特に無い。別れたほうが良いって思ったから別れただけで」
「はあ」
……会話が終わる。
もう少し僕も気のきいた返答が出来なかったのかと思わないでもないが、口にしたところでどちらにせよ、彼はこの話題が引き延ばされることを良しと思わなかっただろう。
今回は珍しく、写真撮影と言って近場の公園に訪れている。僕たちはおとなしくベンチで語らっているが、彼女らは精力旺盛に(それは涼宮さんだけと修正したほうが良いかもしれない)、池に浮かぶ鳥を招きよせたり、小石を飛ばしてどれだけ石が跳ねるかを競っていた。本来の来訪目的であるデジタルカメラは長門さんの首にかけられたまま。
「ていうかさ」
「はい?」
そろそろ飲み物が欲しくなってきたな、と思う僕に、彼が小さく呟く。反射的に横を向いたが、彼はこちらを見ていなかった。こげ茶色の瞳が虚空を見ている。瞳の先には特別何かがあるわけではない。いったい何を見ているのだろう。
「俺の話はどうでもいいんだよ。お前はどうなんだ」
じいっと見ていると、突然その瞳がこちらを向いた。なんだか後ろめたいことをしてしまったような気がして、急いで視線をそらす。見ていただけなのに何故こんな気持ちにならなければならないのか。
僕のことですか、と小さく呟いて、口を閉じた。残念ながら、たいした話題は持っていない。それこそ男女交際であるとか性行為だとかに興味を持ち始める年齢から、神人と戦うだの世界を守るだの、小難しい事情の中に投じられたのだ。なかなか荒れた時代をすごしたとは思うが、彼を楽しませられるような経験はほとんどしていない。
勿論今彼女を作るなどもってのほかだ。恋愛を特別禁止をされているわけではないが、よほどの理解がある彼女ではないと、僕とは付き合っていけれない気がする。
「お話できるようなことは何も無いですよ。残念ながら」
肩をすくめると、彼は自分から話題を振ってきたにも関わらず、ふうんと気の無い返答をした。じゃあ好きなタイプは、と続けて問いかけられ、一瞬理解が遅れる。好きなタイプ。こんな年頃な会話をしたのも随分久しぶりなような気がする。
「お前、いつかハルヒのことを好きみたいなこと言ってなかったか?」
「そうでした……っけ?」
ああ、そういえば、たいへん魅力的な女性ですだの何だの言ったような気はする。ただそれは彼をたきつけるために言った言葉であって、実のところそんなに深い意味はない。確かに涼宮さんは非常に魅力的な容姿をしているかもしれないが、その性格について行けれるほど僕はアクティブではないと半ば自覚している。
今は機関の意向に従ってイエスマンを演じているが、普段の僕ならば率先して休みたがるだろう。楽しいことは嫌いではないが、動き回ることは好きではない。
「……おとなしい人、でしょうか」
「長門か」
「そちらに持って行くのはやめてください。あくまでタイプですから」
タイプと実際に好きになる女性には差異がある、とよく聞くものだし、実際僕はタイプというものを意識しない。人を好きになったことがない、というわけではないが、そもそも真面目に、この人が好きだ、大好きだ、と心から言えるような人物がいたわけでもない。
「好きになった子がタイプ、ってやつか」
ありがちだが、そんなものではないだろうか。
苦笑を浮かべて概ね同意の意を示すと、彼はまたもや興味なさそうにふうんと呟いた。随分と淡白に見えるが、体中に所有印をつけたいと思うほどに大切にされていた人なのだ。恋愛をすると、きっととても変わるに違いない。それこそ、独占したいと思えるほど、魅力的に。魅惑的に。少しだけ興味があるが、それを見る機会はきっと無いだろうなと、そう思った。
「そう言えば気になったんですが」
「ん?」
靴の紐が解けていることに気付いて直している彼に、僕は小さな声で問いかける。気にしているというほど気になっているわけではなかったが、いずれ機会があれば聞こうと思っていたことだ。
彼が紐を結び終えるまで待って、彼がゆっくりベンチに背を預けてこちらを見たのを確認してから口を開く。
「今まで何人の男性と付き合ったんですか?」
「……はあ?」
いえ、気になったので、とバカ正直に言えば、彼は呆れたように微笑んだ。ここまでドストレートに聞いてくる奴いないぜ、と言いながらも、頭の中で数えてくれているらしい。上向いた瞳を見ながら、少しだけ予測してみる。随分とあらゆることに手馴れた様子だったから、十人前後くらいではないのだろうか。まだ彼は十代半ばの子供なのだし、さすがに二十の大台までは行っていないだろう。
しかし、彼がこちらを見て、開いた口から飛び出てきたのは思いも寄らない一言。
「……覚えてない」
「……はあ?」
その言葉に、思わず先ほどの彼と同じような声が出てしまった。
覚えてないんだから仕方ないだろ、と呟く彼に、はあ、と曖昧な相槌を打つ。覚えてないって。少なくともそれは、片手で足りる数ではないということだ。それか、よほどひどい別れ方をした人が中にはいて、思い出したくないだけか。その可能性は無さそうだな。彼の表情からは嫌悪やその他のマイナスの感情が窺えない。
「……じゃあ、ええと、もう一つ質問しても良いですか」
「別に良いが……こういう質問は女子にはしないほうが良いぞ」
当然知っています。デリカシーが無いと怒られるでしょう。つまりあなただからしてるんですと言えば、彼は怒るんだろうか。
「どうして、身近にいる男性には興味が惹かれないんですか?」
きっと先ほどのように考えてくれるのだろうと思っていた僕を裏切るように、彼は困った表情を浮かべる。何故お前に言わなければいけない、といった表情を見つけた気がして、少々困惑した。
彼は小さく溜息を吐いて、涼宮さんたちがいる池へと視線を移す。それから横に視線をスライドさせ、通行客の有無を確認すると、そっと人差し指を唇の前に持って行き、今までに見せたこともないような、不思議な顔をした。
言うなれば、非常に妖艶な、顔を。
「――…禁則事項だ」
日ごろ僕が同じことをやれば、朝比奈さんの十八番を取るんじゃないだの、お前がやると気色悪いだの何だの言うくせに、と言う余裕すらなかった。瞳の中に映りこんだその表情に、すべての思考が持って行かれた気がした。だから聞くなよ、と言った次の瞬間の彼はもういつもどおりの気だるげな表情で、先ほどまでの空気など最初から無かったかのように霧散している。
それから、僕に現れた変化をここに特筆する前に、一つ注意してほしいことがある。決してこれは、彼に見惚れたであるとか、魅惑的なものに体が強張ったというわけではない。ただ、彼の初めて見る表情にものめずらしさを感じて、体が一時的に緊張したものである、それだけであると言わせていただきたい。なぜなら僕はガチガチのヘテロであるからにして、彼に見惚れるなんてことがあるはずは無いのだ。それをきちんとご理解いただいた上で、次の文章に目を通していただきたい。
つまり僕は、一拍遅れて、自分の心臓が激しく拍動していることに気付いた。
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