ひどいひどい後悔だ。










雨の音がする。
振り返って誰の存在も無いことを確認し、また歩き出す。
左肩に大きく落ちてきた雨粒を無意識に指先で拭う。

腰にさげた木刀が、地面に擦れてカラカラと音を立てた。切っ先が雨にぬれる。石にぶつかり削れる。
侍の魂ともいえる刀をこんなぞんざいに扱っていいのかと誰かが責めてきそうなほど、乱雑に。端的に、切っ先は削れて行く。

もう一度立ち止まって振り返った。誰もいない。普段人通りの多い道でも雨の日は酷くその数が減少する。わざわざ雨の中用も無く出歩く人間はいないということだ。
何もかもが面倒になって立ち止まったまま動きを止めた。動きを止めると自然と耳に入り込む雨の音が大きくなる気がする。額から流れてくる雨を舌先で留めて、空を見上げた。
曇天色に言葉すら浮かばない。

「…だり」

呟いてまた歩き出した。
実際のところ、自分がどこに向かっているのか銀時はわかっていなかった。
正しく言えば、頭の中で認識していなかった。体は既に何処へ向かっているのか、どこへ行きたいのか理解できている。けれど脳の中でその場所を明確に認識するということができていなかった。

たどり着いた場所は橋。他のなにものでもない、橋。
見慣れたそこに、何か特別感情がわいてくるというわけでもないが、銀時は眉を寄せた。
以前自分が戦った場所。血で汚れた地面はもう乾いてまた雨にぬれてまた乾いてを繰り返し、以前の綺麗な色に戻っている。
確認のように石垣を見つめてみたが、血液は見当たらなかった。役人か誰かが拭って綺麗にでもしただろうか。
ついでに、視線が川の中に向かう。雨水で波紋が広がり、上手に底が見えない。けれど色は透明で、その中に赤や、まして人間の腕があるわけでもない。
なぜかそれに安心した。川原まで飛び降り、石垣に背を預ける。

目を閉じた。びしゃびしゃと頭の上に鼻の上に唇に落ちてくる雨粒を受け止めながら、考える。
今にもあのときの無残な状況が浮かんできそうで耳を塞いだ。

『銀さん!!!!!』




『次は左手をもらう!!!』











―――いつのことだったか。
甲斐甲斐しく掃除をしていた彼に問いかけたことがあった。
もし俺が誰かに殺されかけたらどうする?

アンタは死なないだろうから、ほっときますよ。そう言ったのは。

ほんとに俺がピンチだったら?お前が真剣持ってたら?お前はその真剣で、敵をやっつけてくれんの?

いやです。基本僕、殺生は嫌いですから。木刀だったらちょっとは助けてあげてもいいですけど。

つーめーてーェ。もちっとあったかい言葉は無いか。ちょっ、マジで銀さん泣きそう

ま、よっぽどだったらなんとか助けてあげますよ




…でけェ口叩きやがる、って、笑った。







転がる腕を見つめて何を思ったかといえば、先ず最初に驚愕だった。
それすらも一瞬で、次の瞬間には多大な歓喜。殺生を嫌いだと言ったお前が。木刀だったら助けると言ったお前が。その、嫌いな殺生で、あの男を撃退した。
恐らくあの幼い掌にはまだ、人肉を斬り付けた感触が残っているのだろう。ぶつりと皮膚の破れる感触、次いで存外に柔らかな肉を切っ先が沈んでいく感触、さらに骨にぶち当たる感触、の後にすかりと空を切る感触。
全てを覚えてしまったのだろう。

もう何度もそれを経験してきた自分の掌さえ、まだ慣れていない。慣れているけれど、慣れていないと思いたかった。気付けば手が震えていて、その表皮を撫でるようにつるりと雨粒が零れる。

『助けてあげますよ』

脳裏に浮かぶあの笑顔。顔を伏せた。どんな思いでアイツが真剣を握ったのかはわからない。どんな思いで飛び出したのかなんてわからない。
頬を流れているのは雨なんだろうか。涙なんだろうか。瞼がやけに熱い。やっぱり涙なんだろうか。涙なら、嫌だった。
この涙が驚喜の涙だとわかっていたから。どうせなら、悲しみの涙が良かった。

『銀さん』






―――でも斬らせたくなかったよ、新八。