私は金魚。
いつまでも悠々水の中で泳いで、好きなように餌をもらい、好きなように愛でられ、好きなように呼ばれる。
水の中は楽だけど、安心できるけど、でも飼ってくれる人がいなければ寂しくて不安で怖くて。だから、この空間はいつでも恐怖と背中合わせ。
今日も私は泳ぐ。あなたに名前を呼んでほしいから。
「―――ッ松本!」
バァン、と大きな音を立てて部屋に入ってきた小さな上司を見つめて私は淡く微笑んだ。
彼の片手には小さな湯呑み。彼が常に使っているもので、側面に大きく十の字が描かれている。
どうかしたんですかぁ、と誰にでもわかるほど胡散臭い声で問いかけると、憤慨した表情がさらに険しく歪んだ。湯呑みを投げられる勢いでずかずかと彼は歩み寄ってくる。
「この茶はお前が淹れたもんだよな?」
「ええ、間違いなく。愛情たっぷり乱菊緑茶ですが何か?」
袂を掴もうにもこの爆乳を前にしては手出しもできないというもの。
うう、と心底悔しそうに呻った我が隊長は、ついに湯呑みを投げつけた。「うきゃあ!ものは大切にしましょうよ隊長!」床にぶつかる直前受け止めたからいいものの、と笑いながら言う。
「お前…このっ!どこの世界に塩昆布と蜂蜜の入った緑茶があるっ!!」
せめてもの仕置きか、と言わんばかりに拳骨が旋毛をぶん殴った。男女平等は結構なことだけれど痛い。容赦なく女性を殴るあたり、年齢にそぐわず子供なのだと思う。
実際の年齢なんて知らないけれど。でも、子供と呼べるほど幼くは無いだろう。
「あーんっ、やっぱり隊長怒ったぁっ」
「阿呆かっ!俺が怒らないとでも思ったか!!」
「思ってました」
即座に答えてから、2撃目の拳を振り上げる隊長に慌てて両手を挙げる。降参の証だと体全体で表現すると、ようやく彼は拳を下ろした。
ったく、と短い言葉とため息が空中に落とされる。呆れたような表情が数秒してから踵を返し、部屋から出て行った。
「…」
とりあえず湯呑みを手にしてから立ち上がり、姿の消えた部屋の中を見渡す。突然しぃんと静かに、そして寂しくなった部屋の中で私は一瞬震えた。
ここは水の中。私は自由に泳ぐ金魚。
あなたに名前を呼んで欲しい。
「――……松本!」
「…はい!」
突然ひょっこりとドアの隙間から顔を出した隊長に、神経が数秒遅れてから反応する。「とっとと執務室帰って仕事しろ!」休憩も大事だがな、そう吐いて再び姿を消した彼の霊圧を探って完璧に消えた後で、ごとん、と湯飲みを落とす。湯飲みの中には塩昆布も蜂蜜も残っていなかった。それを見て目が見開かれる。
かろうじて割れてはいないようだった。けど、今はそんなことも関係なくて。
「――――はい…!隊長!」
後に、いるかどうかはわからないけれど大きな声で返事をした。まったくやれやれと声が聞こえてきそうで、急いで執務室を後にした。
私 は金魚
お題提供:SBY
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