知りたくなかった。
知りたくなかったのよ、こんなこと。
できることならいますぐこの気持ちなんか捨てて、どこかへ封じ込んで、もう2度と見ることの無いよう消してしまいたかった。
…私、は。白いままで、いたかった。のに、
「リナリーはほんとにアレンくんが好きだねぇ」
妬いちゃうよ、と呟く兄を見上げ、彼女は笑う。
たおやかに、やわらかに。ふふ、どうしたの?そう言って、手に持っていた書類とバラの花を机に置いた。
埃がたまっているのを見つけて、地面に落ちていたはたきを拾う。はたはた・埃を払いつつ、背中を向けて兄に言う。
「それは、そうよ。だって、家族だもの」
まるで甘い甘いお菓子を目の前に、可愛らしいフリルのついたスカートを目の前にして呟くような彼女に、息を吐いて兄は苦笑する。
この兄妹は、どちらも違いなく聡い。精神的な部分で言えば年齢も経験も積んでいる兄の方が聡いが。
だからこそ、何も気づいていない彼女にため息が出た。ああほんとうになにも。
知らないままでいてほしかった。けれど、ずっとこのまま、なんてことが続くわけが無いことは聡い兄には理解できていて。
知らない彼女にそれを教えるべきか否か、とてもとても――異常なほど、迷った。
「どうしたの?兄さん?」
振り向いた彼女の笑顔に少しだけ罪悪感。
首を左右に振って、いいや、なんでもないよ、と言った。
教えるべきではない、今は。彼女が自分自身で気づくことができなければ。
書類を手にして、眼鏡を掛けなおす。
不思議な瞳でこちらを見ていた彼女は、まあいいか、という意味を含んだ吐息を吐いて書類片手に部屋を出た。
個性的な、3人。
後姿でもわかってしまう、黒に白にオレンジ。
くす、と微笑んで歩調を速める。なんて見つけやすいんだろう。
少しだけ身長の足りない白い彼が、真ん中。その子を挟むように、黒い髪の毛のポニーテールとくせっ毛の目立つ眼帯の青年。
笑みを浮かべたまま、彼女は口を開いた。名前を呼ぼうと。けれど、開きかけた口は途端に閉じる。
楽しそうに歩く3人。3人との距離。笑う声。彼女の影。手の中の書類。白い頭。伸びる手。笑顔。足音。長く伸びる3人の影。廊下。肩に触れる手。嫌がる声。からかう声。楽しそうな声。彼女。書類の落下。気づかない3人。薄く開く唇。泣き出しそうな瞳。どうしようもない。どうしようもない。どうしようもないどうしようもないどうしようも――――
「――――――………」
廊下の角に消えた3人を見送って、彼女はそっと意識を取り戻す。
全てが止まっていた気がした。ようやく耳に音が入り込み、目が景色を映し出す。
のろのろとしゃがみこみ、のろのろと書類を拾う。綺麗で細く、長い指で紙を1枚1枚拾いながらあいていた口を閉じた。
(知ってしまった)
あの、3人の笑い声。
白い子供は、今まで彼女がいた場所を取っ払ってしまった。
でも、違う。そんなことにこんな感情を覚えたんじゃない。
伸びる手。
(私、は、)
掴む手。
(知りたくなかった)
どうしてだろう。あの子が、あの子が自分のところにいないというだけで。
自分の手元にいないというだけで。横にいた二人を突き放して、突き飛ばして、どうしよう、傍の窓から落としてしまいたかった。
(どうして)
こんなの、知りたくなかった。どうしてこんなことに。これは恋なの?いいえ違う、こんな醜い感情など。
首を振りながら書類を抱え込んで、走り出す。どうしたらいいのかわからなかった。ただ、眼球に映りだす幻は、アレンくん、アレンくん、アレンくん――――。
どうしよう、こんな醜い感情など。
恋ではない。恋であるはずがない。じゃあ、何だというの?
角を曲がって、歩いていた3人が彼女の足音に振り返る。
手を上げて名前を呼ぶ。真ん中の子供に拾い上げた書類すら放り出して、抱きついた。
驚く銀灰色の瞳、少し気分のよくない黒色の瞳、大事なものをとられたというような緑色の瞳。
(ああ、そうなのね)
うろたえる声に、理解した。
この知りたくない感情は、愛なのだと。
(知りたくなかった)
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