もし今までの人生でやり直したいと思った時代に戻ってもいいと言われたら、俺はどうするだろう。どの時代に戻るだろう。時代というほど昔ではないが、そう最近というほどでもない。いや、つい最近のことか。
 選択肢はいまのところ二つ。一年と少し前に戻るか、つい昨日に戻るか。つまりは古泉一樹とこの不毛な関係を続けることになったあの日に戻るか、古泉一樹が俺のことを忘れた昨日に戻るか。

 簡潔に説明をしよう。
 くたびれたベッドの上に寝っ転がってすやすやと健やか極まりない寝息を立てている古泉一樹に告白されたのは一年と少し前だ。真面目な告白ではない。ただ、まるで今日の天気は晴れですねと言わんばかりの口調とタイミングで「あなたが好きです」と言われたから、友人として受け取ればいいのか深読みするべきなのか俺はそれから三日ほど昼夜問わず悩み続け、紆余曲折の果てに結局お付き合いとやらを始めた。
 その選択を、いつだって正しいとは思わなかった。だが、間違っているとも思わなかった。少なくとも古泉と二人でいる時間は居心地の悪いものではなかったし、いやだと思うこともなかった。そして、特別幸せだと思うこともなかった。甘い言葉だってろくに口にしなかったし、口にしてほしいと思うこともなかった。
 そんなだらだらとした日々が続いて、それでも口と口を合わせたり、なんだかんだで寝たりして、ズルズルとこの関係は続いていった。所謂普通の男子高校生らしい、まあ相手の性別が少し問題かもしれないが、とにかく普通の生活を過ごしていて、そんななんでもないある日、ふいに俺は思ったのだ。

 俺は何故、こんなことをしている?

 こんな問いかけ、特別意味があったわけじゃない。どうしてと思ったから考えただけだ。鳥は何故飛ぶのだろう、という質問とほぼ同じようなどうでもいい、答えの見えきった質問を自分自身にして、俺はその答えの空虚さに失望を覚えた。

 古泉一樹が一緒にいるからだ。

 ただそれだけ。意味はそれ以上無い。ただそれだけ。たったそれだけ。
 じゃあ一緒にいなくてもいいんじゃないかと言われたら、確かにそうだと頷いてしまいそうなくらい簡単な理由。簡単で、簡潔な答え。

 相変わらずハルヒはハルヒらしく振舞っているし、それを取り巻く環境だって特別何か変わったわけじゃない。古泉は超能力者という肩書きを背負ったままだし、長門は表情こそ増えたものの人間ではないことは確かで、朝比奈さんも未来から来た事実はそのままであり、そして俺もハルヒの鍵に固定されて動けないまま。
 それでも、なぜか俺だけ、俺と古泉だけ、間違って、崩れていっているような気がした。

 おしまいにしようと、そう言おうかと考えたこともあった。いや、考えたのはわずか三日前である。もうおしまいにしよう、きっとその方がいい、でも言っても俺たちの関係や態度は変わらないだろうなと、そんなことを考えながら、慣れてしまった古泉の住む部屋であぐらをかいて。
 結局その日は古泉が家に帰ってこなかった。連絡もよこさなかった。だから俺は古泉の家の、家主の居ない室内のソファで一夜を明かした。

 朝四時に電話の音で起きた。起こされた。古泉なのかと思ったが、携帯のディスプレイに表示されたのは見知らぬ番号だった。それでもいつまで経っても、一度切れても再びかかってくる番号がなんだかとても必死な気がして、俺は躊躇いながら通話ボタンを押した。

 そうしたら、電話向こうの女性の声は挨拶もなしに名乗りも上げずに一言、ただ一言、俺に言ったのだ。古泉一樹の記憶が消失しました。それだけ。ただそれだけ。たったそれだけ。