『攘夷派との本格的な戦いが近々生じる』

『総悟は一番隊の隊長だ。勿論、戦場でも先頭を突っ切ることになる』

『間違い無く、死ぬ』



そう、知人は言った。
知人こと土方十四郎は、忌々しげに煙草を揉み消し、吐き捨てるように煙を吐く。
自分は副長という立場から隊全体をまとめるため、戦場には主に出向くことができないのだ、と言った。
纏める者がいなければ、隊は見る見るうちに崩れてしまう。近藤も同じような理由で、戦場には赴くことは無いだろうと言った。
ただ、あいつは隊長だ。
兵の集まりを束ねる人間の一人だ。
偉いが故に、戦場に足を踏み入れなければならない。

『…許してくれ…』

滅多に頭を下げない、と言うより今まで下げたのを見たことの無い新はうろたえた。
目には涙が浮かんだ。何を許せばいいのか。それより、どうしてこの男を責めなければならないのか。
う、と小さく声を出して、頭を上げてくださいと頼んだ。



3日後。
新は再び志村家を訪れた土方に、珍しく声を荒げていた。

「どうしてですか!」

いつもは温厚な新が、握り拳を卓袱台に打ち付けている。
一瞬振動で灰皿が浮き、煙草の灰が散った。

「どうして、会わせてくれないんですか!」

怒るのは理由があった。
3日前沖田が戦場の先頭を突っ切る――つまり、死ぬと言う事を知らされてから、新は会いに行こうとしたのだ。
けれど、毎日のように土方が止めに来た。会いに行くべきではないと。
その度に頭を下げ、新の感情の波を抑える。けれど、もう3日も経てば効果が薄れてきた。
結果、これだ。
新は目に涙を浮かべて叫ぶ。姉の妙は今日も仕事で家にはいなかった。よって新をいさめる人物はいない。
土方には何の手段も用意されていなかった。ただ毎日、新が屯所に行くのを断固阻止するだけ。それ以外はひたすら頭を下げていた。
情けない、鬼の副長ともあろう人物が。そう言われてもかまいはしなかった。何故ならば、この少女がどれだけ沖田を思っているか知っていたから。
それと同じで、沖田がどれだけ新を思っているかを知っていた。だから、2人を引き裂いた。

「どうしてですか!!」

再び新は卓袱台を叩く。
大きな音に、庭で花と戯れていた蝶々がひらりと飛んでいった。
新の目からころりと涙が零れ落ちる。着物にしみを作り、またひとつ。
一向に理由を言わない土方に、新もやきもきして仕方が無かった。悔しさと悲しさで涙はあふれ、自分が情けないとまた泣く。
それでもだんまりを続ける土方に、今日も新が折れた。
疲れたといわんばかりに息を吐き、目元の涙を拭う。そして卓袱台の上の、倒れた湯飲みを持ち、台所へと消えていく。
土方はそれを見ていた。すまねえ、と心の中で呟き、灰皿に煙草を押し付ける。


(それが、お前らのためなんだ)

ひいては、新ただ一人のための。
そこで、土方は違和感を覚えた。
何だか台所から物音がしない。そして、新の戻りが遅い。
まさか、と思って台所に駆けつけると、案の定、窓が開いていた。そこから入る風が、今まさに新が出て行ったことを示す。
裏口は大きな音がするので駄目。表口は明らかに土方に見つかるので駄目。ならば、窓から出ればいい。
姉にきっちり礼儀作法を仕込まれた新にとっては一瞬躊躇するものであった。しかし我慢の限界がその箍を外す。
窓を開けると、そろりと音がしないようにサッシに手をかけた。そして台に足を乗せ、着物の帯が引っかからないように体を滑り込ませる。
足が外に出たところで、半ば飛ぶように下りた。地面は土だが、もともと新の体重が軽いのと、素足だったと言う事で音はあまりしない。
裏口に駆け寄って適当な突っ掛けを履き、裏門を通り抜けた。そして辺りに誰もいないことを確認すると、いざ駆けだそうとする。
その時だった。

「待て、新!」

背後で声が轟き、新は露骨にしまった、と言う顔をする。
捕まってはお終いだ、と考え走り出そうとするが、もとより勝負はわかっている。
着物で女の新より、隊服で男の土方のほうが足は速いに決まっていた。

「わっ!」

腹を抱え込まれるように捕まれ、ふわりと体が浮く。
土方が見たことも無いほど焦って、新を抱きかかえていた。

「離して!はなして!!!」

ぎゃんぎゃんと叫び、手足をばたつかせる。そんな些細な抵抗も、土方には全く聞かなかった。
ただ精神的な面で、心がちくちくと疼いた。
抱きしめる力を強め、耳元で落ち着け、と囁く。しかし新ははなしてはなして、と叫ぶだけで、一向に落ち着かなかった。
はなして、と言う言葉に、二つの意味を感じずにはいられなかった。

(離すことも、話すこともできないんだ)

暴れる新の声に、傍を歩いていた通行人が怪訝な顔をしてこちらを見て通り過ぎていく。このままではあまりにも目立ちすぎる。
新を強く抱え込むと、急いで敷地内に入り込んだ。
そこでもまた暴れる新に、「お願いだから、落ち着いてくれ」と縋る様に呟く。

「っ…」

涙をこぼしながら、新はゆっくり手足の力を抜いた。
土方は安心して長い息を吐く。そして、新よりもゆっくりと手の力を解いていった。
離れた新はもう逃げ出すような顔はしていない。先ほど騙された(と、思っていいのだろうか)ことはもう水に流そう。
第一自分の責任なのだし。
やはり、と言うか新はこちらをきっと睨みつけてきた。勿論この愛らしい少女が睨みつけても怖さの欠片も感じないのだが。
新は呆れたように、土方の腕の裾を握る。そして、逃がさないと言わんばかりに小さく呟いた。

「私は、諦めません。貴方が毎日監視に来ても、止めに来ても、私は…」







沖田は近藤に羽交い絞めにされていた。

「ちょっ!待って落ち着いて!いや寧ろお願いですから落ち着いてくださいいぃぃぃぃ!」

羽交い絞めにされていると言っても主導権はほぼ沖田が握っている。ずるずると引きずられる近藤が涙を浮かべながら叫んでいた。
沖田はいつもの飄々とした雰囲気はそのままに、まれにみる焦燥を足したような顔をしている。
珍しい、と山崎が思った。まあ勿論理由は目に見えているのだけれど。

「近藤さん、あんまりしつこいと山崎の額に穴が開きますぜィ」

「ええええちょっと待って!!俺!!?俺の額ですか!!?」

数日後には戦争に赴くというのに、相変わらずの会話。表面上のみは平和だった。
水面下では荒れ狂う波の如く、複雑な心が疼いていたけれど。
近藤は必死だった。土方から話を聞いてから、絶対に沖田を外に出すわけには行かないと納得したのだ。
新とあわせれば間違いなくこの男は躊躇が生まれる。その躊躇いはたった数分でも生きる時間を早めるのだから。
だったらあわせないまま、ためらうことなく全力で戦場に向ってほしい。それが願いだった。

「ちょっと誰かアァァァ!助けて!このサディスティック星の王子様を止めてエェェェェ!」

「局長オォォ!俺は応援してます!!」

「ありがとう!!ってそうじゃねえよオォォォ!!!」

時間はこうして過ぎていく。気がつけばもう夕暮れで、沖田は小さく舌打ちをした。
もう行くことはできないと判断したらしい。途端に力を抜いて、進んでいた道を逆戻りする。
安心したのもつかの間、急に沖田がぐるりと方向転換をした。

「あああああああ!!!!!逃げる!!総悟が逃げるよオォォォ!!」

言うが早いか、走るが速いか。沖田は飛んで塀に着地する。人間離れした身体能力の高さに呆然としながら、はっと気付いて後を追う。
恐らく門から自分を追ってくるのだろう。それならば簡単にまくことができる。
そうして着地した瞬間、がしりと手をつかまれた。

「!!?」

すっと目を細めて顔を上げれば、そこには見慣れた瞳孔全開副長。いつの間に、と飛び退ろうとしたが、がっちりつかまれていて離れない。
しまった、と思った時には、追いついていた山崎にもとらわれていた。

(お前ら、揃って脱走かよ)