もう逃げ出さないように縄でふんじばっておいたほうがいいんではないのか。そう案が出た瞬間それは可決された。
すぐさま縄でぐるぐる巻きにされた沖田は不機嫌極まりないと言う表情で隊士達を(主に土方を)睨む。
けれど縄を解け、とは言わなかった。やはり自分でも解かれたら逃げ出すしか選択肢が無いのだろう。
静かに、

「土方さん、この屈辱は一生忘れねェぜ…」

とよくわからない無表情で呟いていた。
なお、沖田を止めきれた近藤は至福と言わんばかりに笑顔で沖田の頭をぽんぽんと叩いていた。
暫くしてからもうそろそろ晩御飯だと山崎が呟き、皆そうだそうだと納得し始め、では沖田は?という問題に直面してから再び近藤が青くなるのだが。
こうした日々が数日ほど続いた。疲労困憊、と言う表現が似合うのだろうが、きっと何より疲れていたのは沖田であろう。
土方は煙草を取り出すと、忌々しげに火をつけた。




「また、来たんですね」

呆れたようなもう諦めたような声が、玄関で土方に届いた。
新の表情はなんとも言えない、複雑な表情だ。しかしいろんな表情が混ざり合って結局無表情になっている。
土方の、ズボンのポケットに突っ込んだままの左手が小さく蠢いた。新は無表情のまま、土方の動向を見守っている。
暫くして動かないと判断したのか、「…どうぞ」と新は土方を促した。ゆっくりと土方が靴を脱いで上がる。それを横目に見て、ずれた靴を新が正した。

「…すまない」

「それは、どっちへの謝罪ですか?」

声が出ず、視線を横に流した。


いつものように居間に置いてある簡素な卓袱台の傍に、二人揃って座り込む。
四足が規則正しく配置され、絶妙なバランスをかもし出す。茶色の色合いが古風な感じを物語らせ、そこに置かれたお茶菓子はいつもと変わっていなかった。
新はお茶をいれてきます、と立ち上がる。一瞬躊躇した土方に振り向き、新は淋しげに笑った。

「今日は、逃げませんから…昨日の脱走で、足を怪我しちゃいましたし、ね」

それを聞き、土方は少し恥じたように顔をうつむかせる。新に言われた言葉は深く、鋭く土方に突き刺さった。
この前から言葉遊びをされているようだった。新の言う言葉が、2つも3つも意味を持っている気がする。
程なく、音も立てずに新が小さなお盆を持ってきた。欠けた月のような形のお盆だ。
その上にのせられた湯飲みも昨日と変わらないもの。渋い色をしていてどちらかと言えば老人向けのようなものだ。しかし土方はその色が好きだった。
新がお盆を足元に置いて優雅に座り込む。形の変わらない、いい姿勢だと思う。
土方は出されたお茶をあおる様に飲み干した。熱っ!と叫べば、新が慌てたように「何でそんな飲み方するんですか!」と戒める。

「大丈夫ですか、やけどはしてませんか?」

こう言う時でも新は律儀なものだ。急いで台所に走り、コップに水を入れてきた。それで口を冷やせ、ということだろう。
有難く飲み干すと、今度は水に濡らした氷を持ってきた。全く、よくできた娘だと思う。
氷を口の中に放り込み、舌の上で転がした。カラコロと音を立てる氷が、熱でどんどん溶けていく。
もう大丈夫だろう、と言う頃合で氷を噛み砕いた。新が心底慌てた顔でこちらを見るものだから、妙に罪悪感を感じてしまう。

「今日は、あまり長居しねぇつもりだ」

「…それは、どういうことですか?」

いきなり熱いお茶を飲み干した後こんなことを言うものだから、新は少なからず怪訝な顔をした。
長居をするつもりは無いからお茶を早めに飲み干したのだ、という事を察すると、ますます怪訝な顔をする。

「何故?」

土方は先ほどまで手を突っ込んでいた左のズボンのポケットから小さな時計を取り出す。懐中時計だ。
それを見て、小さく頷いた――ような、気がした。新はその動向に意味がわからず、眉を寄せる。
時間が無い、と土方は呟いた。最も、表情がいつもと変わらないのでさほど緊張感も感じない。
しかし次の瞬間放たれた言葉に、新が目を見開いた。

「恐らく、攘夷派は明日全面的に攻撃を開始するだろう」

土方は表情を変えないまま続ける。

「ここはもっと狙われやすいところだ。しかし相手方はここを最後の攻撃場所と定めた。各地方向から、ばらばらになって少しずつ日本を占拠しようと言うことだ」

大規模のテロ、そう言えばわかるか?そういわれて、こくりと新は頷いた。
それを見て、土方はさらに言葉を続ける。

「もう隊士達は準備をはじめている。一番隊のものは特に厄介な敵を相手にするし、場所も少し距離がある。沖田は準備を済ませている頃だろう」

「っ」

ずるい。完璧に会わせないつもりだ。
そして自分もまんまと引っかかってしまった。準備ができている、それはつまり出発を意味する。

「…俺も、これ以上ここにいるわけにはいかない。今日は、報告をしに来ただけだ」

「……」

悔しい、悔しい。
結局最後まで会わせて貰えなかった。せめて1分でもいい。話をさせてもらいたかった。
悔しさに涙が出そうだ。土方はそんな新の頭をぽんとひと撫ですると、静かに立ち上がる。
玄関に向うのを察して、新が立ち上がった。泣きそうで泣かない、そんな顔。それに半ば安堵して、足を進める。
揃えられた靴に足を入れて、かつかつとつま先を地面に軽く打ち付けた。足慣らしをして戸を開ける。
新は自分が帰るとき必ず見送りに出ていた。やはり律儀だと思う。適当な突っ掛けに足を入れて、追いつくほどの足取りで自分の後ろを歩く。
門を通り抜けて、振り向いた。新がなんともいえない表情でかしこまったように立っている。

「…それじゃあ、な」

「……お気をつけて…」

その時だった。新の声の後に、続くように野太い男の声が大きく響く。

「トシぃ!」

慣れた声だと理解するとともに、何故あの人物がここにとぐるりと顔を半回転させる。そこにはゴリラ、もとい近藤が息も荒く立っていた。

「近藤さん…?」

新が訝しんで足を進める。土方の真横に立った辺りで、ぴたりと足を止めた。

「どうなさったんですか、そんなに焦って…」

近藤はぜいはあと大きな息をする。その様がまさしくゴリラのようで、言いえて妙だと納得した。
土方は呆れたように息を吐く。局長がこんなところにほいほい出向いていいはずが無いのだ、今は。
しかし近藤は、土方ではなく(土方を呼んだくせに)、新に振り向いた。ぎっと向けられる視線に殺気すら感じられそうで新は一歩後退る。
その新にいや違う違う怖がらないでね、と言い置き、近藤は塀の後ろに引っ込んだ。え?と思い、新が後を追う。
そこにいたのは近藤ではなく、沖田だった。

「――――――!」

後を追ってきた土方が、あっと気付いたような表情をして新を止めに行こうとする。そこをどこに隠れていたのか、近藤がひっ捕まえた。

「なんてことを!」

土方はぎりりと唇を噛んで近藤を睨みつける。しかし近藤は、静かに首を横に振るだけだった。
そのまま引きずられていく土方を見つめ、沖田が短く息を吐く。その顔は無表情だが、僅かに指先が震えていた。
ここにこさせてもらうには、条件があった。
1つ、逃げ出さないこと。
2つ、手短に話を済ませること。
3つ、武器は持っていかないこと。
必ず守るから、連れて行ってほしい。そう頼み込んだのだ。会えないままは悲しすぎた。沖田にとって、新はかけがえの無い恋人なのだから。
ゆっくりと、沖田は新に近づく。新はまるで人形のように、ぴくりとも動かなかった。
手を伸ばせば触れる距離に。顔を寄せれば触れる距離に。近づき、抱きしめる。懐かしい感触と香りに、頭がくらくらした。
逃げ出したいという欲求が即座に生まれる。しかし、それは理性がとどめた。
ゆっくりと伸ばされる新の手が、確かめるように沖田の背中に回った。小さな手だと思う。

「…沖田さ…」

涙に濡れた声が、くぐもって沖田の耳に届いた。うん、と小さく返事をすると、抱きしめる手がさらに力を強めた。
時間が無かった。沖田は歯を食いしばって、ぎゅうっと新を抱きしめる。そして離して、唇に己のそれを押し付けた。

「…約束、しよう。新」

「やくそく…?」

いつもの飄々とした雰囲気が、今日は妙に薄れて見えた。新の手を握り、沖田は続ける。

「俺は、…帰ってくる。だから、お前には待っててほしい。」

「それが、約束…?」

こくりと頷いた沖田に、新は頷き返した。絶対守ります、絶対、絶対と小さく呟く声がだんだんと小さくなっていく。
そして沈黙が訪れた後、新が不意に顔を上げた。

「私からも、約束、お願いしていいですか…?」

「なんなりと」

即座に返すと、新が儚げに微笑む。

「…もう、冬になりますから…、きっと、」

――土方は、この戦いが終わるのはいつになるかわからないと言った。

「――雪が降るんです」

――けれど、この秋の間に大半は終わるだろう、とも。

「私は、寒いのが苦手だから…、」

――恐らくその頃には、1番隊は壊滅しているだろう、とも。

「寒くて…、凍えそうだから…」

――一番大きなところへ突入するのだ、だから、特に前線を務める沖田はきっと…

「私が凍え死んでしまう前に、」

――いや、必ず。



「きっと、帰ってきてください」










―――死ぬだろう。