きっと帰ってきて、なんて。残酷な言葉。
新はそれを言った後、堪え切れない様に泣いた。泣いて泣いて、そして笑った。沖田は新の頭を寄せると、強く強く抱きしめる。
必ず守る、と耳元で聞こえた。もうお互い解っているはずなのに、安心せずにはいられなかった。
その後に沖田は何かを新の耳に吹き込んだ。一瞬目を見開いた新に、また何事か呟く。
新は小さく頷いた。
さようならとも言わなかった。そして、ただいってらっしゃいと言った。
いってきますと。そう言葉が返ってきた後、再び新は泣いた。












余計離れがたくなったのではないだろうか、と土方は心配したが、意外にも沖田は目に光を宿した。
新たな目標を見つけた目だ。
新と別れた後、すぐさま1番隊は出発した。
その時の沖田の表情が忘れられない。言葉では表現できないような、でも決して悪い顔ではなかった。
一方新も、今までの暗いような雰囲気が一転して明るくなった。それでも、どこか漂う悲しげな雰囲気は拭いきれなかったが。
いつものように生活をする。ひとつだけ変わったとすれば、毎日屯所に出向くようになったと言う事か。
真撰組が各地に散らばったといっても、ここもいつかは狙われる身。数人の隊士は残っていた。
この中に沖田がいないことを解っていながらも、新はいつもその集団を見ずにはいられなかった。

沖田が出発してから9日目。新は今日も屯所へ足を運んでいた。
手には家で作ってきた軽い食べ物。どうせ近藤や土方はろくなものを食べていないだろう。隊士たちの食物の送りも考えなければならないだろうし。
浮かれたような、緊張したような面持ちで歩く。戦争のことを表向きには知らされていないのか、江戸は平和なものだった。
お出かけ用の下駄をからりと鳴らして進む。時折石が通行の邪魔をしたが、些細なものだった。
こんなの、沖田と一緒に歩いている時は気にも留めたことが無かったのに。

「…」

首を振って歩調を速める。すれ違う人々の間をすり抜けながら、新は息を吐いた。
ふと目を視界の隅に滑らせると、小さな駄菓子屋。
沖田は好んで駄菓子を食べていた。子供じゃないんだから、と思ったが、自分も駄菓子は嫌いではなかったので何も言わなかった。
その駄菓子を買って、二人で歩いて。疲れたら座って、そこで駄菓子を食べて。

「っ…」

立ち止まって、こみ上げてくる悲しみに耐えた。
しかしこんな公道で立ち止まる訳には行かない。ぎゅうう、と袂を握り締めると半ば走るように前に進んだ。
屯所の前に着くと驚くほど人がいなかった。何せ一応警察の前なのだから、それこそ人が集まっているほうがおかしいのだが。
人ごみからすり抜けた安堵感と、どうしようもない絶望感に駆られながら新はそっと敷地をくぐった。

「あ…」

顔を上げればいつの間にやら、土方が煙草を吸いながらこっちを見ていた。
壁に寄りかかる長身を見上げながら、お邪魔します、と呟く。
軽く頷いて背を浮かせた土方は、少し新の目が腫れていることに気付いた。近寄り、目元に軽く指で触れる。

「泣いたのか?」

「あ…、いえ、涙はこぼしてないですよ」

それは否定なのか肯定なのか。
目に涙は浮かべたらしいが、確かに涙の流れた跡は無い。強いな、と心の中で呟いてゆっくりと手を離した。
頭をぽんぽんと撫でると、少しむくれたような顔だけがこちらをじろりと睨みつけた。しかし悪意のある顔ではない。
まだ子供っぽさが抜けない新は、むうとやはり子供のように頬を膨らませた。子ども扱いするなという表現だろう。
薄く笑って再び頭を撫でると、もう!と流石に咎められた。それも笑って返す。
暫くそんな軽いやり取りをしていたが、新が気付いたようにはっと立ち止まった。どうした?と振り返れば、新が手を差し伸べてくる。

「これ、持って来たんです、隊士の皆さんに。あまり栄養とってないでしょう。どうぞ」

小さな小包は明らかに量が足りない。
しかし口ぶりから栄養だけはあるのだろう。有難いことだと土方は思った。
礼を言って受け取る。すると新はさてすることが無くなったといわんばかりに息を吐いた。

「土方さん」

「何だ?」

ぽつりと呼ばれた土方は、怪訝に眉を寄せて(いつも寄せているが)、新の目を見た。
透き通る綺麗な瞳だと思う。その瞳が、土方を映していた。
新はふいと視線をそらして、一瞬外の庭を見る。庭では平和なもので、綺麗な色の蝶々が緩やかに飛んでいた。

「沖田さんの部屋に入ってもいいですか」

まるで「今日は暑いですね」とでも言う様に。
新は呟いた。それを聞いた土方は一瞬目を見開く。しかし次の瞬間にはもういつもの怒っているような目をして、ああ、と頷いた。
悲しさに明け暮れるわけでもないのに、何故この少女はわざわざ悲しみの訪れるであろう沖田の部屋に行こうとするのか。

「すいません。それから、絶対に部屋を覗かないでください」

鶴の恩返しと言う訳でもないのだろうが、土方は頷いた。
覗くなと言われれば覗きたくなるのが本音。しかし、恩返しでもなんでもないことがわかっているから何も言わない。
細い足が廊下をゆっくり、踏みしめるように歩く。まるで沖田が通った後をなぞるように。
完璧に姿が見えなくなった後で、土方は長い息を吐いた。