9月末。
その日、真撰組の1番隊が、押していた攘夷派の一味に壊滅された、との報が入った。
最初は1番隊が1グループ壊滅させたそうなのだが、それを聞きつけた違う攘夷派が、他のグループと結合し組織力を高めて1番隊を攻撃したらしい。
それでも一時はしのいだらしいが、結局は―――、












ぴくり、と手先が震える。
目の前に立ちはだかる攘夷派の人間達。

「沖田隊長!」

隣に立った、隊士の一人が呟いた。
無理です、と。

「諦めるんじゃねェ。強行突破しろ!!」

刀についた血を振り払い、突進していく。
素早い太刀で相手の首元を狙い、1人、また1人と倒していく。
隊士達も押していた。しかし、数に差がありすぎた。

「たいちょっ…」

声が聞こえたほうを見れば、切られた隊士の一人が。

「糞っ!!」

辺りにいた人間をなぎ払い、その隊士を助けた。
その時だった。
ずぶり、と横腹を通る感覚。
ぁ、と小さな隊士の声。その視線をたどってみると、自分の腹に深々と刀が突き刺さっていた。
次の瞬間、勢い良くそれが引き抜かれる。
膝の力ががくんと抜けて、その場に倒れこんだ。
隊長ぉ!と叫ぶ声が聞こえた気がしたが、だんだんと聞こえなくなってくる。

――沖田さん。

そう、新の声が聞こえた気がして、「新、」と呟いた。













数日後、新は庭でぼうっとしていた。
あの報告があってから、ほとんど自分が何をしていたか覚えていない。
かすかに覚えているのは自分の悲鳴。土方の胸。落ち着けと言う、自身も震えている声。暗い道。自分の家の戸。
幽霊のようにふらふらと帰ってきたのだろうと思った。
結局1番隊を突破した攘夷派は2番隊によって抑えられた。1番隊の犠牲のお陰か、数が随分減っていたようだ。
江戸に侵食してくるはずの攘夷派は意外にも一歩手前で完璧に抑えられた。
首謀者も捕まり、打ち首にされたと聞いた。
真撰組の犠牲者は数十人。それでも被害は極小だったと聞く。対して攘夷派は何百人もの死者が出たらしい。

――お前は殺生が嫌いだから。

あの人が少しでも犠牲者を出さなかったと言うのなら、それは誇れることで。
それでも、手放しで喜べるはずなんてなかった。
あれから毎日のように土方が来ていた気がする。お茶も出さなかったような気もする。返事もしなかったような気もする。
いや、返事はしただろうか。動かなかった気がした。
目からは幾度となく流れた涙。いつになったら止まるのだろう。そろそろ涙腺も枯れたはずなのに。
沖田さん、と小さく呟いた。声にならなかった。かすれて、蚊の鳴くような声になった。

「うそつき」

蚊の鳴くような声で、さらに続ける。
心の中で何かがすっぽり抜け落ちたようで、からからに壊れたような気分しかしなかった。



志村妙は長いため息を吐いた。
土方十四郎はどうするものかと続いて息を吐く。

「…新は?」

「駄目。朝から何も食べないし、一歩も動かなくて」

やっぱりな、と呟く。
あれから毎日のように志村家に行ったが、新は反応が全く無かった。
いや、はいだとかそうだとか相槌は聞こえたような気がする。恐らく意識には残っていないだろう。
お妙は首を振って目じりを下げた。

「…沖田さんのこと、よね…」

「それ以外に何がある」

喧嘩腰で言えばいつもはああん?と突っかかってくるお妙も、今は全く反応を示さなかった。
妹が気がかりなのだろう。

「あのままじゃ栄養失調で死んでしまうわ」

「死ぬ」――。そんな単語が出てきた瞬間、情けなくも指先が震えた。
お妙は気付かない。ため息を吐くばかりだった。

「ねえ、土方さん。貴方、新ちゃんのこと好きなんでしょう」

土方はびくりと震える。
そんなにわかりやすかっただろうか、と思うと女の勘よと心を見透かした答えが返ってくる。
だけど、それがどうしたのだ。目を細めて睨み返すと、お妙は縋るように言った。

「だったら、どうにかして頂戴よ」

「そんなこと、」

そんなこと、無理だ。
新が望んでいるのは俺ではない、沖田で。
俺ごときがどうにかして新を元気にさせることが出来るのならば、とっくの当にそうしている。
そう言った意味のことを口にすると、お妙はそう、と呟いた。

「新ちゃん、沖田さんの後を追ったりしないわよね」

「…させねえ。それは、何があっても」

ぎりり、と煙草をかむと、いつもより少し苦かった。




いつの間にか寝ていたらしい。新は夢を見ていた。
真っ黒な夢だ。どこを見渡しても真っ黒で、新は不安になる。
誰かいないんですか、と呟くと、かさりと小さな音がした。空気の震える程度の音だ。
誰?と振り向く。すると、暗闇にひどくなじまない色が鎮座していた。

「沖田さん!」

駆け寄ると、沖田はにこりと笑う。
新がたまらず抱きつくと、ぎゅうっと抱きしめ返してきた。
夢の中なのにとても温かかった。安心する。新は耐え切れず涙をこぼした。
沖田さん沖田さんと名前を呼ぶと、少し困ったような笑顔。
どうして名前を呼んでくれないんですか?そう問いかけると、沖田は唇を動かした。

「え?」

聞こえない。全く聞こえない。
聞こうとして耳を近づけても、声を出しているという感覚すら起こらなかった。
沖田さん?どうしたの?
手を握ると、沖田はゆっくりと新の手を握り返す。
だんだんと闇にまぎれていく沖田を見て、新が「やだっ」と声を張り上げた。

「行かないで!行かないでぇっ!!!」

腕ごと抱きしめるのに、それはひどく頼りない。
闇に消えていく沖田を見失わないように抱きしめるのに、何だか迷子な気分だった。

「沖田さんっ…!」


――――俺は、…帰ってくる。だから、お前には待っててほしい。

「!」

一瞬聞こえた声が耳の中で反響する。
手の力がゆるくなったと同時に、沖田の腕も姿を消した。




ぱち、と目を開くと、視界にお妙の姿があった。
お妙がどうやら毛布をかけてくれたらしい。夢の中で感じた温かみはこれだったのかと思うと少し悲しくなる。
新が起きたことに気付いたお妙が、手を貸して起こしてくれた。今は夕方だ。仕事はどうしたのだろう。
表情に出ていたのか、お妙が笑いながら「今日は休みよ」と言った。休みだなんて珍しい。休日も働きそうな姉上だし。
するとお妙が今度は食べ物を持ってきた。食べやすそうなおかゆだ。まさか姉上が?そう不吉を感じて驚くと、土方さんが作ったのよと言った。
土方さんが?凄い、料理が出来たんだ。そう思って素直にお椀を受け取る。

「…ありがとうございます、姉上」

「っ新ちゃん!」

どうやらまともな反応に驚いたらしく、お妙がぽろ、と涙をこぼした。
どうしたんですか姉上!と問いだすと、心配させないでよと背中を殴られる。
ウッと唸って前かがみになるが、今はこの痛みが懐かしかった。



「土方さん、ご馳走様でした」

「それはいいが、わざわざお返し持ってこなくても…こんな時間に」

おかゆを食べた後、適当に何か作って新は土方に会いに来ていた。土方は新の回復っぷりに驚いたようだ。
もう大丈夫なのか、と表情が問いだしている。それを見て少し笑ってしまった。
土方にお返しの野菜炒めを渡すと、受け取るかわりに手が伸びてきた。
いえそこじゃないですよ、と言おうとしたが、その手は新の頭を抱え込んで抱き寄せる。

「…心配、させんなっ…」

「…ごめんなさい」

間近でひどく鼓動を打っているのが聞こえ、それが速いものだから新は再び笑った。
もう大丈夫ですから、とやんわり引き離すと、野菜炒めを渡して背を向ける。
沖田は必ず帰ってくる。たとえ、霊魂になったとしても。