ファンタジーだよな、と彼が呟いた。
僕は一瞬何を言われているのかわからなくて、きょとんと目を瞬かせた後彼を見上げる。そこには相変わらず本に視線を落としたままの彼がいて、ああ本の話か、多分自分でも意識してない独り言だろうな、と(心の中で)決め付けて、視線を剥がした。
「本の話じゃないよ?」
ぱ、とまた顔を上げる。本の話じゃなかったのか、ていうか何で考えてることわかった。さらにきょとんと首を傾げると彼はからからと笑って、僕の頭を撫でる。その動作があまりにも自分を子ども扱いしているそれだったので、さてどうしようかと結構本気で考えた。僕を子ども扱いするのは、あの破天荒な師匠だけで十分だ。
ぱん、と何か軽い音がして、視線を落とせば膝の上に置かれていた本が閉じられている。本を読むのをやめた彼は僕の頭をざらざらとかき回すことに集中し始めたようで、さてこうなってしまった彼を止める術を僕は持たない。
大人しくされるがままにされておいた。昨日ちゃんとリンスもしておいてよかった、だってすごく恥ずかしい。任務でぱさついた髪の毛の毛先は恐ろしいほど痛んでいた。
羞恥とやりきれなさから無理矢理彼の注意をそらすことにした。「ね、何がファンタジーですか」わしゃしゃー、とかき回された横髪が目に張り付いて鬱陶しい。
「ん、ああ、さっきの?」
どうやらみつあみを始めたらしく、一部分を引っ張られる感覚と小刻みに毛先が揺れる感覚。…女の子じゃないんだから。溜息をついて、けれどとめずに放っておいた。
「はい、さっきの。気になります」
「んー、や、そんなたいしたことじゃ、ないんだけど、さー」
みつあみに集中している彼は返事が途切れ途切れで、恐らく内容もあまり心の入っていないそれだろう。まあいいか、みつあみ終わった後でもう一回聞こう。そう思っている間に既にみつあみができたらしく、(彼の作業が早かったというのと僕の髪の毛が短かったことが早さの理由だろう)彼はちょこんと僕の正面から僕をとらえた。
かと思えばただたんにバランスをはかってもう片方の側をみつあみしようとしただけらしく、また作業が再開される。もういいや、と本当にどうでもよくなって軽い溜息を吐いた後で、思い出したかのように彼は呟く。
「ファンタジーだと、思ったんさ」
「え?なにが?」
さらさらと指先で髪の毛を引っ張られて、そのやわらかさがくすぐったい。気付けば笑いながら返答していた僕の首にひっついた一筋の髪をまた引っ張り、みつあみに収めている彼はくすりと喉の奥で笑ったようだった。
「ただの人間が、世界を救うために命かけて戦う」
「…………は?」
ぴたりと笑顔を消してすぐ傍でせかせかと手を動かす彼を見つめ、ようとして首が動かないことに気付く。彼は僕の首に手を掛けて動きを固定しているようだった。その手に殺意が感じられないことから肩に入れていた力を緩める。
「ぶんぶんデッケェ槌振り回して、奇妙な虫が飛び出る刀操って、どんな空中でも飛べるブーツで蹴って、自分の体の一部であるはずの左腕で戦うの。ファンタジーじゃね?」
僕は何もいえなくて口を閉じた。それから、ふつふつと怒りに似た悲しみを覚えて眉を寄せる。頬が真っ赤に色づいているような気がした。照れているわけでも気温に関係しているわけでもなく、純粋に怒って。
彼はできた、と言いながら僕から手を離した。途端、髪の毛を留めていた彼の指が離れたからか左右のみつあみははらりと解けて僕の頬に張り付く。ぱりぱりと静電気。
と同時に首から手が離れていった。それから、小さな溜息。
「ファンタジーじゃね?」
再び彼の呟いた言葉にかっとして、思わず腕を振り上げた。振り上げて、それから、振り返った。彼の頭をぶん殴ろうとしてあげた手がぴたりと止まる。目の前に広がる彼の泣きそうな笑顔。愚かな兎は心から悲しんでいたのでした、まる。
だから僕も振り上げた手を静かに彼の頭に落として撫でた、
だけど、泣かない
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