足を折り曲げ、膝を抱え込み、そしてしばらくして投げ出し、背を柱に預け、長い息を吐き、考えることをやめる。
夜の静かな空気は耳に痛い。誰の声も聞こえない、何の音もしない。耳をすまそうと思えば耳鳴りがするし、声を上げようと思えば喉が詰まる。
できることと言えば無機質に涙を流すことだけだった。細い目尻からぼろぼろと音も立てずに零れていく。星の瞬きや滲む視界が今の全てだった。

「いちまる?」

拙い口調と音が聴覚を震わせる。ひくん、と喉を鳴らせて背後を振り返った。とても眠そうな表情と見慣れた銀髪が風に靡いている。きれいな翡翠色がぱちぱちと数回瞬いてこちらを映し出した。
ないてるのか?と、優しい声音。否定も肯定もせずにその小さな体を抱え込んだ。膝の上に乗せると、存外冷えていた体が小さな体躯から零れる熱を吸い取って温まる。温かい。ぎゅう、と音がしそうなほどに抱きしめると苦しそうな声が腕の隙間から漏れた。

「ないてるのか?」

変わらない問いかけに微笑む。腕の中から無理矢理体をねじってこちらを向いた子供は、その小さな手を伸ばして頬に触れた。ぬるりとした感触に涙が拭われたのだと思う。少々乱暴な節はあったが。

「ないてるのか」

今度は問いかけでなく確認のようだった。改めて掌に零れた雫に泣いているのだと理解したらしい。それを袖で拭ってなにごとも無かったかのように微笑んだ。恐らく意識の半分は夢の中なのだろう。普段子供は、柔らかく微笑んだりしない。

「ないてるんだな、いちまる」

常に無い、いっそ笑えるほどの拙い口調でなんとも情けないことを言われたものだ。はは、と力なく笑んで賛同しておいた。潤んだ翡翠が、遠まわしになんで泣いてるんだと問いかけてきている。答える力は持ち合わせていないが答えが無いわけではない。
抱きしめたまま、耳元で吐息のように声を漏らした。ボクらもいつか、死ぬんやなぁ。それがいつの話であるかすら想像がつかない、けれどいつかは起こりえること。
どんなに強くたって、基本は人間と構造は一緒だ。斬られると血が出るし、何かを口にしないと力も出ない。不思議な力が操れるくらいで、それは命を繋ぎとめることはできない。

刀も何も持たない、老衰を待つだけの人間であれば平和に死ぬこともできただろうに、自分たちはその可能性がひどく低い。

「ボクはいつか誰かに殺されて死ぬんやなぁ」

言えば随分情けない言葉だった。
子供は何も言わない。うつらうつらと船をこいでいる。けれどどこか面白そうにそうだな、と呟いた。「そうだな、死ぬな」妙にその言葉だけが生々しくて、そしてこの子供がそんな言葉を口にするという事実が悲しくて、さらに涙が零れる。
悲しさで涙が出ているとは認めたくなかった。存外、自分は冷めた人間だと思っていたのに。

「おれもおまえも、死ぬよ」

それが明日であれ、何百年後であれ。
いずれ死ぬという運命は変わりない。生きているのだから。達観している子供はまるでそれが当たり前のようだとでも言うように呟いた。いや、実際当たり前だ。当たり前であるけれど、子供に言って欲しくはなかった。
きれいな星は瞬いて、それを映し出した翡翠も数回瞬く。その瞳から涙が零れないだろうかと切に願った。お願いだから泣いてくれと思った。理不尽ではないか、こんな、

「できればおまえはおれが殺してやりたい」

ぽつりと子供は呟いて瞼を伏せる。まだ眠たいのだろう、こくりと首が傾いだ。細い腕が伸びて首に絡まる。温かな温度にまた涙が零れた。
次第に明けるであろう空は、子供と迎えたかった。そして今日も無事に生きていられたと。
ボクも君に殺されたい、と呟いてまた涙をこぼした。