みんみんと気の早い蝉が鳴いていた。
無駄に白い腕を持ち上げ、日の光を遮る。照らされた髪の毛はまた無駄にきらきらと光を反射し、いつもより1.5倍は市丸を輝かせていた。
どうしてこう、他人よりもひょろりとした腕で色白い腕なのだろうと自分でも思う。幼馴染曰く、そういう体質なのだそうだ。と、勝手に彼女は信じ込んでいる。
「ギン」
後ろから呼ばれて足を止めた。
振り返らずともわかる、声質。音の高低。振り返る前に乱菊、と小さく名前を呼ぶ。口元が自然と緩む。
鮮やかな金髪が視界に入り込んだ。左肩に小さなバッグをかけた乱菊は微笑み、さも当たり前のように市丸の隣に立つ。それを市丸も拒否せず受け入れる。それが二人のスタンスで、在りようだった。
噂話をすればその当人が現れるとは聞いたが、頭の中でその人間を思い浮かべてもそれは噂話になるのだろうか。不思議とタイミングよく現れた彼女にそんなことを思いながら、自らもずれた鞄を掛けなおす。
「講義、終わったん?」
「まだよ。今お昼」
「そか、何か食べ行く?」
「そうするつもりで来たのよ」
淡々と進む会話を後々脳内で追いかけつつ、どこで食べるかと思案する。
すれ違った女学生らしき子供が2人、市丸と乱菊を見て羨ましそうに目を細めた。「すてきなカップルだね」ぽつりと誰かが呟く。
乱菊は気付いていないらしい。一人それを耳に入れた市丸は、鼻でそれを笑い飛ばした。どうにも誤解を受けがちだが、乱菊とは恋人でもなんでもない。本当に、唯一と言ってもいいほど付き合いの長い友人。それだけだ。
幼馴染というのはえてしてそういうものなのだろうと市丸は思っている。それを、勝手に勘違いするなりなんなりする人間は放っておけばいいのだ。先程の女学生2人もその類なのだから、気にする必要すらない。
「何、食べたい?」
「別に何でもいいけどねぇ。あ、昨日お金入ったからフレンチ行く?」
「ええね」
かぱりとバッグを開けて、髪の毛よりも暗色の財布を取り出す。現金を確認しているようだった。
普段金を使わない市丸はともかく、彼女は酒豪で飲み会大好き人間だ。すぐに財布がカラッポになるの、と言って肩を竦めた姿を思い出す。こういうときから金遣いを更正させるべきなのか、と思うが基本的にどうでもいいので何も言わない。
「じゃあ私が案内する。近場でいいんでしょ?最近見つけたんだけど、穴場なのよ」
「どこでもええよ」
「…私いっつも思うんだけど、アンタはもうちょっと自分の意見を前面に押し出した方がいいわよ」
まるで出来の悪い子供を見るような目つきで見られて、苦笑した。
自分の意見を押し出し、それに余計な文句や追言をされるのが気に食わない。だから何も言わない、それだけだ。
それ以上は何も言ってこなかった乱菊に心底気が落ち着く。本当に彼女は、楽だ。
しばらく歩いているとひっそりとビルの間に佇む小さなフランス料理店があった。店の前に遠慮がちに置かれたボードに今日のおすすめが表示されている。決めるのも億劫だからこれでいいか、とその場で決めた。その考えも読んでいたかのように乱菊が「どうせおすすめでしょ」と顔を向けずに呟いた。
全く持ってその通りで。と、短く息を吐く。
扉に手をかけて押した。からからと乾いたベルの音がして、客が入らないから寛いでいたのだろう、椅子に座っていた店主らしき人物が立ち上がる。お決まりの言葉を耳に入れながら適当なテーブルについた。
初老の男だ。見た目がひどく老けて見えるのに、足取りはしっかいしていて迷いが無い。厨房からぱたぱたと、何かを煮込む音がする。
「おじいさん、おすすめ2つ」
乱菊が声を張り上げて言った。はいよ、と短い返事がして、厨房に消えていく。客席から見える厨房は狭く、店主がぎりぎり入る程度の大きさだった。
料理が出来るまで暇だからと、乱菊は携帯を取り出す。かちかち細やかな動きで指を動かすあたり、メールだろう。テーブルに頭を落として、窓の外の流れていく人々を見ていた。
昼時だからだろうか、やたら行き交う人々が多い気がする。そういえば今日は土曜日だったか。その中に学生も見つけて、忙しいもんやなぁとぼんやり考えた。
メールを打ち終わったらしい乱菊が、同じように窓の外を見る。耳に入り込むのは雑踏ではなく、店主が野菜を刻む音。
「…この後、帰るの?」
「ん?うん」
ぶるぶると乱菊の携帯が震えた。これもまた、忙しないことだ。一人窓の外をまた、見る。ちかちかと瞬く視界の中に、ひとつ異色を見つけて軽く目を開いた。
「………」
大股で歩く大人に流されるように、所在なさげに歩く少女。今時珍しいセーラー服だ。白地の上着に色の濃いスカート。襟がはたはたと風に揺れている。
目立つのは、髪の毛。自分と同じ銀色。さらさらと流れるような、細い細い髪の毛。猫っ毛とも言うのだろう。なんともやわらかそうだ。
瞼は軽く伏せられていた。が、それでもわかるほど瞳は大きい。くりくりとした印象を与える、髪の毛といいどこか猫らしい印象を与える。えてして、背中はぴしりと伸びていて綺麗なのに。
「ギン?」
不思議そうに乱菊が呟き、硬直した市丸の視線の先を辿った。それが女子であったこと、学生であったこと、人間であったことに驚いて軽く目を見開く。
気付けば綺麗な子ね、と呟いていた。なんとはない、無意識の言葉だ。それに律儀に頷きを返し(これにも乱菊は驚いた)、市丸はそっと腰を上げた。
「ギン、」
咎めるように乱菊が名を呼ぶ。少女はそっと、少しずつ迷い無い足取りで店の近くまで来ていた。そこでようやくわかる、彼女の横に存在を主張するかの如く立つ少年の姿。
これもまた目立つ、橙色の髪の毛。恐らく地毛なのだろう、濁った色の無い、根元から鮮やかな橙。
「彼氏かしら」
みぃんみぃん。外界から隔離されたはずの店の中に、入り込む蝉の音。気付けば小さな腕が扉を押していた。その後ろから、保護するように少年の掌が。
「いらっしゃい、そろそろ来る頃だと思ってたよ」
さっくり、包丁の音が止まる。
掌をナプキンで拭きながら、店主が少女の前に立った。ぱたん。扉が閉まり、また静かな室内に戻る。よくよく耳を澄ましてみれば、クラシックが流れていた。
間近で見る少女は予想以上に細く、白く、綺麗だった。日の光に溶けそうなほど透明感のあるその体。伏せられた瞼が震え、やわらかにひらく。口元に薄ら笑みが浮かび上がった。
途端、震え上がる体。市丸が動きを止める。その前を遮るように、店主が小さな鍋を持ち出し少年に渡した。
「入れ物がこれしかなくてね」
「いや、十分だ。ありがとう」
細く、けれどしっかりした声。想像するよりも低く、そして綺麗だった。少女が財布を取り出し、金を渡した。
先程煮込んでいたのはこの鍋か、とどこかで考えていた。
背を向けた二人に店主は頭を下げ、厨房に戻っていく。扉から銀色と橙色がすり抜けるその瞬間、市丸が立ち上がっていた。
「ちょっと、ギン!」
乱菊の声に2人が反応し立ち止まる。市丸の長く、ひょろりとした、けれど筋肉のついた腕が確かに少女の腕を掴む。
「―――――」
全てをかき消すような、やわらかで冷たい温度。背筋が震える気がした。
それを認識した瞬間、ばしりと払いのけられた。鍋を片手で持った少年が、市丸の腕を弾き飛ばしている。目を丸める少女を背に隠し、無言のまま市丸をにらみつけた。
「………ごめん、なんでもないわ」
うろたえる乱菊の元へ戻り、呆気に取られた少女に軽く手を振る。
自分でも何故こんな行動をしたのか理解できていなかった。ひらひらと手を振る動作に倣うように、少女が軽く頷く。
それをさらに庇護するように、少年が扉から出て行った。「行くぞ、冬獅朗」――トウシロウ?首を傾げる乱菊と市丸をよそに、頷いた少女は店から出て行く。
みぃんみぃんみぃん。やかましい蝉の音がぱったりと途切れた瞬間、前菜が運ばれてきた。手にはひたすら、あの温度がじわりじわりと存在を主張している。
全てを掻き消す温度
|
|