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「妹がついに思春期を迎えた」
実に複雑そうな彼の言葉が、思えば始まりだったのかもしれない。
聞くところによると、中学に上がった妹さんが、自分の下着を見られたり頭を撫でられるのを嫌がるようになったらしい。彼はご母堂の手伝いをよくするそうだから、必然的に洗濯物の中から妹さんの下着も見てしまう。が、別に今更妹さんの下着にどうこう思ったりしないし、特に気にしたりもしないらしい。妹さんも今までは、キョンくんがやってくれるからお手伝いしなくていいだの楽だの言っていたのだが、最近になって自分の下着だけ自分で干すようになったそうで。
また、彼はどうも妹さんを甘やかすところがあって(彼はそれを否定するが、はたから見ると明らかだ)、たとえば嫌いな野菜を食べたり、苦手な教科の宿題をがんばった後は頭をなでるのが常だそうだが、最近はそれをしようとすると「子供扱いしないで!」と頬を膨らませるらしい。
「……いや、別にいいんだ。むしろ今までが異常だったくらいだから、これで正常になったと思えば気にならん。だが、まあ……」
素直に言葉を口にすることができないのか、適当な言葉が出てこないのか、もぐもぐと口を動かして俯く彼の肩を静かに抱き寄せると、「少し寂しいかもしれん」と彼が呟いた。年が離れた妹さんは、彼にとって溺愛対象だ。それが自分の手元から離れて行くというのは、つらい。想像すれば、少しだけわかる。
「多分、もう少ししたらきっと俺のことを嫌いになって、俺が同じ家にいるのも嫌になるかもしれん」
「それはないと思いますが……」
「ないと言い切れるか? 世の中の父親が味わっている苦悩だぞ。うちの妹だけ例外で、そうならんとは限らん。だったら今のうちに、俺が家を出たほうがいいんじゃないかとも思うんだ」
あなたは父親ではないでしょう、という突っ込みはともかく。彼の大学は彼の実家から少しだけ遠く、電車と徒歩でおよそ一時間ほどかかる。が、それほど離れているわけでもないし、通学を苦とも思っていないようだから「それ」の可能性は切り捨てていたようだが、また考慮し始めたらしい。
それ――一言で言うと、一人暮らしだ。
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