なぜか急に手を伸ばさなければならないような気がして、ふと手を伸ばしたらそのまま空気を引っかいた。

「え」

 目の前には、いつも見ていた背中があって、そこにその背中があったはずなのに、なぜか僕の手が、あれ?

 振り返った彼はどこかかなしそうに笑っていて、僕に手を伸ばしてくる。だから僕はその手を取ろうと、同じように手を伸ばしたのに、あと数センチ、あるいは数ミリの距離があって、触れられない。
 ああじゃあ近づけばいいのか、自分から触れに行けばいいのかと近づいた瞬間、彼が遠ざかった、気がした。彼の足は動いていない、どこにも行っていない、ただ僕の目の前にいて、手を伸ばしてくれるのに。

「せんぱい」

 声をかけると、彼が笑った。なんで、そんな顔をするんです。なんでそんな、穏やかに笑うんです。なぜ、僕は触れられないんです。どうしたんですか。
 そう言えば、ここはどこだったっけ。今の今まで、神様と呼ばれるものと対峙していたはずだった。ふと大きな音がして、気づけば彼以外見えなくなっていた。ほかの皆はどこにいるのだろう。痛みは感じない、僕のペルソナも無事にいる、ならば皆も無事であろうと結論づけたけれど、姿が見えないのはいささか不安だ。

「あの、せんぱい」

 皆さんはどこに行ったんでしょう、そう問いかけようとしたら、彼がゆっくり手を下ろす。右手が勝手に動いて、彼の手をつかもうとした。するりと抜けて、唖然とする。あれ、あれ、どうして、なんでと、子供のようなことを思う。
 なんで、何も言ってくれないんですか、先輩。

「……一度、戻りましょう。皆さんと合流しないと……」

 とにかく彼との距離を埋めようと一気に距離を詰めたら、彼が嬉しそうにした。嬉しそうなのに、遠ざかる。こんなところでふざけている場合じゃないと怒ろうとしたら、彼の足は先ほどから一度も動いていないということに、気づいた。

「せん」

 彼が、

「ぱ」

 笑って、

「……い」

 いる。







 爆音と、爆風と、雷のような光が五感を刺激して、体が地面に倒れ込む。硬い地面に何度かバウンドして、起き上がる頃には土煙が上がっていた。無事なの、と天城先輩が叫ぶ声がして、無事です、と叫んだ。久慈川さんが泣き声のようなものを上げて、花村先輩がペルソナの力を使い土煙を払う。皆一様にぼろぼろの、傷だらけの体で、倒れ込んでいた。彼の姿が、見えない。
 どうして、どうしてと叫びながら涙をこぼす久慈川さんに、なぜかつられて涙が出た。悲しいとか、苦しいとか、そういうものではなかった。なぜ彼はいないのだろうと、ただそんなことを考えていた。僕たちに大きな影を落としていたあのかみさまがいないことに気づいて、ああなんだそうかと、ひとつの結論に行き着く。
 薄暗い空間に広がる慟哭を、ただ静かに聞いていた。











20120310 さよならですさよなら
幾万の真言がもし自己犠牲の技だったら