蝉の声がする。
もうこんな時期になったのかと思うと、なぜか淋しい気がした。
季節は移ろい、そして人間は年を取っていく。
新八はいつにない重く暗い考えをしているのに気付き、はっと頭を振った。
今日の夕飯の材料を抱え、来た道を帰る。温かい、寧ろ暑い空気にこめかみを汗が通る感覚がした。
(あ)
何か懐かしい感覚。汗が流れるのは普通当たり前のことなのに、急に足が止まった。
それと言うのも目の前に人が立ち止まっていたから。真っ黒の隊服に、そぐわない綺麗な髪の毛。
何色と表現したらいいのだろう、そうぼんやり、関係の無い、全く途方の無い事を考えていた。
「久しぶりだねィ、新八君。」
嫌味たらしく名前の後ろに「君」をつけることにも、反論はすることができない。
その代わりに少し牽制を含む視線を向けると、怒るなよ、と飄々とした声が返ってきた。
「この前会ったのは…」
「4月くらいでしたかねィ」
そうだ、確かそのくらい。
その時期を境に、もう随分と会っていなかった。否、それが普通なのだ。一般人と警察が関り合うなんて、評判は悪いに決まっている。
それを知ってか知らずか、最後に会ったあの日、つまり新八が女とばれた日。新八を抱えて来た沖田を見た銀時は(帰りが遅いので妙が連絡をいれたらしい)、それきり真撰組とあまり深くかかわらなかった。
きっと気を使っていたのだと思う。柄にも無く。
なぜならば、あの日から真撰組の話を銀時や神楽が振ると、新八は決まって笑顔を濁していたから。
「体調のほうはもういいんですかィ?」
「それは全然…って何言わせてんだアアアアァァァ!ナチュラルにセクシャルハラスメントかアアアアアァ!」
そのさわやかそうなルックスに似合わずさらりと嫌味が吐かれたことに対し、やはり新八はキレのいい突っ込みを入れる。
沖田はそれを見てくすくすと笑った。新八は顔をやや赤くさせて沖田を睨みつける。
「…で、何の用ですか」
手短にお願いします。
何せ一般の子供と警察の黒服が向き合っている図はあまりに目立ちすぎる。
しかもここにはよく買い物に来るので、嫌な噂を立てられるのだけは避けたい。
それを思い切り態度で示すと、沖田は「こっちに来なせぇ」と新八に手招きをした。
ててて、と可愛らしいしぐさでついてくる新八に、沖田は心中「へぇ…」と思う。
確かに言動やしぐさの端々に女らしさがにじみ出ている。それも愛らしい。
「何ですか?」
あまり人のいない公園について、漸く新八は沖田に声をかけた。
沖田はベンチに座り込み、ちょいちょいとまた新八を呼び寄せる。隣に座れという、無言の圧力が新八へ届いた。
「…」
少しむくれて、そしてそれなりに離れて座る。何ですかィその隙間は、と沖田が今度はむくれた。
「別に何の危害も加えやしませんぜ。安心しなせェ」
「…そんなの、わかってますけど」
すると、ほんの少しだけ新八が沖田の傍に寄る。
(可愛いなァ)
心の中で思い、沖田は息を吐く。
前々から興味は持っていたが、それが女だったということでその興味が違う方向へ動き出していた。
しかし沖田はそれに気付かないフリをする。
「この前会った時のことで、聞きたいことがありまして」
「?」
新八は沖田の顔を見る。
しかし沖田はこちらを向かずにどこか虚空を見つめていて。だから、新八には沖田の横顔しか見えない。
何ですか、と急かすと、沖田がクッと笑った。
「アンタ…、何で、女って事を隠してるんで?」
「!」
びくり、と新八が震えた。
聞いちゃいけない事だったかィ、と言うも、沖田は全く悪びれていない。
あらゆるところで始末に悪い。新八は顔をしかめた。
「…そんなこと聞いても、面白くもなんともないと思いますけど」
「面白いかどうかは俺が決めまさァ」
「そうですか」
最早拒否権も何もあったもんじゃない。
きっとこの男は自分が喋るまでここから一歩も動かない、動かさないつもりだ。
新八は腹を括ると、静かに声を絞り出した。
「…僕が生まれた年は、いつにない犯罪年だったらしいです」
そう、昔。
新八が生まれた年、その年は人殺しや窃盗、子攫いが多く蔓延る犯罪年だったらしい。
「勿論僕の住んでいるところも例外ではありませんでした。一回、僕が攫われたこともあったらしいです」
しかし、持ち前のあの姉の凶暴さと健全な父の攻防でその場は何とかなった。
「でも、僕はまだ小さかったし、姉上みたいに強くも無かった。だから、父上が僕に男装をさせたんです」
これで、少なくとも外見上は強くなれる。
そして姉妹という弱そうなポジションから、姉弟という少し頼りがいのあるポジションへと。
つまり、男装をすることで自分自身、ひいては妙をも守っていたのだ。
「それきり、犯罪に巻き込まれることは無かったらしいです。けど、用心に越したことは無いって父上が」
『もう暫く、この世界が安定するまでこのままでいよう』
そういったのだ。
勿論否定する理由も無かったし、新八自身も男装は嫌いではなかった。寧ろ強く見られるなら、このままがいいとさえ思った。
「それで、数年経って治安も安定してきたんです。その頃ですかね、父上が他界して」
大変でした、と新八は笑う。
「それからごたごたがあって。借金取りとか、そういうのに対処するためにも、姉妹に戻るわけにはいかないって。弱く見られちゃうから」
「…」
「一応弟がいれば、多少の荒事も回避できるでしょう?僕もそれには賛成でしたし」
まあそれ以前に、姉が強すぎてあまり強行に出る人間が出なかったというのもあったが。
「そしたら、何か男でいなきゃって概念が強くなっちゃって。定着しちゃったんですよね」
別に支障も無いですし、と新八は呟いた。
その言葉を聞き流すべきか一瞬沖田は迷ったが、心の中に留めておくにした。
「で、何で万事の旦那には秘密なんで?」
「それは…」
一瞬の沈黙。
沖田は何かまずいことを聞いただろうか、と一瞬躊躇した。
しかしそこまで複雑な顔をしていなかったので僅かにほっとする。新八が喋るのを待つ。
「…女だって言うと、何だか木刀没収されそうで」
今でもただでさえ弱いと思われているのだから、女だなんてわかったら万事屋さえやめされられかねない。
それは嫌だと、新八は言った。
「はぁー、なるほどねィ」
沖田はどかりとベンチにもたれかかる。
新八はもうこちらを見てはいなかった。静かに、先ほど沖田が見ていた辺りの虚空を見つめて微笑んでいる。
何故笑っているのか、沖田には理解できなかった。だから、聞いた。
「何で、笑ってんだィ?」
「え?」
どうやら新八には笑っているつもりはなかったらしい。
これこそ無意識なのだと理解できた。新八は恥ずかしそうに顔を赤らめて、だって、と呟く。
「人に言ったことなかったですもん。何だかすっきりしちゃって。…て、あんま暴露するほどのことでもないんですけど」
そうか。
誰にも見せずに来たのだ。
誰にも弱みを見せられずに、ここまで大きくなっていたのだ。
その笑顔の裏に隠されていた辛さ、それを容易に想像できて、沖田は無表情に息を吐く。
「…てことは、俺が暴露第一号ですかィ」
「そうですね…てか他の人に暴露する気もう無いですけど」
「それまた、何で?」
「…なんで、でしょうね?」
その笑顔が全てを物語っているような気がして、沖田は黙り込んだ。
ゆっくりと歩く。
珍しく新八の後ろを歩く沖田は、その後姿を見つめていた。
(小さい顔、細い肩、白い肌、細い腕、)
(小さい体、細い腰、細い足、小さな足)
(弱弱しいなァ)
ふと、新八の足が止まる。
ぼうっとしていた沖田は危うく新八にぶつかるところだった。吃驚して新八の後ろ頭を見つめる。
「どしたんでィ」
「沖田さん、あれ」
見てください、と伸ばされた手の先。
そこには、まだ少し小さいが、鮮やかな向日葵が咲いていた。
「これ一本だけなんですかね?」
新八は向日葵に近寄る。
花自体は小さいが、茎が長い。並ぶと新八の胸あたりほどまである。
「綺麗ですねぇ…」
沖田はそれを見て、ふと思った。
そう、こんなときにしか咲けない。
しかし、咲くときは綺麗に咲く。
たった短い間でも、その姿は強烈に印象に残る。
でも、散ってしまう。
散ってしまっても、誰かの食べ物に、役立つように散る。
「ああ、ほんとに――」
似ている、と思った。
「綺麗だ」
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