何を悲しめばいいのか。
何を差し置いても、とりあえず自分はもう、あの家の戸を開けることは無い。 あけてはいけないのだ。 「っ…」 涙は意識もしていないのにぽろぽろと流れる。このままでは沖田の隊服が湿ってしまうと思い離れようとするが、全く離れない。
つまり、満足するまで、泣き止むまで泣けと言う事なのだろうか。

(沖田、さん)

ごめんなさい、と心の中で呟いて、新八は素直に沖田の隊服を濡らし続ける。

暫く沖田は頭の中で考えていた。
あの銀髪の糞野郎。何故、理由も聞かずに追い出した。 何故、わかってやらなかった。
勿論全て向こうが悪いというわけではない。それを理解していても、腹立たしいものは腹立たしかった。
許せないとすら思った。 刀を今すぐ持ち出して、切れるものなら切ってしまいたかった。

(コイツを悲しませると、言うなら)

この少女には、このままでいてほしい。
ずっと笑顔で、泣かないでいてほしい。

(泣かせると、言うなら)

それならば、と思った。

「…?」

ふと違和感を感じて新八の顔を覗き込む。 いつの間にか、嗚咽は寝息へと変貌していた。

(泣き疲れた…か)

ぐったりともたれかかる新八を細腕とは思えない力で抱え上げ、屯所に入る。
とりあえず元気が出るまで傍にいてあげよう。

「で、開いてる部屋ありませんかィ?」

「いきなり何だて言うかあるわけねーだろが」

「そーですかィ。じゃあ新八は俺の部屋に泊まらせるしか無いですねィ」

「待て待て待て」

「何ですかィ瞳孔。さっさと布団に寝かせてやりたいんでさァ」

「オイ何ナチュラルに侮辱してんのォ!!」

つい口癖で土方を挑発してしまう沖田は、今回ばかりはしまったと思った。 このマヨネーズ男は挑発すればするほど瞳孔が開き、声を荒げる。これでは折角眠りに入った新八が起きてしまう。
さてどうするか、そうだ、いい手がある。

「土方さんちょっとあっち向いてくだせぇ」

「あん?」

ドゴッ。

綺麗に後頭部に入ってごろりと土方がその場に倒れこむ。
すいませんね、明日謝りまさァ、と全く悪びれてない声で謝ることは謝ってその場を回避する。
一緒に寝るだけだ。今回は。いきなり事に及ぶのも好きではない。沖田は静かに自室の戸を開けると新八を抱えたまま布団を引きずり出し、その上に新八を寝かせた。
明日土方に無駄な誤解を受けるのは避けようと思い新八からやや離れた場所に座り込む。
新八の安らかな寝顔を見て、沖田もゆっくりと瞼を閉じた。




「…おはようございま、す」

目を開けると、眠たそうな新八の顔が。
沖田は瞬きを2,3度繰り返すと辺りを見回した。障子の隙間から漏れる日の光で、朝なのだとわかる。
この様子だともう土方さんは起きてんだろーなァ、と面倒臭そうに考えて頭をかく。案の定、荒々しい足音が聞こえた。

「オイィ総悟!テメェよくもっ…」

ガラリ、と勢いよく障子が開けられる。
せめて声の一言でもかけろと言いたい所だが足音で解るのでよしとする。
しかし今は新八と言うここに慣れていない人間がいるのだ。気ぐらい使ってほしい。

「あ、土方さん、おはようございます」

眼鏡を掛け直して新八が頭を下げた。
それに今までの勢いが急に萎えて行くのが沖田からありありと見て取れる。

「な…、何も、されなかったか…!?」

ふるふると震える手で新八の肩を支えて言うと、新八はよくわからないがとりあえず頷いた。
当たり前でしょうが、馬鹿ですかィ。と呟く沖田に鋭い視線を向けて、土方は息を吐いた。

「あ、そうだ土方さん。昨日はすいやせんでした」

「お前ふざけんなアァァ!どれだけ痛かったと思ってんだアァァ!」

「血圧上がりますぜィ」

呆然とする新八に、ふと沖田が笑いかけた。
その笑みを受けて、なぜか新八はほっとする。沖田の傍らに寄って、喧嘩を仲裁した。
土方が無言で離れる。ここまで大人しいのも珍しい、と沖田は内心爆笑した。
「じゃあ新八ィ、朝飯にするか」

「あ…え?はい」

まさか自分の分がもらえると思っていなかったのだろう、驚愕した顔は沖田に腕をぐんぐん引っ張られて、とても狼狽していた。

「何かすいません…、僕の分までご飯もらってしまって」

「気にするな新八君!妙さんの弟となれば全く咎めやしない!いっぱい食べなさい」

「はい…ありがとうございます」

食堂に着くと、他の隊士はもう食べ終わったのか既に姿が無く、近藤が一人お茶を飲んでいた。 勿論近藤は新八が女ということを知らない。
運ばれてきたご飯は味噌汁と漬物とご飯という簡素なものだったが、考えてみれば昨日から何も食べていなかったのでとてもおいしく感じられた。

茶を飲んでいた近藤が不思議な顔でこちらを見ている。
新八も不思議な表情を浮かべて近藤を見返した。近藤は首をひねった後、心底不思議そうに言う。

「…何故君は屯所に?」

ぴんとその場の空気が固まった。
新八は勿論、沖田と土方の箸を持つ手が止まっている。

「え、えっと…」

必死に言い訳を考える新八を見、沖田と土方は目を合わせた。 新八自身女とばれないような言い訳を必死に考えているのだろう。

「近藤さん、新八は足を捻って動けないから昨日一晩ここで休ませたんでさァ」

「ああ…、そうだ」

沖田は土方を見ている。視線で合わせろと言っているのを理解し、土方も頷いた。 一方新八はそのフォローに気付き、そうなんですと申し訳なさそうに呟く。

「そうか。もう大丈夫になったのかい?」

あっさり騙されてあまつさえ心配までしてくれる近藤に新八は本当に心から申し訳なさそうに、はい、と呟いた。


「っあー、ばれるかと思った」

ぽてぽてと廊下を歩く。
新八が漏らした言葉を、土方は不機嫌に返した。

「何でばれちゃいけないんだよ」

「それは…」

口ごもった新八をフォローするように、沖田が新八の横につく。

「理由聞くなんて、野暮ですぜィ。土方さんだって聞かれたくねー事のひとつやふたつはあるだろィ」

「…悪かった」

沖田の遠まわしの「聞くな」に、素直に土方は謝る。
こんな人だったんだな、と新八は薄ら微笑んだ。そして、あっと目を見開く。

「どしたんでィ?」

「あ、姉上に、何も言ってな…」

「あー…」

あの近藤さんの思い人ですかィ。
思い出す恐怖の数々を頭に浮かべ、沖田は息を吐いた。あのゴリラのような姉に育てられて何故こうなるのだろう。 いや寧ろあの姉に育てられたから今の新八があるのか。

「…電話だけでもしとくか?」

珍しく優しい土方に、沖田は笑い、新八は素直に頷く。 とことこと電話の元へ走りに行く新八の後姿を追って、沖田はぽつりと呟いた。

「ちっ…何だィ、土方さんも狙うつもりかィ」

「あ?」

さっぱりわけがわからないというように沖田を見下ろすが、既に新八の元へ歩いていく沖田は何も返してこなかった。






「大事なのよ銀サン」

「え?俺の糖尿が?いやわかってるけど伸びる手は止められないって言うか」

「違うわよこの糞天パ。昨日からね〜、新ちゃんが帰ってこないの」

万事屋の戸を開けて開口一番言った妙に、銀時は真面目な顔をして返し、暴言を吐かれる。
勿論、新八がいないのは銀時は知っていた。なぜならば追い出した張本人なのだから。

「へェ〜、昨日は普通に帰ったけどな」

嘘で繕った言い訳をすると、妙も困ったように息を吐く。
大変だわ、警察に届けたほうがいいかしら。そう呟く声に、はっと銀時が目を軽く見開いた。

(新八が、志村の家に帰ってない…?)






「ほら行くヨ、定春」

大きな犬に小さい少女。聞いただけでは和めそうなそれは、今は不穏な空気を纏っていた。
新八を追い出したという銀時。何故そんなことをしたのか、神楽は大体わかっていた。

(新八が、女ということ)

なんとなく察知できた。
言葉の端々にある女らしさ。体の丸み、弱さ。それに新八が傍にいると、故郷の母親が連想できたこと。
たかがそんな理由で追い出すのは間違っている。神楽はふんふんと鼻を鳴らす定春を見つめた。

「新八の匂い、するアルか」

返事は返ってこない。
困ったように見える表情に、神楽も立ち止まった。

「…銀ちゃんの、馬鹿」





何が悲しいって、もう何もかもだ。