「すいませんでした」

もともとはたった一人が寝泊りするだけの空間に、ぎゅうぎゅうに詰めて入ればそりゃあきつかった。
新八は頭をぺこりと下げていた。何をそんなに頭を下げる必要があるのかと思うが、新八は真剣な顔だ。

「な、何がだい?新八君」

「あの湯呑み、割っちゃって…」

その一言に、その場にいた皆がハァ?とでも言いたげな顔をする。
手伝いをさせてもらっている身分で湯呑みを割ってしまったことが何より新八は許しがたいことだったらしい。 大真面目に謝られるものだから、近藤は苦笑してしまった。

「あれは仕方ない。第一、真撰組の人間は湯飲みの1個や2個割られた位で怒る人間じゃないよ」

それに、新八君の体調に気付いてやれなかったし、お互い様だ。
それを聞いて安心したのか、新八はほっとした表情になる。
あは、と笑ったあと、こちらをじいと見ている神楽に気付いた。

「…神楽ちゃん?」

「え」

ぼーっとしていたのか、声をかけられた瞬間肩をふるわせた。 勿論声をかけた新八は驚いていた。ここまで神楽が大きな挙動をしたことは無かったし、こんな隙を見せたことも無い。
どうしたの?と声をかけると、なんでもないと返事が返ってきた。
それが妙に怪しいけれど、頑とした声だったので、そう、と新八は返した。

「神楽ちゃん、もしかして眠いの?」

新八は口に薄く微笑をくわえてそう言う。
勿論眠くもなんとも無かったが、神楽は呆気に取られて声を出せなかった。
それを肯定と受け取ってしまったのか、真っ先に近藤がそうかそうかと笑い、神楽の肩を叩く。

「ならここで一泊していけばいい。新八君をひどく心配していたようだから、ここで寝るかい?」

「そうする?神楽ちゃん」

本人の意思を完璧無視して進んでいくお泊り会の相談に、最早神楽はあいた口がふさがらなかった。
たかだか考え事をしていたくらいで、いきなりこう話が進んでいくものなのか。
しかし、神楽自身嫌ではなかったと言うのもあるし、新八と話をしたいと思っていたからいい機会だろう。
一度こくりと頷くと、新八に擦り寄った。
それが合図とでも言うように、ぞろぞろと人が出て行く。
山崎はお大事に、土方はじゃあな、沖田は読めない微笑、近藤は変な気起こしちゃ駄目だよ新八君とそれぞれ言葉を残して障子がぴたんと閉まった。

「…もう寝る?」

「ん」

定春は一足先に万事屋に返しておいた。
一応あの糖尿危機人間も一人では寂しいだろうとの神楽の心遣いだ。
ぺったりとくっついて離れない神楽に、じゃあもうこのまま寝ちゃおうか、と新八は呟いてころりと転がった。
障子の向こうは既に暗い。しかし寝るには早すぎる時間。



暫くして寝息が聞こえ始めた頃、神楽は閉じていた目を開いた。
本当に眠たかったわけではない。本当に眠たかったのは寧ろ新八ではないかと思う。
当たり前のように皆部屋の中にいたが、まだ新八は熱が引いてなかったのだ。だから嘘をつくことで、さっさと部屋からそれらを追い出した。
案の定ぐっすり眠り込んだ新八に、神楽は息を吐く。
新八は温かい。それこそ傍にいると安心するような、まさしく母親のそれだ。
けれど新八は男のような心の強さも兼ね備えている。
両面を備えているから、果てしない頼りがいと果てしない頼りなさが同居しているのだ。

(違う、)

(私が考えていたのは、もっと別のこと)

そう、別のこと。
あの時考えていたのは万事屋に置き去りのあの男。
そいつについて新八に問いだしたかったが、言えば傷つくことも目に見えていた。
だからどうしようか葛藤していたのだ。そこに声をかけられると、そりゃあ挙動もしてしまう。
新八を傷つけることはしたくないし、けれど何も知らないままなのは気に食わない。
きっと自分のしていることは自己中心的でつまらない自己満足なんだろうけど、ずっとこのままで日々が続いていくのだけは嫌だった。

(新八、いつになったら帰ってくるアルか?)

考えても考えても、問いかけてもそれには、寝息しか返ってこなかった。


朝方目が覚めると、既にそこに神楽の姿は無かった。
そういえば、昨日神楽は銀時に連絡を入れていたのだろうか?もしかしたらそれを気にして、何も言わず帰ったのかもしれない。
それを思うと、少し胸が痛かった。銀さん、と口だけ動かす。

(僕は、いらない?)

自問自答すれば間違いなく自分は自虐的になるのだろう、そう思って、もう何も考えないよう、再び目を閉じた。







「ただいまアルよー」

からり、とドアが開けられたのは早朝。
朝帰りか!といつもならば茶化していうものであるだろうが、今回はごく普通の返答が返ってきた。

「おかえりィー。どこいってたんだ」

その表情は見えない。
後ろを向いているからか、声に違和感が無いからかはわからないが神楽は薄く嫌な気分を味わった。
思いつく適当な嘘を声にする。

「姉御のところ…、ネ」

その姉御の妹のところにいっていたなんて言えない。
すると銀時は何かを食べているのか、もごもごと音を立ててふぅん、と返事を返した。
傍らでは定春が心地よさそうに眠りこけている。

「ちゃんとお礼言って帰ってきたかー。お邪魔しましたとか」

「…いい忘れたネ」

「おいおい、礼儀がなっとらんぞー」

本当にいつもと何一つ変わらない返事に、もしかしたら疑われてないのでは?と神楽は考えた。
そうくればもうおびえる必要も無い。
大きく構えて傘をぎゅっと握り締め、安堵の息を吐いた。

「何してきたかはわかんねーけど、楽しかったか」

「うん。久々に話したアルよ」

「へー、よかったな。ところで新八元気だった?」

「だいぶ…、て、え、あ」

しまった。
気付いたときには遅かった。
普段から何を考えているかわからない死んだ魚の目が、無表情にこちらを見ている。
それがそんじょそこらのホラーよりも恐ろしく、背筋が凍るものだったので、つい神楽は傘を構えた。

「新八、何か変わりあったか」

「…」

何故こんなことを聞くのだろう。
答えられずに首を振ると、そうか、と気の無い返事が返ってきた。
そんなこと聞くならはじめから追い出さなければ良かったのに。そう小さく声に出すと、目線だけ返ってくる。
負けじと睨み返すと、その不穏な空気に気付いたのか定春が薄ら目を開いた。
しかし何事も無かったかのように銀時が頭を撫でるものだから、再び夢うつつへ沈んでいく。

「…銀ちゃん、おかしいネ」

「何が?」

「何が、って言われても、よくわからないけど」

怖い、ヨ。変な気分。そこにいるのは銀ちゃんじゃない気がするアル。

「…何言ってんの、お前」

頭でも殴られたか。
そう無感情に言う銀時には、今までと変わらない飄々とした雰囲気はそのままに、何か得体の知れないものが入り込んでいる気がする。
こうなったのは新八がいなくなってからだ。

「…新八、今の銀ちゃんのところには帰ってこないアルよ」

ぴくり、と反応。初めて人間らしい反応を見せたことに、驚きと不安とうれしさを感じた。
それと同時にどうしようもない気分。自分で言っておいてなんだが、今の銀時にはもう希望を持つことができなかった。
いつもみたいに、死んだ魚の目をしていても、仲間を捨てるなんて事はしない。

(それなのに)

もう、駄目だと思った。
ぽりぽりと頭を掻いて欠伸をした後、よくわからない口調で銀時は呟いた。

「…、うるせぇよ」