手が、冷たかった。

「沖田さん」

「何でィ」

あくまで新八の歩幅にあわせる沖田。
それに気付いていない新八は、どうして沖田が自分を引っ張るのか理解できなかった。

「どうしたんですか」

「別に」

その言葉に新八は呆れた。わかった、沖田が気が済むまで引っ張られよう。

次第に光の差す廊下へとたどり着いた。少し埃っぽいが、日当たりはいいし洗濯物がよく乾きそうだ。
わあ、と目を見開くと、沖田が今度は向きを変えて新八と顔を見合わせた。

「…ここに、来たかったんですか?」

そうたずねると、にやぁりといつもの不敵な笑みが返ってきた。



ここで何をするのかと思えば、昼寝だった。
相変わらずのサボりか、とは思ったけれど、聞いても意味が無い。
座れ、とでも言いたげな手がふらりと虚空をさまよっていたのでしゃがみこむ。
正座をして横を向いた瞬間、色素の薄い頭がごろりとひざの上に乗っかってきた。

「わ」

驚いて顔を見ると、満足そうな笑み。
こんな笑顔はあまり見たことがなかった。新八は驚き半分嬉しさ半分で曖昧な微笑を作る。

「膝枕が狙いだったんですか?」

「その通りで」

崩れることの無い笑みに、新八は呆れたように笑う。
沖田は膝の上で心地よさそうに目を細めた。しかも日差しは温かいと来た。これは眠たくなるだろう。
新八は知らない。昨日、沖田が一睡もしていないことを。
流石に寝てないのは辛かったらしく、沖田はうとうととまどろみだした。

「そうだ、新八」

「何ですか?」

「手、貸してくれィ」

よくわからないといった表情で、新八が手を伸ばす。
比較的顔の近くにあった左手を引っ張り、目の上に乗せた。

「ああ、やっぱり落ち着くなァ」

「僕の手はアイマスクですか」

普段沖田がアイマスクを使用していることを知らない新八は、喉の奥でくすりと笑う。
あの人を小馬鹿にしたようなアイマスクは見るだけで土方を苛立たせる魔法のアイマスクだ。新八はそれを未だ見たことが無い。
今のままで行くといずれ見ることになるだろう。

(銀髪の旦那が、コイツを迎えにこなければ)

ふ、と息を吐いて笑い、沖田は力を抜いた。



暫くして穏やかな息が寝息に変わったのを察し、新八は緊張していた力を解いた。
どうにもこの男は読めない。とても離れたところにいるように思えるのに、とても近いところにいるような気もする。
悲しいときは解っているように傍にいてくれるし、逆にからかったりなんかもする。
それでもそれが嫌じゃなくて、新八は沖田のその子供のような行動を受け入れていた。

こう日差しがいいと、自分も眠たくなってしまう。昨日早く寝すぎたからか睡眠はもうたっぷりとったはずなのに。
うと、と首がかくりと動いたとき、ふと視界に何かが入ってきた気がした。

「?」

沖田を起こさないように手はそのままに、ゆっくりとした動作で顔を上げる。
目を見開いた。

「ぎ、」

「よう、久しぶり」

「銀、さん」





銀時が動いたのは今から少し前。
神楽が帰ってきて少し話した後、突然着替えて木刀を携え、神楽に新八の居場所を聞いてきたのだ。
最初神楽は嫌がった。
今の新八には銀時はあわせるべきではない。そう判断したのだ。
渋がって何も言わない神楽に、珍しく銀時は切れた。
静かに、ただ静かに、燃えるような殺気を背後に仄めかせてただ一言。

「新八は?」

神楽はそれで悟った。ああもう、何を言っても無駄だと。
この男はきっとどこまで新八が逃げても追いかけて捕まえる。沈黙を突き通すだけ無駄だと。
それに、今の止まり木は安全な場所でもあった。真撰組――、それにいざとなれば自分も加勢するつもりで。
場所を教えるが早いか、銀時はふっと気配を殺して万事屋を出て行った。
その後姿を見て、神楽は涙を一粒こぼす。



新八の全ては止まっていた。
時も、息も、視線も。何もかも。
銀時は何一つ変わらない笑みで、昔のように笑う。

「なーに新ちゃんそんな呆気に取られた顔しちゃって。銀サン随分お前探したんだよ。姉ちゃんぐらいには連絡いれろよ」

ああ、死んだ魚の目。懐かしい、と同時に悲しくなった。
銀時が音も無く地面に着地した。ゆっくり、吹きさらしの廊下へ座る新八へと歩み寄ってくる。
まるで沖田は眼中にないとでも言うように、新八だけを見つめて。
「おい、帰ぇるぞ」

(え、)

帰る?
何を言っているのだろう、この人は。
自分で追い出しておいて、もうここには来るなと言っておいて。そして『帰る?』

(ふざけるな)

思っても声に出せなかった。
声帯がまるでごっそり抜き取られたように、喋ることができなかった。
銀時はそれがわかっているかのように、新八にまた一歩近づく。
そこで初めて気がついたと言わんばかりに沖田を見、少し目の色を変えた。

「お前、膝枕とかしてんの。熱いねぇ」

「…」

「何?助けてくれた人には膝枕しちゃいます?へぇー、結構いやらしいことしてんのね」

「……」

「ま、いいや。帰るぞって。ほらそんな物騒な人間落としなさい」

ゆっくり、ゆっくり。
近づくたびに、怖くて仕方なかった。
きゅ、と、知らぬ間に寝ている沖田の手を握っていた。助けて、助けて。こんなこと頼んではいけないのに。

「ほら」

手が伸ばされる。
それが、新八の腕に触れるか触れないか。その瞬間に、銀時の手は弾き飛ばされた。

「っ!」

「え?」

驚いて飛び退った銀時と、何が起こったかわからない新八。
視線を下ろせば、まだ新八の手が乗っけられている、外界なんか見えないはずの沖田が、握られていない手、左手に木刀を持って牽制していた。
先ほど銀時の手を弾き飛ばしたのは、目にも留まらぬ速さで繰り出された沖田の木刀。

「沖田さ、」

「あーあー、こんなに煩くちゃ眠れねぇや」

新八の両手を優しくはずすと、緩慢な動きで起き上がる。
まだ眠たいのか、ふわぁ、と小さな欠伸をこぼした。

「旦那、本人の意思確認もなしに連れてくのは拉致っていう立派な犯罪ですぜ?」

「いいの、俺は万事屋だから」

それって理由になってないじゃん。そう突っ込みを入れたいものの、2人はそんな空気ではない。
軽い応酬とは裏腹に、たとえようの無い不穏な空気が2人の間に流れている。
土方に刀を没収されてから何日経ったか。4日は経ったのではないだろうか。
流石に見回りの時には真剣を渡してもらえるが、それ以外のときはここぞと言わんばかりに木刀に変えられる。
今は丁度いい機会だったかもしれない。木刀同士、本気の戦いができる。

「ふン、情けねェや。旦那ァ、殺気が出まくってますぜィ」

「あらあらそれは無いんじゃないの。君も結構出てるよ〜、と言うよりかなり出てるよ」

「あァ、俺は別に構わねェ」

「ま、俺もね」


―――――殺してもいいと思っているのだから。





キィン!
大きな音がした。
いつ始まったのかも解らない、急な応戦。
木刀同士がぶつかりあって何でこんな音がするのか。やはり使い手のせいなのだろうか。
新八は固まっていた。どうすればいいのか解らなかった。
ただ、どう考えてもこの戦いが沖田に不利だということは解った。リーチの差がありすぎる。

「せいっ!」

銀時の振りかぶった木刀が、沖田の木刀で横になぎ払われる。
その細い体からは想像できない力強さに、銀時は薄ら笑った。
横に飛ばされた木刀に引っ張られ、僅かに傾いた銀時の鳩尾めがけて沖田が蹴りを入れる。
大きく入ったかに思えたが、距離があったらしくさほど靴に感触が無かった。
代わりとばかりに木刀が沖田の腕を狙う。受け止めると、僅かな衝撃が腕を伝って痺れた。
その瞬間に今度は銀時の足が鳩尾に入り込んでくる。
間一髪でかわしたが、変わりに足は腕を蹴り上げた。
幸い木刀を持っている腕ではなかったので、沖田は涼しい顔をして息を吐き、腕の痺れを払うように上下に振る。
一瞬間が開いたと思ったがつかの間、木刀を支えにして沖田が飛び上がった。視界から消えた沖田を探すように銀時が顔を上げた瞬間、背後に着地して背中を蹴る。
吹き飛ばされた銀時がいてて、と呟きながら起き上がった。よろめいて一歩進んだ銀時に半ば突進するように、沖田がスピードを上げて懐へ忍び込む。
足払いと流れるような動きで、再び背中に拳を叩き込む。 地面に叩きつけられた銀時は起き上がり沖田の肩に踵落としを食らわせた。
お互い飛び退る。

「ふー、やっぱ強ェなぁ、お前」

「旦那も。しかし本気は出さないんですねィ」

「そりゃお前もだろ」

新八は呆気に取られた。
本気じゃない?あれが?
人間じゃないとでも思えるタフさと強さに、新八は目を見開く。
次の瞬間にはもう戦いが再開されていた。
木刀の打ち合い。お互いにはじかれ、一歩後ろに下がる。
銀時が力任せに押し上げて、沖田はやや後ろに下がった。
ぎぎぎ、と嫌な音を立ててかち合う木刀を持ち、銀時は軽い顔で呟く。

「あのね、邪魔しないでくれる?もう連れてかないとアイツの姉さん心配してるから」

「連絡ならとっくのとうにいれましたぜィ。アンタは引っ込んでりゃよかったんだ」

嘘は言っていない。一回連絡してもかからなかったと言っていたが、次の日には連絡がとれたようだし。

「あーそういうこと言う?これでも俺だって心配してたのよ。」

「心配の仕方が尋常じゃ無ェや」

はじく。
木刀を使い慣れている銀時に比べ、日ごろ真剣を使っている沖田は少し感覚が狂う。
それでも互角に応戦しているのだからたいしたものだと思った。
今、確か沖田は10台後半だと聞いた。あれが同じ年だったならどうだろう、と銀時は考え口を半月にひん曲げる。
踏み込んで振り下ろし、受け流してはじき、開いた隙を狙って突く。が、それも紙一重でかわされる。

(もう、嫌だ)

新八はそれを見て呆然と思う。
怖かった。いつもは優しい2人が、こんなに争いあっているということが。

(怖い)

キィン!
力任せに弾き飛ばされた沖田が地面に背中から倒れこむ。
振り下ろされる木刀を体をよじって回避する。

(やめて)

起き上がったところを足払い。倒れかけて、そのまま勢いに乗ってジャンプし足元に飛んできた木刀を回避。

(やめて!)


――――涙が、こぼれた。


それを視界に捕らえた沖田が、一瞬躊躇する。
新八、と口を開きかけた瞬間、その隙を狙って銀時が沖田の木刀を弾き飛ばした。
するりと手から抜けて、遠くへ飛ばされる。

「ッ」

沖田はこれで丸腰になった。
それを確認した銀時が、木刀を高く構えて突進する。

(やばい、)

沖田が体制を整えきれず、唇をかみ締めたときだった。



「――ぁ、」

振り下ろされる木刀と自分の間に、滑り込んでくる小さな体。
それが、沖田を庇ったのだと理解したとき、目を見開いた。

「痛っ…」

銀時の力強い木刀が、新八の肩にめり込む。
見ていて痛々しいほど、それはくっきり鮮やかに入った。
そのまま、どん、と沖田の胸に体が崩れ落ちる。

「あ…」

銀時が目を見開いた。
沖田は呆然としていて、新八を抱えたまま固まっている。

「新八…?」

呆然と声をかける。
かくり、と首が傾いだ。

「新八、新八」

ゆっくりと揺さぶるが、一向に閉じた目は開かない。
銀時の手からからりと木刀が落ちた。それにまぎれるように「新八…」と小さな声が沖田の耳に届く。
尖った木刀の先が肌に入ったのか、白い肌が切れて血が出ていた。

「新八、」

そこへ、追いかけてきた神楽が塀を飛び越えて着地した。
そしてぐったりと倒れている新八を見て、目を見開く。


「新八!!!!」