かすれた、静かな嗚咽。
嗚咽というのだろうか。時折、ふと息を吸って吐くその一連の動作を。
何で泣いているのにこんなに静かなんだろう。自分だったら鼻水は出るし目は腫れるし、きっとこんなに静かに泣けない。
こんな風に、まるで水をそのまま目元に垂らした様に泣く人を他に見たことがないから、余計戸惑った。
抱きしめられたことなんて今までそんなに無かったし、第一何故沖田がこんなことをするのかさっぱり理解できなかった。

(でも、温かい)

そう、温かい。
沖田はなんとなく強引なイメージがあったから、抱きしめられる時にあんなに優しく自分を引っ張るだなんて思っていなかった。
それに、手は冷たかったからきっと体も冷たいと思っていたのだ。意に反してとても快適な温度だったが。

(あ、そうだ)

「…沖田さん、優しいんですね」

ぽつりと呟く。
沖田はその優しいの主語が良くわからなくて、さっぱりと言った風に耳元で「何が、」と呟いた。
自分が優しい?それこそ考えたことの無い言葉だ。自分が優しいのであれば死刑宣告を受けた極悪人も優しくなるではないだろうか。
けれど新八はそろりと手を動かすと、「沖田さん、どっちかの手貸してください」と言い、伸ばされた手を握る。
やはり、冷たい。

「手が冷たい人は心が温かいって言うじゃないですか。その通りですよね」

「…俺の心が温かい?嘘言うんじゃねぇや」

ゆっくりと、沖田の体が離れる。
その目にはもう涙は流れていなかった。しかし乾いた涙のあとが薄ら残っている。
それを指先で綺麗にすると、新八はにこりと笑った。

「心が温かくない人が、僕みたいな怪我人に加減して抱きつくと思いますか?」

だって沖田さんに抱きしめられた時、全然背中痛くなかったんですよ。
そう言う新八は、先ほどまで自分がされていたように沖田の頭を撫でる。
不思議な感覚だった。思っていた通り髪の毛がさらさらで、撫でるときらきらと光る。
いいなあ、綺麗な色。そう聞こえない程度の声で呟いたのに、沖田には届いたらしい。

「…アンタは、優し過ぎらァ」

撫でられると子ども扱いされたようで少し気に食わない。
沖田はそっと手を外すと、その手に口付けた。

「わっ!?」

途端に真っ赤になって新八が声を上げる。
こらこら動くんじゃねェや、傷が痛むぞ。そう言うと、上げかけていた手からゆっくり力が抜かれた。
沖田はその手を握り締める。新八の手は温かい。その温度を感じ取って、不満げな顔をした。

「やっぱ、さっきのは嘘だなァ、新八」

「え、何でですか?」

もうキスされたことなど忘れたように、新八は不思議な顔をして沖田の顔を覗き込む。
それをちらりと見てから、だってなァ、と続けた。

「手が冷たい人間の心が温かいなら、お前ェの心は冷たいってことになるじゃねぇか」

「…まあ、そうなりますね」

沖田さんの手よりは温かいですからね。
暫く何か考えていたようだが、新八ははっと目を見開くと名案が思いついたとばかりに笑顔を輝かせた。

「僕はまだ子供ですから!子供体温ですよ、うん」

「何でィ、そりゃ」

それが名案なのかと言わんばかりに沖田は呆れた顔をする。そして目を合わせて、お互いふっと吹き出した。
からからと笑いながらじゃれるように再び沖田が新八を抱きしめる。それほど強引ではなかったが、先ほどよりは少し強めだった。

「そうそう、子供体温」

「あったけぇや、子供体温」

きゃっきゃ、と可愛らしく笑う新八に愛しさを感じずにはいられなくて、沖田は新八の肩に顎を乗せて見えないように笑った。
この存在は、まるで日の光のようだと。










もう日は暮れ、すっかり外は暗くなっていた。
痛み止めの薬を貰って塗ると、本当にあまり痛みを感じなくなった。
この薬代は、と心配すれば土方からそんなもん心配するなと拳骨が飛ぶし、どうすればいいのか困る。
第一こうなったのは銀時にも責任があるわけで、

「やっぱり薬代とかいろいろ、返しますので」

「まだ言うか…」

こういうところだけはきっちりしとかないと、と頭を下げる。
げんなりした土方は煙草を灰皿で揉み消すと(何故か新八の前では煙草をすってはいけない気がする)、手で払うしぐさをした。


「こっちにだって責任はあるんだ(俺ではない、総悟総悟)、気にするな」

あんまり強い口調で言っても新八を脅かすだけだと思い口調は抑える。
新八はそれでも、とさらに続けるので、いい加減鬱陶しくなったのか土方はあー!と叫んで沖田の名を呼んだ。

「何だィ」

するとスタンバイしていたかのように隣の部屋の障子が開く。そこから見慣れた姿が出てきて、まさか、と新八は思った。
案の定土方は疲れた顔をして沖田に一言。

「こいつを連れてどっか行ってくれ。あと説得しとけ」

「命令ですかィ土方さん。やる気も半減だな〜」

だるそうに動いてはいるが、どちらにせよ沖田は新八を連れて行くつもりだったのだし。ほれ行くぜィと腕を引っ張られれば、新八はいとも簡単に部屋から出て行った。
煙草を一本取り出して再び火をつける。

『新八に惚れるんじゃねーぞ瞳孔』

急にそんな言葉が頭に浮かんできて、危うく火のまだくすぶっているマッチを足に落とすところだった。
帰り際にぽつりとあの少女がこぼした言葉。
案外あの娘は的を射ていたのかもしれない。色恋沙汰には頓着が無いのに、自分は少なからずあの少女を好いていた。
まあ明らかにライバルが多いのは目に見えているのでそこまで努力はしないが。銀時と沖田なんか解り易すぎて涙が出そうだ。
あの言葉は俺じゃなくてあいつらに言うべきだったな、と呟き、土方は煙を吐き出した。




廊下をゆったりとした速度で歩きながら、沖田は涼しい顔をして新八の手を引く。
新八は慌てて後ろをついていくが、少し怒っていた。
何故土方も沖田も自分の言うことを否定するのだろう。別に悪い話じゃないのに。

「もう!沖田さん!」

少しすねた口調で声を荒げると、ぴたりと沖田が止まった。
いきなり止まるのでつんのめってぼすりと沖田の背中にぶつかってしまう、と思ったらいつのまにか方向転換していたようで抱きすくめられた。
驚きと不満でうう、と唸ると、伸びてきた沖田の冷たい手が頬を撫でる。
伏せていた顔を上げると、月の光で髪の毛がきらきらと輝いている沖田の顔と目が合う。

「新八ィ、人の好意は素直に受け取っとかねーと評判が悪くなるぜィ?」

「なんですかそれ…」

好意も何も、新八こそ好意を示していると思っていた。
好意があるから金を出すと言っているのに。疑問ばかりが頭に浮かぶ。
すると沖田はふう、と息を吐いて新八の頬に添えた手に力を込める。そして視線を逃すことのできないように固定すると、言い聞かせるように呟いた。

「新八、あれは俺の責任だ。勿論あの銀髪の旦那にも責任はある。けど、お前ェが背負うことじゃねェ」

「でも」

「いいから聞きな。金を出すのは、せめてもの謝罪だ。謝罪にもなりきれてねェが。お前ェはそれを無下にすんのか?」

「…それは」

強い視線に猛烈に顔をうつむかせたい衝動。しかし顔は固定されていて動かない。
沖田の綺麗な瞳に、ひどく焦ったような顔をした自分が映っている。

「それは?」

反復するように言う沖田を見て、息が一瞬止まった。
ん、と息を呑み、消え入るような声で呟く。

「…すいません」

「わかりゃァいい」

ここまで真剣に真面目に諭されたら、頷くしかない。
まるで魔法にでもかかったような感覚に、新八は心臓が妙にどくどくと蠢くのを感じた。
沖田はゆっくりと手を離す。惜しむように一回頬を撫でて、冷たい手は離れていった。
顔をうつむかせたところで、心持ち顔を上げる。少し困ったような沖田の笑顔。それを見て自分も苦笑した。

「銀髪の旦那も大変だなァ。今頃チャイナに絞められてんだろうし」

「あはは、多分そうでしょうね」

一通り笑うと、乾いた笑みで見詰め合う。
月が雲に隠されて、一瞬何も見えなくなった。

「沖田さん」

「新八」

お互い名前を呼び合って、そして存在を確認。
傍にいることを理解して、またくすりと笑う。
サァァ、と雲が晴れて、再び月が現れる。きっと新八には見えていなかった。沖田が、悲しい笑みを浮かべていたことに。
これから言う、新八の台詞が読めてしまったからだ。
読めたからには、それを受け入れるしか沖田には術が無い。
新八はどこか虚空を一度見て、沖田に視線を戻した。

「…帰ります」


とろとろと見ていてこちらが苛立つほどの歩調で廊下を歩く沖田を見て、土方は首を傾げた。

「おい、総悟。アイツはどこ行ったんだ」

すると沖田は顔を上げて、ああ、と思いついたように言う。
手のひらにはハンカチ。結ばれたそれで、怪我の手当てなのだと思わせる。
それに一瞬目をやってから、沖田は歩調を速めた。
土方の近くまで歩き、少し離れたところに座る。

「おい、総悟?」

急かすようにもう一度名前を呼ぶと、沖田はけだるげに「帰りましたぜ」と呟いた。

「へえ帰ったか…てえぇぇぇぇぇ!!!?帰っちゃったのオォォ!!?」

何してんの何してんの!!!
今日神楽に新八を保護してやってほしいと言われたばかりなのにその日に帰してどうするのか。
瞳孔をより開いた土方に、うるさそうに沖田は言った。

「本人の意思だから別に困ることはありゃしませんぜィ。それより土方さんの将来が心配だ」

「よおぉぉし総悟そこに直れ!!刀の錆にしてやらあぁぁぁ!!!」

すちゃ、と刀を構えた土方に、沖田ははいはい、と返した。
立ち上がって走り逃げる。その後ろをついてくる土方にのことなどもうあまり考えていなかった。
思い出すのは新八。万事屋の近くまで送っていった、その時のこと。


『そうだ、沖田さん。手の怪我見せてください』

あ?ありゃあもう乾いたぜィ。

『いいから!血だけでも拭いておかないと」

お前ェ、律儀なやつだなァ…。

『ほらやっぱり!結構深く切れてるじゃないですか』

こんなん痛くもなんともねェや。

『そう言う問題じゃなくてですね…』

どういう問題で?

『ああもう!いいから、ほらっ』

ハンカチ?やめときな、汚れるぜィ。

『いいんです、…ってやっぱり、また切れてる!いつ怪我したんですか、もう!』

さぁ?(あの、月が雲に隠れた瞬間、つい)

『はい、できましたよ。屯所に帰ったらちゃんと消毒してくださいね』

おい、ハンカチはどうすんでィ。

『…それは、』








『また会う時、返して下さい』






神楽はソファに沈み込んでいた。
隣にいる死んだ魚の目の男は、いつもに増して死に切った魚の目をしている。
このまま放って置いたら間違いなく腐るのではないだろうかと思うほどだ。
けれどきっとこの男は死なないだろう。地の果てまでも生き延びて、そしてきっとあの少女を抱きしめるのだ。
神楽には解っていた。何故この男があの少女を追い出したのかを。

『女として意識してしまうから』だ。

最早自分が女扱いされていないのも許せる。しかし女として意識してしまうから追い出すというのは間違っている。
何かあったら自分が止める。万事屋は今や3人でないと成り立たないのだから。

「銀ちゃん」

「…あ?」

話しかければ返事の返る、この循環。
決して悲しいことではないのに、悲しいと思ってしまう。
神楽は酢昆布をかじりながら、ちらりと銀時を盗み見た。
無表情、だった。
その時、ふと定春が顔を上げた。
どうしたネ、と聞くと、嬉しそうな瞳がこちらを向く。

「銀ちゃん…」

「あー、きっとそいつは今にもウンコが出そうで興奮してるだけだ」

「違いますよ何でそう言う下品なこと思いつくんですか」


「「え、」」


ナチュラルに会話に入り込んできた、懐かしい穏やかな声。
それに反応して神楽が顔を上げる。銀時はそれより速い速度で声のしたほうへ向いていた。
そこには呆れたような表情の新八。

「新ぱっ…」

神楽が抱きつくばかりのスピードで駆け寄る。その直前に、右肩に覗く包帯を見咎めて足を止めた。
それを見た新八が、くすりと笑って神楽を抱きしめる。

「大丈夫だよ、もう」

その声の温かさと優しさに、神楽は「ふぇ」と小さく声を漏らした。
次第に聞こえてくる大きな嗚咽。

「しんぱち、しんぱち、しんぱち」

「はいはいはい」

流石にぎゅうっと抱きしめられると痛かったが、新八は顔に出さなかった。
このまま泣き止むまで、と心の中で考え、神楽の頭と背中をぽんぽんと撫でる。
そのまま顔を上げると、こちらを見る銀時と目が合った。
銀時はいかにも気にしてますというような顔でこちらを見ている。そして視線を横に流すと「あ〜…、おかえり」と言った。
新八はそれを聞いて苦笑し、はあ、とこれ見よがしにため息をつく。

「他に何か言うことは?」

「…ごめんなさい」

「よし」

相変わらず神楽は酢昆布の匂いがするし、相変わらず銀時は甘味の匂いがする。
変わらないなあ、と新八はまた笑った。

「おかえり」

言い直した銀時に、新八は笑顔を向ける。





「ただいま」