彼女の世界にはマナが軸として、そしてマナが肉として、さらにマナが皮として、全てを構成していた。彼女の生き方はとても不器用で純粋だ。汚れを知っていながら汚れることのない真白な存在。俺は彼女の中に入りたいと思うけれど、彼女にはマナしかいないから俺は皮の一部にも細胞の一部にもなることはできない。
マナというひとりの人間に育てられて、生きるということを知った彼女は、ひたすら自分の子宮を大切にする。いずれ僕も赤ちゃんが出来るんだと微笑みながら言った彼女は聖母マリア、そう呼んでも違和感の無い、やさしい表情をしていた。
彼女は愛されていたから、その愛がなくなったいま、逆に誰かを愛したいのだ。俺を愛しているといってくれるけど、彼女がマナに向けていたような愛情と似たようなもので、俺の望むものとは違う。俺は俺だけを見て愛して欲しい。俺と言う“人間”を愛そうとしないで。それじゃ俺じゃなくたっていいみたいだ。俺じゃなくても他に聞き分けの良い愛を受け止めてくれる人間なら誰でもいいみたいだ。
俺と体を重ねることだってできるくせに俺をひとりの男としてみてくれない、一種の拷問みたいな彼女の扱いにも、俺は苦笑ひとつで許してしまう。彼女のそばにいられるというだけで、彼女の愛を受けているというだけで、勝手な優越感に浸ってしまうんだ。俺は馬鹿だ。知ってる。
抱かれていながら彼女は愛していると呟く。俺の耳に直接入り込むように囁く。それがどれだけ俺の気持ちを揺さぶっているか、俺の空虚な部分を埋め尽くしているのかなんて彼女はきっと知らない。自分が誰かを愛しているという事実に溺れているだろうから。
――俺は突然わかってしまった!もし子供が出来たら、俺に愛はもうもらえない?俺のことなんてもういらなくなってしまうんではないだろうか。愛を受ける皿のような存在だった俺になりかわって、赤ん坊がその愛を一身に受ける。そうしたら俺はどうしたらいい?
だから俺はそんな俺の汚い気持ちをひたかくしにして子供なんていらないって言った。彼女は泣いて泣いてどうしてって叫んであなたも僕を愛しているのにって呟いて俯いた。
あれ、俺は何かを勘違いしてるんじゃないのかって思ったのが彼女が泣いて俺の部屋を出て行ってから。なあ俺を愛を向ける媒体としか見ていないのなら、俺の愛の言葉なんて聞かないはずじゃないか。真正面から俺の愛を受け止めてくれてるんだから、彼女が俺を見てないわけ無いじゃないか。彼女は純粋に子供が欲しかったんだ。俺との。その事実を知ったらまるで崩れるような幸せにつつまれて、俺も泣いた。俺も泣きながら彼女を追いかけて、彼女の部屋のすみっこで泣いている彼女を抱きしめて一緒に泣いて、それからまたむちゃくちゃに抱き合った。俺たちは子供みたいにお互いを愛し合っていたから。
子供みたいだったせいでこんな風に分かりづらい屈折を繰り返してしまったんだ。何度も何度もわき道にそれて今ようやく交わったんだ。なあ俺たちに子供できたらなんて名前つけようか。俺とお前から1文字ずつ取る?どこかの、あまりメジャーじゃない国の言葉で愛っていう意味の名前にでもしてみる?子供ができたら一緒にどこか遠いところに行こう、それで、3人で川の字になって眠ろうよ。川の字って知ってるか、親の間に子供挟んで眠るんだって、それがしあわせの象徴なんだって、嗚呼。
そんな他愛ない話をして、そして彼女は笑う。笑う。あまりの幸せで死んでしまいそうと、泣きながら。
|