たったったらららった、と妙に軽快なリズムが流れてきて、誘われるように視線を向ける。古びたテレビに映し出されたきれいな顔は、最近売り出し中のアイドルだと聞いた。
 ずるるるー、と音がして、今度はそちらに視線を向ける。他称、がっかり王子、だったっけ。と口にすると恐らく彼が決して良い顔をしないというのはわかったから、同じく自分も麺をすすった。やや細めの麺をすするとほどよい辛みが口に広がる。スープをもっと味わいたかったけれど、かえだま、というのをするためにはスープを残しておかなければならないのだと隣の彼が言った。

「ていうかさ」

 何の話もしていなかったにも関わらずその切り出し方ってふしぎ。とは、やはり口にせずに隣を見る。彼はちょうど麺を食べ終えたらしく、わたしと同じく不思議そうにこちらを見ていた。

「俺、まさかりせちーがついて来てくれるなんて思ってなかったよ」

「え、なんで?」

 食べながら口を開くのはみっともないと言われたのでおとなしく噛み終えてから、聞く。愛家に行こうと誘われたのは、昨日の放課後だった。昨日はお店の仕込みがあるからだめと断って、明日ならいいよと言ったのはわたしだ。

「だって、だいたい一人で帰るか断るか『みんなと』行くって言うじゃん。嬉しいけど」

「もしかして、付き合い悪いと思われてるのかなあ、わたし」

「いや、そういうわけじゃねーよ。ただ珍しいなって」

 めずらしい。確かに、そうかもしれない。いつもは、花村先輩とどこかに出かける、なんてことはしない。もうスキャンダルだのなんだの騒がれなくなった今は、誰と出かけても構わないだろうけれど、なんとなく敬遠してしまう。
 ただひとり、あのひとを除いて。

「そういえば、せんぱいは?」

「あいつ?」

 替え玉ひとつ、りせちーは?との問いにわたしも、と返してから問いかけると、きょとんと丸まった目がこちらを見た。なるほど、しゃべらないと、かっこいいかもしれない。でも、面と向かってこの先輩にかっこいいなんて言うことはたぶんないし、この先輩もそんなことを言われるのを、望んではいないと思う。

「バイトだってよ。忙しいよなあ、あいつも。戦闘のリーダーだけじゃなくてあちこちバイトかけもちしてさ、体壊れねえかってな。いつ聞いても平気って言うけど」

「花村先輩も、忙しいじゃない。ジュネスとか」

 このひとが商店街に来たがらないのだというのは、せんぱいから聞いた。いろいろ事情があって、と言った一呼吸ののち、実は、と教えてくれたのだ。
 この商店街は、なにもなくて、でもたまに思いやりがあって、でもたまに思いやりも何もない。だから、目の前にいるこのひとが傷ついたことだってあるだろう。だからこそ、今日の誘いは不思議だった。そしてそれに乗っかった自分も。
 もしかすると、せんぱいの話が聞けるかも、と思ったのかな、わたし。そう考えるとなんとなく、しっくりというか、うんうん思える。花村先輩は、ははっと軽く笑い飛ばした。

「俺は別に。かけもちってわけじゃないしな。ま、時給下げられてるのはちょっと大変だけど」

「ふぅん」

 たたたたったらったら、とまた音楽が聞こえて、でももう一度テレビを見る気にはなれなかった。代わりに別のところへ耳をすますと、中華鍋を振る音と、野菜が焼ける音がする。

「りせちーさ」

「え?」

 替え玉が運ばれてきて、残ったスープの中に入れられた。ラーメン専門店じゃないのに替え玉があるということは、なんだか、めずらしいらしい。太るなあ、と思うけれど、もう誰に遠慮するわけでもなし、少し運動すればいいや、と思ったら、いくらでも食べられた。

「あいつがいたほうが、いい?」

 彼はおもむろに、言う。わたしは、麺をすくっていた箸をとめる。途端に耳に入ってくるのは、まずあの軽快なリズム。それから意識をそらして、鍋の音をひろう。

「……それって、どういう意味?」

 箸を置いて、つぶやいた。言葉の通りだけど、と悪びれる様子もなく彼が続ける。このひとのふまじめなところをたくさん見てきたし、まじめなところも見てきた。彼がまじめなときはなんとなく、おしりのあたりが落ちつかない。

「言葉の通りだけど。りせちー、あいつがいると楽しそうだからさ」

「ラーメン、おいしいよ?」

「いや、そうじゃなくてね?」

 ずぞぞぞっ、と音を立てて麺をすする。それから、噛みながらわたしを見る。濃いスープのにおいがする。彼はなんだか困ったような顔をして、せんぱいと同じように優しい顔でわたしを見た。

「別に俺を好きになってってわけじゃないんだけど、あいつのこと好きなんだなーって」

 思ったわけですよ、俺は。
 そう続けると、またずぞぞぞっ。わたしも、倣って麺をすすった。おしりのあたりが落ちつかないけれど、おなかがまだここにいたがる。
 ラーメンは、おいしい。

 おいしいラーメンを二杯食べ終えて、愛家を出たのは夕方だった。というより、もうほとんど夜だった。
 花村先輩は静かに会計を終えて店を出て、付き合ってくれてありがとな、と笑った。

「たのしかった」

「うん。また皆で行こうぜ」

「……花村先輩」

「なんていうか、あれだよな、りせちーは。いい子」

 また軽く笑った先輩が、手を伸ばす。その影が一瞬、せんぱいと重なった。避けるでもなく、その手を眩しく見つめていると、額に触れるその瞬間に手が離れて行く。ぐっ、ぱー。わざとらしくにぎって開いた手が、離れて行く。
 お店の前まで送ってくれた先輩は、これといって発展のない話を続けていた。送ってくれたのだからとお豆腐を用意しようと思ったら、そういえば彼は豆腐が嫌いだったのだと思いいたる。手を振って去っていくそのひとを見送りながら、口の中に残る味を呑みこんだ。
 頭を、なでなかったのはなぜだろう。わたしがいい子って、なんだろう。聞き分けのいいこどもか、話を流せるおとなか、そのどちらかか、あるいはその両方なのか。いい子の定義、ってなんだろう。わたしの中のそれと、先輩の中にあるそれは違う。なでられかけた頭を自分で触ると、頭の中にせんぱいの背が浮かぶ。一度だけ、なでられたことがある。先輩じゃなくて、せんぱい。よくやった、って。
 そのときせんぱいも、わたしのことを、いい子と思ったんだろうか。
 いい子って、なに?聞き分けもよくて、話も流せるのなら、わたしはせんぱいにとってのいい子でいられる?

 それでも、わたしははんぶんこどもだから、頷けない話に衝突する。せんぱいの気持ちがどこにあるのか、誰にあるのかを認めないで、ひたすら横に首をふる。
 けれどわたしははんぶんおとなだから、あのひとがわたしをその誰かのように見ることもないと、よくわかっている。
 それでもときどき手を伸ばしたくなるのだ。あのひとはわたしを欲しがらないとわかっているのに。






#058


ジレンマ、


アポリア、


パラドクス









20120111