「あいしてる」
あいしてるって、なんだ?
「あなたのことを、あいしてる」
あいするって、どうやって?
「あなたとずっと、一緒にいたい」
ぼくは、よくわからない。
エリート、って、なんだろうな。
禁煙しようと心に決めたのが二カ月ほど前で、今日では五度目。このみの味、というのがわからなくてあらゆる種類を試したけれど、結局どれでもよくて一番安いやつを買った。
引越しの準備はとりあえず今日の晩するとして、諸々の経費はどうしよう。多少の手当ては出ると言われたがそんなものは気休めで、ほとんど自腹を切るに違いない。第一なんで社員寮とか社宅とか、そういったものがないんだ。などと考えるほど馬鹿ではなくて、田舎だからそういったものがほとんどないのだということはわかっていた。
とは言ってもどうせものぐさ男の一人暮らし、持ちだす荷物はほとんどなく、住むスペースは寝る場所さえ確保できればほとんどどうでもいい。ので、引越しに対してさほど憂いはない。憂うべきなのは、エリート道一直線!と言われていたこの僕が、よりにもよってコンビニすら満足にないような片田舎に、ほぼ左遷と同然で異動させられたことだ。
何が原因か自分でも満足にわかっていないのに、本当、エリートってなんだったんだろうなあ。仕事に関しては、可もなく不可もなくだと自分では思っている。まあその原因がわかったところで異動の事実は変わらないのだから、貴重な時間を頭を巡らせるなんてことに充てないでもっと得なことを考えたい。
八十稲羽は、一度だけ行った。今どき珍しい本気のド田舎で、本当にコンビニがない。電車の本数だって限られていて、おまけにちょっといい買い物がしたいとなったら沖奈のほうまで出向かないといけない。最近できたジュネスとやらはそれなりに買い物ができるけど、商店街ではジュネスのせいでジュネスのせいでと陰気くさくて通りたいのに通れない。通るけど。
なーんか、想像と違ったな、田舎。
なんというか僕の想像では、ちょっとすれ違っただけで優しく挨拶してくれたり、食事に困っていたらおすそ分けしてもらったり、子供は今どきめずらしくベーゴマなんかしちゃったり、髪染めてる人がほとんどいなかったり、とか。とか。
そういうのは一切、なかった。商店街を通ったら普段は見ない人がいるとばかりにじろじろ見られたし、髪の毛を茶色どころか金色に染めてる人もいたし(でも金髪は逆にダサいという風潮もあるのはさておく)、子供は皆ゲームしてたし、高そうなおもちゃで遊んでいた。
微妙。超微妙、スッゴク微妙。なーんもかんも、中途半端。しかも、面倒臭い方向に田舎。自分の持ってるいいところが省かれて、悪いところだけ具現化したような。
でも、今は都会もいやだったから、まあしょうがないか、だけで済んだ。以前の僕だったらもっとこう、イヤだー!とか、言っていたかもしれない。
都会は、面倒だ。いやにごみごみしてて、人ばかり溢れていて、そのくせ皆お互いに無関心で、でもたまにひどく執着する。純粋な気持ちで接してくる人間なんていないし、いたと思ったらそれは演技だったりする。
常に裏切りを抱え込んだその腹、顔は、視界に入れたくなかった。
だってエリート一直線、の道から外れた僕はどうやら価値がなくなったらしく、いとも簡単に捨てられたから。
「別れましょう」
理由ナシ。原因ナシ。せめて最後くらい偽るなよと言いたくなる。あなたが優しすぎるからとかそーいうのはいいの。
エリートから外れたからでしょ?びっみょーな片田舎に飛ばされたからでしょ?この都会で適度にお金くれてゆるいお付き合いできる人なら別に俺じゃなくても良かったよね?
などと、言うのは、我慢した。
我慢したと言うより、もうその一言を言われた瞬間なーんだこいつも、と思って、何も言えなかった、のが正解。言えなかったし言わなかった。あいしてるとか、そういう意味のわからない言葉も、ぜーんぶ嘘。たぶん嘘。というか嘘。イイ子ちゃんでゆるいお付き合いのできる財布を手放したくないからこそ口からポンポン出た嘘。自分の利益のためには、嘘をつくこともいとわない、嘘だらけの人間。
どこに行っても、そんなやつばかりだ。都会も田舎も、関係ない。一見違うように見えて、実は薄皮一枚剥がせばたいして中身は変わらない。外見を剥いで、中を見れば、ああなんだこいつもかと、いつもいつも思わされる。
そして僕の薄皮を剥がせばやはり、たいしたことのないものが現れるのだろう。
「あー」
煙草、おいしくない。おいしいなんて思ったこと一度もないけど。でもまずいと思ったこともないけど。
灰皿に押しつけて揉み消して、溜め水の中に放り込む。ポイ捨てはさすがに、曲がりなりにも刑事なので、一応しないでおいた。
今日の晩ご飯、何にするかな。どうせ近所のスーパーで卵とキャベツとスープの素が安売りしてるから、それでしばらく煮込むか野菜炒めを作るかでなんとかしよう。ああでも引っ越すんなら台所用品も一応詰めないといけないから、外食?は、お金がかかるけど、持ち帰りの牛丼とかにすれば問題はないかも。と思っていたらねぎがたっぷり載って一味を振りかけた牛丼が食べたくなった。人と違って、食べ物はほとんど裏切らないのがうれしい。
さて、この夕日とも、しばらくお別れ。八十稲羽で、なにかいいことあるといいなあー……なんてことはごくたまに考えるけど、考えたところでそうなるわけでもなし。
ざわざわとやかましい人ごみの中に入り込む。そうするとなんだか自分がくだらない人間の一人に溶け込んだのだと知って、なんとなく気持ち悪いような、安心するような。安心って、変か。
「さよーなら」
ああほんっと、クソみたいな世の中だなあ。
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