ふと安心したように、気が抜ける。自分はここにいてもいいのだと、なんとなく思う。もう少しであなたはどこかへ行ってしまうのに、ずっと一緒にいられる気がする。そんなはずはないのだと頭の中で誰かが囁いて、胸の中が寒くなる。人間はやがて老いて死ぬのだと理解したときの気持ちのように、おなかのあたりがすっと冷える。そうして全ての欲が飛び、とてつもない焦燥感に駆られる。このまま眠りについて、また何もなかったかのように朝を迎えていいのかと、何かに駆り立てられる。気付くと転がしていた体を起こし、なにか震える胸を抑え、乾いた口の中を唾で潤し、立ち上がる。

 でも、何をしたって意味はないじゃないか。ここで立ち上がって仮に何かを起こしたとしても、あなたはどこかへ行ってしまうし、僕は老いて死んでしまうし、いずれ耐えきれなくて寝てしまうし、等しく朝は来てしまう。人間とは、あまりにも不条理であまりにもかわいそうだ。かわいそうな生きものだから、せめて楽しく死ねるようにと、こんなにも長い寿命を与えられているんだ。
 などと、考えてみても、所詮は勝手な考えで、人間の一生を誰が決めてこうしたという事実はない。神話や宗教の話でこれをこうしたのは誰だとか、誰かが決めてこれがこうなったとかはあるが、実際に確認をすることはできないのだ。だから考えても、意味はない。誰がこんなことを決めたのだという質問に誰も本当の答えは返せない。

 あなたは、寝ている。すっかり疲れてしまって、寝入っている。目の前で、誰に寝首をかかれるかもわからないのに、ほんのりと口を開いて眠っている。きっとここで何か泣き声のひとつでもあげれば、あなたはすっかり驚いて、すっかり起きてしまう。そうしてなぜ僕が悲しんでいるのかを心底不思議がったあと、心底慰めてくるにちがいない。あなたは、やさしいから、ときどき残酷だ。どうせ置いていってしまうのだから、いっそ冷たくしてほしい。うそだ。冷たくされるのはいやだ。本当はしてほしいことがたくさんあって、そのひとつひとつをあなたに言って、そのすべてを叶えてほしいけれど、そうすることがかなわないから僕はただ黙って、泣くのもこらえている。泣くのをこらえるのはあなたを悲しませたくないから、動揺させたくないからだという、立派な名分をつくりあげて、自分のすることを正当化しようとしている。僕は人間だから。

 結局のところ僕は、あなたと離れたくないだけだ。






#070


ゆううつなひずみ







20120110