「僕はもしかすると神田が好きなのかもしれません」
「…ハア?」、それが第一声だった。
関わることを放棄しようと全身から突き放す“気”を放出していたにも関わらず、全く何も感じていないかのように飄々と近づいてくる銀の悪魔。
悪魔と言っても差し支えは無いだろう。この男は、悪魔だ。何もわかっていない赤子のようなふりをして、俺を誑かそうとする悪魔。唆そうとする悪魔。これが俺の仲間に部類される人間なのだと聞かされると吐き気で倒れそうだ。
第一何故そんな話題に発展したのかちっともわからない。悪魔はコツコツと革靴の底を鳴らせながら歩いて、一歩また一歩と近づいてくる。俺との僅かな隙間を生めるように。突き放すべきだと本能が危険信号を発しているのに、俺には逃げる場所が無い。詰められたかのような壁。悪魔が瞬く。
近づく、ぎん、いろ、が、
「ねえ神田、僕は君のことが好きなようですよ」
「もう黙れよお前」
「いやです。神田が何かしらのアクションを返してくれない限り」
「誰が返すかよ…」馬鹿じゃねぇのお前、と呟いた。
お前、俺をからかうのもいいかげんにしろよと低い声で怒鳴れば、悪魔はからかっているわけでも嘘をついているわけでもない、とのたまった。「冗談でこんな寒い台詞が吐ける人間がいるとするならば僕はその人を尊敬します」ならお前はとんだナルシストだなと言えば馬鹿じゃないんですか神田?と返される。
鬱陶しいと、いま一度怒鳴るべきだっただろうか。ぐらぐらと足元がおぼつかない。均一な天秤に急に重しがのせられたかのようなアンバランスさに、吐き気がいつになっても治まらない。悪魔がくすくすと笑う。俺が苦しんでいるさまを楽しんでみているのだとすれば、今度はとんだサディストだ。
「ねえ神田、僕は君が好きなんですよ」
「ああそうかよ」
「返事してよ、神田」
「してるじゃねぇか、」
そんな返事じゃ無いと、畳み掛けるように呟かれた言葉に半ば絶句しつつ、俺は視線をそらした。悪魔の目線が、俺を捕らえて離さない。このままでは魂が持っていかれると錯覚がおきそうなほどに。この世界に、俺と悪魔しかいないのではないかと思われるほどの静かな空間で、ぴたりと革靴の音が、止まった。
「神田」
ぎんいろ。近づく、透明で鮮明な色に、俺は、一種の眩暈すら、起きて、
「神田、僕は君のことが好き」
「おれは、」
なあ俺は何故切り捨てない?何故お前のことなんか歯牙にかけてすらいないと、どうして吐き捨てない?言葉遊びはもう沢山だ。取り返しのつかなくなる前に俺はお前を切り捨てるべきなのに、唇がどうして動かない、俺はお前が嫌いだ、嫌いだ、嫌いだ、だからもう俺を見るな、俺に近づくな俺に話しかけるなと、どうしていえない?ああそうだこいつが悪魔だからだ。俺の言葉を封じる、悪魔だから、
「かんだ」
俺を壊すな俺を汚すな俺を唆すな誑かすな。息が触れ合うほどの距離まで近づいた銀色に、俺は何も言えず口を閉じた。悪魔の囁きが、耳から離れない。なんて強力な魔力。いつまでたっても離れない。
『僕はもしかすると神田が好きなのかもしれません』
|