宇宙人未来人超能力者、果ては神様まで身の回りに現れて、全く俺は何てモンに巻き込まれてしまったんだとひどく自分の人生を悲観した。
しかし、変なモノには変なモノが寄って来る、というのは本当だったんだな。しみじみとそんなことを思いながら、ポケットから取り出した紙を横にあった椅子に張る。
ぼう、と浮かび上がった白い炎の中心が、黒く淀んでいく。そのままじいっと目を凝らしていると、その黒い淀みは人へと姿を変えていった。向こうの景色が透けるほどの透明な白い炎に包まれた、黒い体。その瞳が、悲しそうに俺を睨んでいる。

「俺を睨んでくれるな。仕事なんだ」

貼り付けていた札がちりちりと音を立てた。この札を焼こうとしているのだろう。焼けるほどの力を持っているということは、それなりに強いということだ。面倒だな、と思いながら両手を合わせ、軽く組んで握り、右手の人差し指と中指を立てる。ちりちりとした音が止んだ。

「抵抗するならすぐ消す。理由があって成仏できないなら手伝う。とりあえず何か喋ってくれ」

俺が念で縛っている限り、こいつは動けない。このまま消してしまうのも簡単だが、理由があってこの世に残っているんだったら出来る限り助けてやりたい。自分のこういう中途半端な同情が不評を買うのだが、俺は俺なりのやり方でやっていて、かつ満足しているのだから別にいい。
黒い影は強く寄せていた眉をハの字に歪めると、悲しそうに目を細めた。

『本の続きが読みたかったの』

俺より一回りほど小さく、長門のような眼鏡をかけた少女。白い炎が不安定に揺らめき、俺の体に纏わりつくように伸びる。うーん、本の続きが読みたかった、ねえ。その気持ちはわからんでもないが、俺の体を支配しようなんてことは考えちゃ駄目だぞ。組んでいた手を思い切り強く組み直し、念を強める。ひん、と悲しそうな声を上げて白い炎が離れていった。
今更だがここは文芸部室である。ハルヒが何か言ってたかな、うちの学校の七不思議のひとつが、文芸部室の幽霊だとか。あいつは確かめた、けどいなかった、と言っていたが、どうやら本当だったようだ。目の前にいるのはまごう事なき文芸部室の幽霊である。

「……その本のタイトルは?探してきてやる」

少女はしゃくりあげながら、よくわからん横文字のタイトルを口にした。いつ死んだのかはわからんが、改定された俺たちの制服と同じものであるからして、そう昔に死んだ霊、というわけではなさそうだ。
わかった待ってろよ、と釘を刺し、念のため札をもう一枚貼っておく。もしかするとうわべだけで、俺を騙して逃げる可能性もあるからだ。というより何よりこいつの座っている椅子は普段長門が使っているパイプ椅子であり、長いこととりつかれていると色々不都合が生じる(主に俺の精神に)。
少女はこくりと頷き、白い炎をゆらめかせた。



タイミングよく三限目の授業終了を知らせるチャイムが鳴る。授業をサボったことをハルヒがどう言うかはわからないが、体調が悪かったとでも言っておけばいいだろう。俺は時折不穏な気配を感じては、こうして授業をサボり、幽霊を退治している。
もうお分かりだろうが、俺はただの人間じゃない。とは言っても、宇宙人未来人超能力者なんて科学的な響きは一切なく、俺の身の回りには俺の同士のようなものは一切いないし組織も無い。親だって普通の人間だ。

小さい頃の俺は子供ながらに霊力が高く、道端に死んだ地縛霊を見つけては引き込まれていたようだ。そのたびに助けてくれたのが、今は亡き祖父である。俺は祖父の能力を濃く引き継いだらしく、親にはちっとも残っていない霊力を搾り取ったかのように強かった。そのため面倒なことには巻き込まれがちで、また、俺の守護霊もそういった面倒ごとに自ら首を突っ込むような破天荒な霊らしい。俺の天命もそうらしく、ハルヒの無鉄砲な行動に俺が参加するのは半ば運命と言っても差し支えなかった。
ちなみに俺の能力について、長門以外は誰も知らない。中学時代に多少能力が露呈しかけたことはあるが、生きていた祖父に力を借りてうまくごまかした。朝比奈さんも古泉も何も言わないから、俺の能力は今のところバレていないのだろう。長門にバレてしまうのは仕方ない、隠しおおせたと思ってもあいつの目が届かない場所なんて無いんだ。一応言っておくが、俺は能力を除けば本当にただの人間なのだから。

廊下の先に立っていた少女が顔を上げ、俺を見た。ざっくばらんなショートカットがやや揺れ、会釈でもしたのかと考える。近寄ってきた細い体は、やはり俺の目の前で立ち止まった。

「長門。部室に行くのか?」

「そう」

「そうか、ちょうど良かった。いつもお前が使ってるパイプ椅子な、今は使わないでくれ。ついでに触らないでいてくれると助かる」

「わかった」

あ、それからな、と呟き、あの少女が言っていた横文字のタイトルを口にして、知ってるかと問いかける。

「持っている」

長門はなんでもないように言ったかと思うと、手に持っていた本を俺に見せた。
見たことが無いごつごつとした本で、紙に至っては日に焼けてボロボロだ。しかしそこに記された英語は恐らく、あの少女が口にしていたものと同じなのだろう。
もしや長門はあの会話を聞いていて、そして持ってきてくれたのかもしれない。

「借りてもいいか?」

「構わない」

長門から本を受け取ると、俺の手に確かな重量がかかった。なかなか重たい本だ。ためしに捲って見たが、ページ数が多い。どこにでもありそうな文庫本を三冊重ねたくらいの多さだ。あー読むの時間かかりそうだなあこれ。しかしあの子が本を読み終わらなければ成仏しないというのなら我慢しよう。というわけで、俺はあの子が本を読み終わるまで、札を貼った椅子と本をどこかに保管しなければいけない。今のまま文芸部室に置いておくとうっかり誰かが触りかねないし、札を剥されると色々面倒だし(そもそも札について何か聞かれるのが面倒)、本を誰かが取ってしまえばあの子が読めない。うーん、家まで持って帰るのは面倒だな。
ちらりと視線を下げると、長門が俺を見上げていた。そう言えばお礼を言い忘れていたなと思い、「ありがとうな、長門」と言って艶やかな髪を撫でる。しばらくされるがままだった長門は、そっと俺を見上げて呟いた。

「椅子と本はわたしが保管する。心配する必要はない」

心を読んだのかと思うようなタイミング。いや、実際に読んだのかもしれない。しかし別に俺はどうでもよかったし、長門の提案は俺にとっても助かることだったし、俺は再びありがとうな、と口にした。





ありがとう。ありがとう。ずっと読みたかったの。ずっと楽しみにしていたの。そう言って透けた腕に本を抱え込んだ少女は、すうっと消えていった。
スローモーションで椅子の上に本が落ち、白い炎がちらちらと翳りながら消火していく。ぷつんと音を立てて、場が一気に静寂に満ちた。
さっきまで部屋に充満していた、少女の不満や欲求、その他諸々のフラストレーションが消えたせいか、俺の肩に圧し掛かっていた彼女の思念の残滓も残らず消えた。
どうやら少女の未練は解消できたらしい。後は本を読み終わるまで待つだけだ。幽霊とは言っても元は人間なのだから、本を読むスピードだって常人のそれと何ら変わりは無い。まあ何ものにも縛られていないぶん、時間はたっぷりあるだろうが。一日もあれば読めるかな。
椅子と本にまとめて数珠を巻きつけ、長門に渡す。今はあの少女がいないだろうから、こうして数珠で軽い結界を作る。そうしたら長門が触っても構わないようになるのだ。頭の中にそういったシステムは入っているのだが、人に説明しようとなると難しい。
畳んだパイプ椅子と重たい本を、まるで爪楊枝でも持っているかのような表情で持ち上げた長門は俺に背を向けた。

「帰るのか?」

「帰る」

あくまで必要最低限しか喋らない長門は、そう言って足音も立てずにドアまで歩いていく。誰かが来る前に帰らなければ不自然だと長門が判断したのだろう。ありがとうなと素直に口にすると、いい、と簡潔に返される。長門は、やさしいな。
そこで四限目の授業が終わりを告げた。うわあ、時間が経つのって早いな。二時間もサボってしまった、と半ばどうでもいいように考えながら、とりあえず昼飯でも食べるかと鞄を探る。

長門が出て二分くらい経った頃だろうか、蹴破るみたいにドアが開いた。「あー暑い暑い!暑くって仕方が無いわ!」そんなにたいして暑い日でもないのに、大げさに叫びながらハルヒがドアを閉める。がちゃん、と蝶番の軋む音がした。年代モノなんだからもうちょっと優しく扱ってやれよ。つくも神が怒るぞ。いや、そのドアには憑いてないけど。

「あら?有希は?」

長い袖を捲くって俺を見たハルヒは、部室の置物と化している長門が昼休みにここにいないことに不思議を感じたらしい。帰った、と言うと、帰ったの?どうして?と心配げな声を出す。
いつもハルヒは昼になると出て行くが、部室に寄ってたりもしてたのか。そんで、昼飯ついでに長門と話とか、してたのかもしれない。パソコンの電源を入れながらハルヒが眉を寄せる。俺は知らん、と言うのが精一杯だった。

「ていうかあんた、二時間もどうしたのよ。先生怒ってたわよ」

「まじか。いや、体調悪いから休んでた」

「じゃあ保健室行きなさいよ!」

そもそもそんなに顔色悪くないじゃないと言われてしまえば反論はできない。机の上に広げていた弁当を片付け、素直に部室から出ることにした。

「あら」

背後から聞こえたハルヒの声に振り返ると、ハルヒはいつも長門が座っているスペースを見つめてから俺に視線を移す。くりくりとした丸い目に見つめられてたじろぐと、鋭い眼光が俺を射抜いた、気がした。ハルヒは意識していないだろうが、こいつの生命エネルギーは半端じゃない。オーラになって見えるくらいだ。そんなに強い力のそばにいると、俺の力も増幅してしまう。せっかく必死にコントロールしているのにこれ以上増幅すると困るので、さっと視線を軽くそらした。

「あんた、有希が座ってた椅子知らない?」

長門が持って帰ったよ。その言葉は飲み込んで、俺は小さく呟く。

「さあ」