ここ最近、ハルヒの命令で走り回ったり、なぜか部室に寄り付こうとする霊を取っ払ったり、依頼で除霊なんかしたり、そのせいで寝れなかったりと、まあ端的に言えば調子が良くなかった。
あ。やばい。と、そう思った。
というか、眠たかった。そりゃそうだ、俺はれっきとした健康男子であり、学校に行くだけでも大変なエネルギーを消耗するというのに加えてハルヒの雑用、生命エネルギーを消費する除霊なんかしてたら体がもたないに決まってるだろ。
眠たい気持ちをなんとか押さえ込んで、授業中には札を作っていた。本当はもうちょっと静かな、精神統一できる部屋で、清めた水で作った墨汁で、あとできれば加護のある清めた筆で(なんかの動物の毛を使ってるらしいが忘れた)、そんで和紙か半紙に書くものなんだが、家にあるものも残り少ないし、おまけに調達が激しく面倒臭い。
ようは札を作る人間の力の大きさで札の効力も変わる。インクだけ清水墨汁に変えたペンで、縦十センチ横四センチの紙にさらさらと書き込んでいく。
後ろのハルヒは寝ているから見られる可能性はないし、横の席の奴らからは見えないような死角で書いているからまず見られることはない。
書いた文字が乾くまで待ち、乾いてから指先をあて、念を送り込んだ。あー、眠い。えー、呪文となえながら念こめるんだったっけ。うんたらかんたら……ああ。じいさん、もっと簡単に札作る方法教えてくれればよかったのに…て、これも十分簡単か。
札を三枚ほど作って、疲れたから教科書の下に隠して寝ることにした。六限目ともあって、俺だけじゃない、皆ボーッとして頭をコクコク上下させている。当てられても責められはしないだろう。ああ眠い、とまた心の中で呟いて、瞼を閉じた。
閉じた瞬間チャイムが鳴った。
チクショー!と思いつつ顔を上げる。さすがにもう数ヶ月も同じ体験をしてきた教科担任は、眠っている生徒を起こすことなく、寝ぼけ眼の委員長の挨拶で礼をして教室から出て行く。大人は何事も諦めるのが早い、というが、あの人も例に漏れず、授業開始ですぐ眠る生徒たちに説得するのを諦めた。
ハルヒが眠っているうちに。鞄を机の上に置き、すぐに製作した札をねじりこむ。多少皺がよったって気にしない。筆箱と宿題が出ていたノートをおまけで入れたら、岡部が入ってきて帰りのホームルームが始まった。
しかし、眠い。そんでちょっと肌寒い。生命エネルギーが減っているせいだ。これは人間なら誰でも経験したことがある、風邪と似たような症状をもたらす。いかん、ていうかこれは、風邪だ。生命エネルギーうんぬんと難しい言葉で説明するより風邪と端的に言ったほうが楽に決まってる。風邪だ…。何度も言ったところで意味はないけど。
眠いのと足して風邪っつうのはなかなかに面倒なもので、ホームルームが終わって真っ先に教室を出て行ったハルヒを追いかける足もおぼつかない。ふらふらと部室棟まで歩いていると、突然強い生命エネルギーを察知して振り返った。
「……こいずみ?」
立っていたのは古泉だ。
意思の強そうなきりりとした眉、切れ目なのに優しい印象を与える瞳、釣りあがった唇、なんか見ててイライラするような顔だが、今はなんだか違和感を感じる。いつものイライラに増して、もっと嫌悪感の強い不快感、というか。
「…あ……?」
頭がボーッとしてくる。やべ、熱が回ってきた。古泉が目の前に立っていて、なんだかふらふらと左右に揺れる。違う、揺れてるのは俺じゃねえかよ……、と。
そこまで考えたのはいいのだが、そこでブツリと意識が途切れた。
体を何かが這いずり回っている気がする。
えーと、なんだこれ。覚えがあるぞ。昔じいさんと山奥で精神修行してたときの……、あー、樹海だったから、自殺してねちこく世に残っている霊たちが俺の生命エネルギーを狙ってきて、俺もまだ未熟だったし、そんで体に触られて…べたべた触られたんだったっけかな。実体化できるくらい強い怨念を持ってる奴らで。で、その後が大変だったんだ、じいさんに散々未熟者とかのーたりんとか罵られて……いや、うん?
今何故その話を思い出さなければいけない?
そりゃ、体を誰かに触られているからだ。
ぱっと視界が開いた。
白い天井と、茶色い何かが視界に映る。うえ、気持ち悪い。ぐるぐると体の中に熱が回って、吐き気までしてきた。
体に、人の手のようなものがぺたぺたと張り付いているのがわかる。しばらくぼうっとしていたが、視線を下ろし、俺は愕然とした。
「――古泉、お前なにしてる!」
起き上がろうとしたのに、気持ち悪くてすぐに倒れこむ。
背中の柔らかい感触に驚いた。ということは、どうやらここはベッドらしい。つまり、保健室、か。間違いなく運んだのはこいつだろうが、しかし何故こんなことを。女の子のように膨らんだものがあるわけでもないのに、執拗に胸や腹に触れてくる。
おっぱいフェチだったんだろうかと冷めた頭で考えていると、不意に古泉が顔を上げた。
「………こいずみ?」
ぎらぎらと、飢えた獣のような表情。唐突に悟った――、俺はバカか!いれものは古泉でも、中身が違う。明らかな負のオーラが体中に纏わりついているというのに。
風邪のせいだな、と自分に言い訳して、古泉の肩を押した。なんだなんだ。おっぱいフェチの幽霊が学校にいたとでもいうのか。どんだけ飢えてんだ。古泉という入れ物を借りたんなら、どんな女子だってより取り見取りだろうに。何故こんな、やわらかいモノがついてないどころか女子でもない俺を狙っているのか。貧乳が好きなのか。ねーよ。
「待て、まずは落ち着け。このまま手を止めたら、言い訳を聞いてやらんでもない。これ以上続ける気なら俺は問答無用でお前を消す」
ひた、と肩に当てた手に、わかりやすいように念をこめる。言うなれば静電気のような感覚が相手に走ったはずだ。
古泉(じゃないけど)は大きく肩を震わせ、俺から離れた。その顔が悲しそうなのは何故だ。ていうか泣きそうだ。悲しい顔をしたいのはこっちだ。何故(いれものだけだが)知人から無い胸揉まれにゃならん。
しゃくりあげるように鼻を鳴らせた古泉が、本当に泣き出した。
「ぼく、ゲイなんです」
うおおおおい俺が泣きたいよ!
しかも普段顔を近づけてくる古泉の顔で言われるといやにリアルに感じて、俺は口を中途半端に開いたまま固まった。「引かないでください!」即座に懇願の声が飛ぶが、いや引いたっていうかリアルさに驚いてたっていうか。
ゲイならゲイで、まあそういう人間もいるんだからそういう霊がいたって別に構やしないだろう。続く言葉を待っていると、古泉はぐしぐしと涙を拭いながら口を開いた。
「ぼく、好きな人がいて。だけど、ゲイなんて気持ち悪いって言われちゃうと思って、告白できなかったんです。そのまま……」
ベタにベタを重ねたようなベタな展開だな。最早テンプレと言ってもいい。
そこまでのテンプレは逆に珍しいぞ、王道だ。喜べ古泉少年よ。俺が心の中でそんな悟りを開いていると、古泉はぐしぐしと泣きながら俺の胸に倒れこんできた。こら、勝手なことするんじゃない。
「で、どうして俺を襲うんだ?生命エネルギーをとるためか?それか、好きだった人が俺に似てたとでも?」
体を突き放すのもよかったが、そうする元気が無い上に、こういう感情的なタイプは逆上したときが怖いから、俺は黙って古泉の頭をぽんぽんと叩いた。
しかしこれで男なら誰でもよかったなんて言われた日には、俺は残り少ない活力を振り絞ってこの幽霊を抹消させてみせる。と思う。
「ぼく、は」
ていうかそもそもこいつは北高生なんだろうか。着ている服(思い入れの強いものや生前よく使っていたものは霊体に反映されるらしい)を見ようにも古泉の体を借りているから本体が見えない。しかし、保健室に連れてくることができたということはこの校舎を知っていたことになる。古泉の体に憑いたのは恐らく今日のことだろう。昨日は古泉も普通だったし。
それか、死んですぐに学校の生命エネルギーに引き込まれてここをさ迷っていたか。聞こうとしたが、目の前に迫ってきた唇を回避するために急いで思考を断ち切って顔をよじった。ぽふ、とやわらかい音と共に古泉の顔が俺の顔の横、ベッドに沈む。おまええええ!いきなり!
「………あなたがすきなんです」
――ホワイ?
殴ろうとして振り上げた手をその場でとどめた。
「あなたのことが、好きで……。涼宮さんの無茶を、なんだかんだでフォローしてあげたり、ついていってあげたり…、そういう、優しいところが、好きで」
うおおお、古泉ボイスで言われると言い様のない感覚に襲われる。
俺とハルヒのことを知っているということは、北高生ということだ。しかし最近、生徒が死んだなんて出来事があっただろうか?
疑問に思っている俺の心を読んだかのように、古泉が口を開く。
「ぼく、一ヶ月前に転校したんです。転校先で、事故で……」
「………」
手を完璧に下ろした。
いやしかし、かわいそうだとは思うぞ。同情を嫌う幽霊だっているが、俺はお前のことをかわいそうだと思う。それで、俺のことを好きって言ってくれるのは嬉しいよ。しかしだな。
「いきなり人の唇を狙うんじゃない!」
念をこめた右手でチョップを落とすと、いとも簡単に霊体が古泉の体から抜けた。
人体に憑いたまま長期滞在すると、その人体に悪影響を及ぼしかねない。まあ古泉なら多少放っておいても構わないが、俺の唇を狙おうとするのは許せん。しかも古泉のいれものならなおさらだ。毎日顔をつきあわせてる野郎と誰が好んでキスしたがるか!
『この入れ物がダメなんですか?』
浮かび上がった霊体は、細身の長身、古泉のレベルをワンランク下げた程度の、まあ俺からしてみれば十分なイケメンだった。古泉を完璧入れ物扱いだ。ある意味素晴らしい。
おいおいしかもその顔でゲイか。差別はせんが、さぞ女の子にもてただろうに。
ぐったりと俺の上にのしかかった古泉を横にのけ、頭上を旋回する少年をにらみつけた。エフェクトがかかったような、不安そうな声が俺にどうなんですかと問いかける。
「入れ物がダメっていうのもあるが、告白してすぐにキスを迫ろうなどと言語道断!というか人の体を借りてこんなことをすること自体が許せん!」
手を組んで念を放出し、牽制した。少年はぐしぐしと涙ぐみながら俺を恨みがましく見た後、『だって好きなものは好きなんです!』と女の子から言われたら一発KOするような言葉を吐き出した。
しかし、その瞬間に俺の頭に疑問が浮かび上がる。こいつ確か、さっき……、
『ぼく、好きな人がいて。だけど、ゲイなんて気持ち悪いって言われちゃうと思って、告白できなかったんです。そのまま……』
と言ったな。
だったら未練なのは告白できなかったことで、解消されたんじゃないのか?何故成仏しない。はっとして顔を上げると、霊体が目前まで迫っていた。逃げる場所もなく呆然としていると、端整な顔が俺の顔に文字通り、『食い込む』。
「………」
『………』
「………少年よ」
『………はい』
「霊体でキスは、たぶん、無理だぞ………」
『……………』
少年はぶしぶしと体の端々を白く揺らめかせながら離れていった。
横にぐったりした古泉、そして俺が乗っているのはベッド、おまけで幽霊にキスされてるって、どんな状況だよ。こんな状況だよ。ぐったりしたいのは俺だ!
少年の気持ちも強かったんだろうが、実体化するほどには至らなかったということなのだろう。正直ありがたい。初キスが幽霊でしかも男なんていやすぎる。
俺からなら触れんこともないが、そのことは言わないでおこう。少年はぐるぐると俺の頭上を旋回したかと思うと、小さく呟いた。
『ぼく、きっと、あなたにキスしないと成仏できません………』
あああああ、言ってくれるな若者よ!できるだけ未練は解消してやりたいとは思うがその未練はダメだ!無理だ!ぶるぶると首を左右に振って、他に方法があるはずだ!と明るく言ってみるものの、少年はやはり俺の顔に顔を近づけ、キスのようなことをして俺の顔をすり抜け、いささか残念そうに離れていくだけ。
『ぼく、もっと霊力を強くして、あなたに触れるくらいになってみせます!』
UZEEEEEEE!
とは口にせずに、ああそうと軽く流した。少年は軽く言ってみせたが、実体化するっていうのは結構難しいもんなんだ。少なくとも一年はかかるね。その間には俺への思いも薄れるだろうし、ていうかぶっちゃけ俺は消そうと思えばこいつを消せる。
いっそ今消してやろうかな、と思いながら腕を組んで考えていると、透けた手がこちらに伸びてきた。恐らく、頬に触れたつもり、なんだと思う。ひんやりとした空気が頬を撫でていった。
『………だから、あなたは生きていてくださいね。僕みたいに、若いうちに死ぬなんて、ダメです。あなたは、生きていて』
「……………」
『それじゃあ、さようなら。また』
少年はそう言って、ふうわりと消えていった。成仏したわけ、では、ない。しばらく少年が旋回していた天井を見て、視線を下ろした。組んだままだった手を解き、横に転がった古泉に視線を移し、すぐに戻す。
実体化してキスしたいなんて思うくらい、俺が好き、なんて。………消してやろうかと思っていた思考が、さっぱり消えてしまった。
「……俺の、どこがいいんだか」
小さく呟いて、乱れた服を直す。
とりあえず古泉に掛け布団をかけてやって、ベッドから降りる。
あ。名前くらい聞いておけばよかった。
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